パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

嘘について

2016年11月29日 08時27分28秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

以前「政府は必ず嘘をつく」という本を読んだ
例のごとく内容はすっかり忘れてしまっているが
タイトルが面白くて、それだけは頭に残っている

最近体験したこと
それはこの「嘘」に関すること
日常生活では人は円滑な人間関係を保つために「嘘」を言うことがある
あまり気に入らないプレゼントを貰っても嬉しそうに「素敵!」と言ってみたり
好みでない手料理に「美味しい」と言ってみたり
怪我をしてしんどい状況でも「大丈夫!」と答えるスポーツ選手などは
微笑ましいというかかわいい類

このような場合は「嘘」とわかっていても、
受け取る側も相手の気遣いを感じて悪い気はしない

嘘が簡単にバレるケースは浮気のようだ
女性の鋭い勘であっという間に男はしどろもどろになる
という話を良く聞く
一方、男は鈍感で最後まで女性の秘密に気づかないらしい
(これらは聞いた話で真偽は分からないが通説) 

簡単にわかる嘘 
自分の実体験に照らしあわせて想像しやすい話は
嘘かどうかは直感的にわかる

しかし、嘘かどうかわからないことが 全くわからないことがある
それは政府とか行政の発信する内容
それらの前置きは非常に長くて、概念の説明や法的な根拠などを
クドクドと並べるので、それだけで一般人は面倒になって
その人達の話を受け入れてしまう
なにしろ、それは違う、嘘だと言うまでの知識が受け取る側にないから
全面的に信用するしかない
つまりわからないことは、その人が嘘を言っていないことを前提として
聞かざるをえない

前置きが長くなったが、新城市の住民監査請求の結果が先日報告された
結果の細かな内容は別の機会に取り上げることがあるかもしれないが
ここでは報告を見て(聞いて)感じた「嘘」に繋がりそうな話を

報告書には、監査請求にあったような行政からの指示、介入による
書類の変更等の行為はなかったとしている
その根拠に当事者に直接話を聞いたが、その人たちは声を揃えて
否定しているとしている
しかし、この人達は「嘘」を言っていないという根拠が何処にあるのだろう
裁判のように宣誓をして嘘は言わない(言ったりすると偽証罪になる)
ことを担保しているわけではない 
そんな調査だから、誰もが想像するように都合の悪いことは
口裏を合わせて自分たちに都合の良い話をする
結果報告書は、この人達の言い分を100%信じて書き上がられている

システム上、嘘を言っているかどうかまで
調べられるようになっていないかもしれないが
あまりにも性善説とか現実と離れたところでシステムが動いて
いるような気がしないでもない
もっとも大半の場合は性善説を前提にした運営が行われるのだろうが
今回のようなデリケートな問題についてはこれらのシステムの限界を感じる

ところで、「嘘」を言っているのではないか
と判断するのは単に意地悪なひねくれた考えで想像したり、妄想したりしているのではない
実は行政が指示・介入をしたという話をあるところから手に入れたからだ
(その話が本当か、、、ということになりそうだが)

この話は結局、行くところまで行くことになるが
かわいそうなのは家族の生計を支えている社会人としての職員が
ある意向のもとに「嘘」をつかなければならない状況にあることだ
そんなことはよくある事、かもしれない
しかし、出来ることならそんな余計なことを職員にさせないで
もっと充実感とやりがいを持って仕事に当たってもらえるような環境づくりが
誰かさんのお仕事のはずだが、、 


 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 音楽の聴き方(ながらと集中) | トップ | 詩(哲学)と長編小説(ブル... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

住民投票・市庁舎・リコール・市政」カテゴリの最新記事