パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

積読本、再読本などについて

2024年11月04日 09時19分24秒 | 

気力とか忍耐力とか、その他にもある程度の知識が必要な読書
大威張りで趣味は読書とまでは言えないが本は好きだ
気に入った本と出会った時はワクワクして
最終ページに行くのがもったいない気さえする

ベストセラーを読むタイプではなく、その時の自分の中心課題とか
目にして気になったものを選んで読むが
それは一般的な選択とは言えない変な本が並ぶ
(人の本棚を覗くとその人の性格がわかるという話がある)

アマゾンのお勧め本は確かにポイントをついて推奨するので
無駄はないが、それでもそれ故に時には反抗したくなる
時には本屋に行くのはいい刺激になる
本屋でいつも思うのは、人はなんといろんなことを考える生き物だな
ということ
それは驚きとともに呆れるほどだ

昨年は植物絡み、今年は枕草子関係と資本主義、社会主義関係が
関心の対象になっている
本は多少の知識が無いと消化できない
だから再読すると、以前読んだときには見過ごしてしまったことが
知識を得た後は切実に訴えてくるといいことはある
現在再読中のシュンペーターの「資本主義、社会主義、民主主義」は
「超訳資本論」を読んだ後なので、前に読んだときとは心に訴えるものが違う
ただ、この本はもう一回読まねば!
と思っていたことは、つくづく正解だったと思う

と言っても、勢い込んで購入した本もある
それは積読という形になる
今は「花と龍」「神の代理人」「普通の人々」「権威主義の誘惑」が積読状態の本だ

昔は読み終えてからでないと新しい本は購入しなかった
読む終えられないのがなんだか悔しくて
とにかく最後のページまで行くことに必死だった

だが最近は、読み終えられなくても良いや、、とも思えるようになり
そのせいで、積読本は増えていくことになった

この積読本について昨日の中日新聞の読書蘭にこんな記事があった

この批評欄の最後の部分が素晴らしい
「本は冊という単位で考えるべきではない
本はあらゆる本、あらゆるページと、瞬時のうちに連結しては
また離れるということを繰り返している」
一冊にパッケージされているようで、実は世界と無限につながっている
僕たちが読んでいるのは、その無限に広がる網の一部なのである

なるほど、読書体験は滔々と流れる時間経過の一部分で
それは明らかに社会にも、個人の生き方にも
そして今後についても関与していると実感する

フト思いついたが、今後(来年)は再読を中心に読んでみるのも悪くないかも
その候補の本を選択する過程もなんだか面白そうだ


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