今年は大好きな作曲家のアントン・ブルックナー生誕200年で記念の年
でも、CDで交響曲のオルガン編曲版を購入した以外には何もしていない
理由あって家を長く空けることはできないので
名古屋でのコンサートにはいけないでいる
オルガン編曲版はオーディオで聴くとダイナミックレンジの差がありすぎて
弱音がとても聴きづらいので、勢い込んで購入したものの
そのままになっているものが多い
でも記念の年の終わりに近づいているので彼に関することを考えてみる
よく耳にしたブルックナーの音楽は男にしかウケないとか
コンサート会場のトイレには男ばかりが並ぶという噂は
もはや都市伝説で客観的なデータはないそうだ
でも自分は直感的にそう思っていた(男しかウケないだろうなと)
そしてそれは自分以外にも少なからずの男が感じているような気がしていた
なぜそう思ってしまうのか?
反対の状況を思い浮かべてみる
音楽が女の感性にどっぷり浸かっていて男としては聴き続けるのが辛い
と言う音楽が自分にはある
例えば中島みゆきとか竹内まりあのCDが一曲聴くだけなら問題はないが
CD全部を聴くとなると何故か嫌になってまうのだ
その時感じることは、女の感覚には男にはついていけない思いで
上手く言語化できないが、とにかく根本的なところが違うという
信念に近い思いを覚えてしまう
これは歌だけでなく、マルタ・アルゲリッチのピアノ演奏を聴く時も
感じることで、直感でバリバリ突き進む音楽には
迫力があるがどこかついていけない気がしてしまうのだった
尤もこれは自分がどう感じるだけなので一般化することはできない
でも、、、、
そう、でもという言葉がついでてしまう
ブルックナーには一般受けする美味しいメロディがないとする声があるかもしれない
だが8番のアダージョ楽章の第2主題とか、9番アダージョ楽章の主題は
自分にとってはこの上なく美しいというか感動的なのだが
女性はきっとそう感じないだろうという確信に近いものを感じてしまう
ブルックナーもわかりやすい感傷的な音楽をピアノ曲残している
「秋の夕べの静かな思い」など
この路線で行けば彼はもっとポピュラーになった気がするが
彼の一番表現したいものは、拘ったものはこの路線ではなかった
彼が一番表現したかったもの
それは男の支配する感覚の抽象的な部分のような気がする
ということで、ただ根拠もなく自分がそう思った
というだけの話(でも本当に信じ込んでいるのだが)
ブルックナーの感傷的な音楽はこれ
ブルックナー:秋の夕べの静かな思い(1863)白神 典子 2000
自分が大好きな音楽はこれ
ブルックナー 交響曲第8番ハ短調 第3楽章 ヴァント NDR