パンセ(みたいなものを目指して)

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「ケインズの美人投票」から連想したこと

2020年07月26日 08時55分22秒 | あれこれ考えること

「ケインズの美人投票」という言葉をある時知った
それがとても興味深く、今もザワザワと心の中に刻まれていて
いつか騒ぎそうな気がしている

一般的な美人投票は「各個人が美人だと思った人」に投票する
一方、ケインズのそれは
「最も投票の多かった人に投票した人に商品を与える」
との条件をつけて美人投票を行うというものだ
すると、人は商品欲しさに美人の評価だけでなく
投票する人の顔色を探ることになる
それが知り合いであったなら普段の好みとか性格から
誰々に投票しそうだ、、とか予想をする
その結果、必ずしも審美眼的に美人が選ばれるのではなくて
人が勝手に想像した「確率」の世界が答えとして出てくる

これは株などの投資に言えることで、企業の実態や成績よりも
株を買う人の願望とか空気に左右されることを表していると解説される

選挙とか多数決は、この「ケインズの美人投票」に近い状態になっていないか
と思うことがある
「誰々が自分の判断では最適と思うから投票する」というよりは
どうも誰々が当選しそうだ、、との噂を聞いたひとは
自分の投票が死に票にならないために、そして自分が大勢の中から
離れた変人でないことを自ら証明し、安心するために投票をしてしまう
可能性を思い浮かべることができる

また採決の時点においても、結果が割れてしまいそうな場合には
自分の立ち位置が多数の方にいるか否か、、その損得はどうか、、
を考えてしまうのではないか、、と思われるような場面を
否応なしに見ることになっている(最近ある議会で)

いずれも本質的な対象への判断ではなく、選挙とか多数決をする人への
他人による判断で、物事が決まっていく

人は同調圧力に弱いことが心理学的にも明らかにされている
ソロモン・アッシュの同調実験がそれで、個人が正しい選択をしたと実感していても
予め実験にサクラを入れておいて、
それは違う、こちらが正しいと数多くのサクラが言い続けると
知らず知らず自分が間違っていたと考えを変えるというのだ
(本当は最初の判断が正しかったが)

このように一般的に技術的には正当性のある選挙とか多数決による採決も
人間様のすることの不確定差ゆえに、完璧なものとは宣言できない

だが、システムにそれだけの不完全性を持っていながらも、人は
「みんなで選んだものは、大きな間違いはしないだろう」
と信じているようだ

みんなで選んだものは間違いがない、、、
その根拠は、一体どこにあるのか、、と突き詰めていくと
結果的に、世の中は案外いい加減なところで出来ている、、
と落ち着きそうな気もしてくる

というわけで、日曜の朝にはふさわしくない話

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