パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

映画「24の瞳」上映会

2022年07月03日 15時07分59秒 | 徒然なるままに

昨日の土曜日、趣味というべきかライフワークというべきか
気に入った映画をみんなに見せるのが好きな人がいて
その一つの上映会があった
「24の瞳」松竹の白黒の作品で、高峰秀子が主演だ

市の文化会館の小ホールが会場で、
彼の誘いなら仕方ないと土曜日の午後の時間をともに過ごそうとする
同窓会のメンバーのような人が70人弱
自分は彼より少し若いので、この上映会の素材のレンタルの手続きを手伝った

「24の瞳」は名前は聞いたことがあるが、中身は全然知らない
まずは腰を据えて見るしかない

昔の映画だな!と思わせる様な松竹の文字が大きく入る
船が音楽とともに海の上を進んでいく
音楽は大好きな「アニー・ローリー」だ
なんでイギリス民謡なのだろうか?
と思いながらも、この導入で映画を見る気が一気に高まった

古いバスが舗装されていない道を走る
いかにも昔はそうだったと感じさせるような田舎の風景が続く
白黒で色はついていないが、想像力で不足分は補えるのでさほど苦痛は感じない

この映画は反戦映画なのだろうか
それとも、先生と生徒の成長物語なのだろうか
時の流れや社会は残酷で、それでも人は生きていくと思わせるような
出演者の人生のエピソードが映される

昔オルハン・パムクの「雪」を読んだとき、
登場人物の生きている背景が細かく描写されて
リアリティと物語の厚みを覚えたことがあったが
この映画でも12人の生徒の家庭環境などが細かく描写され
それは自己責任では済まされない半ば運命のような、諦めるしかない生き方も
否応なく感じさせられた
今で言えば「親ガチャ」とその後のような話だ

誰のせいでもない(少なくとも生徒個人のせいではない)というメッセージは
自己責任を強く要求されるような現代の傾向に、何故か問題提起をしているように思われた

やはり戦争の影は大きい
当たり前のような平和な話とか考え方は、社会から自発的(?)に失われていく
そしてその空気は男の子に軍隊に入ることとか、国のために戦うという意識を育む

24の瞳 つまり12人の生徒の生き方は、男の生徒は4人ほどが戦死
女性は病死したり、豊かだった家が破産して苦労するはめになったり
貧乏だった子は早くから働きに出たり、修学旅行だけは一生の贅沢としていかせてもらえた子や
音楽的な才能があって音楽で生きていきたいと強く望みながらも家業を継がなければならなかったり
つまりは、ほとんどの人が思い通りにいかない
主人公の連れ合いも戦死しているし、子どもも事故で失くしている
でもこの物語は悲劇ではなく、慰めのような終わり方が待っている

この映画は時々音楽が流れる
「アニー・ローリー」は意外だったが、殆どは唱歌で「浜辺の歌」とか「荒城の月」とか
「仰げば尊し」とか、、ときに軍歌も違和感を持たせるために挿入される
この音楽の挿入(使い方)はストーリーに直接関係ないかもしれないが
とても効果的のように思われた
不意にイギリス映画の「眺めの良い部屋」でもストーリーの変わる度に
音楽が挿入されているたことを思い出した

最初と最後の方で「アニー・ローリー」が使われていて、そのまるで回帰するような効果は
人は最初と最後は統一的になにかしたがる傾向があるのだろうか!と思わせるのだった

映画の見方や感じ方は、見る人のタイミング、社会の状況によって大きく違ってくるだろう
映画が終わって駐車場で「今の時期だからこそ、この映画は良かったね」
と言葉を交わした人がいた
本当にそう思う
だからこそ穏やかな映画上映をライフワークとしている人物は
この作品を見せたかったのだろうか

 


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