パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

カルチャーショックから立ち直る方法(かつてのそれはそれは正しかったか?)

2020年11月12日 08時57分44秒 | あれこれ考えること

例えば異文化に初めて触れた時、あるいは知らない地で自分たちとは明らかに異なる
容貌をした人に出会った時、人はどのような反応とか示すだろうか
最近は地球が狭くなっていると言われるが、それでも直にそうした経験をすると
(海外旅行などで)楽観的な印象ばかりが記憶に残るわけでななさそう

かつて西洋人がアフリカとかの彼らの価値判断からすると未開の地についた時
彼らの多くは自分たちと色の違う肌をして、自分たちと明らかに異なる生活を
している人たちに対してどうのように感じたか
話が通じるのだろうか、、話が対等にできるのだろうか、、
この人たちは遅れている、、自分たちが教育(支配)していかなければ、、
そんな思いに溢れただろうことは、その後の歴史から想像できる

でも中には、原住民たちの文化や社会の秩序の意味を知ろうとして
その中には西欧的な発想だけでは善悪の判断ができないこともあると
認識したした人たちもいたようだ

これは遠い西欧人に限らず日本人も経験したことと思われる
鎖国から開国となって実感したのは、明らかに武器の性能が劣ること
そして政治制度も見習うべきものが多いということ

そこでどの国も行うように先進国への視察を行うようになる
だがこの先進国の視察で洗礼を受けた人は、みんながみんな同じように
自分たちの国は遅れているので必死で追いかけねばならない、、
と思うようになるかといえば、どうもそうではなかったようだ

その中には圧倒的な西欧の文化や技術に触れて、自信喪失をしてしまい
自らの文化(国)の存在価値すら疑問を持つようになった人も現れた
だがその人たちが立ち直る方法があった
それは「自分たちの社会や文化は類まれなもので世界に誇るべきもの」
と思い込むことだった
それが相対的なもの(どの国にもいいものはあるといった)であれば良いのだが
何故か唯一の価値あるものとして信じたいという心理が強く働いた
(この心理的な閉塞感が天皇機関説事件につながったらしい)


最近の「日本(文化・人柄)は凄い」という楽観的な(見るには心地よい)テレビ番組は
こうした傾向を表していないか
隣の国よりも優れているところを探し、それで安心し、同盟国の価値観と同じというだけで
自分たちも同盟国と同じ立場にいると勘違いし、どの地域にも誇るべき歴史があるにも関わらず
自分たちの文化だけが突出していると考えたいとする傾向

結局はこの人たちは自信喪失をしている(と自分は考える)
外国を旅する人の中には(外国に行くと知らず知らず日本のことを考えるようになる)
「結局みんな人間は同じだ。嬉しいことも悲しいと感じることも!
 社会には時間をかけて作られた秩序がある
 それは自分たちと違っていても、それなりに意味あるもの」
と感じる人と
「この人たちの文化より、自分たちのほうが優れている。我々は凄いんだ」
と感じる人がいると思われるが、徐々に後者の割合が(無意識的に)増えているような気がする

今の若者の外国への憧れ、シュトルム・ウント・ドランクのような内的衝動に導かれる無鉄砲な行動
そうしたことが見られないように思えてしまうのは、この国が唯一の存在である、、
と信じたがっているからではないか、、、とおっさんは心配してしまう
若い人には(消化不良になったとしても)想像以上の世界やら経験があることを実感してもらいたいと思う

上手くまとまらなかったが、最近の右傾化に対してちょっと考えたこと

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