パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

奥平貞昌、武田勝頼、徳川家康がいた場所

2012年01月20日 20時25分25秒 | Weblog

先日のTBS系列の長篠の戦いを扱った番組
その放映があることを予め知っていたわけではなかったが
何を思い立ったか今月の初旬、長篠城址に立ち寄った

小学校か中学の時に来ていたはずなのだが記憶にない
まして歴史に興味など全然なかったものだから
覚える気すらなかった

しかし、いろいろ知ってくるとこれがなかなか面白い
長篠城の堀は

小高い道は

兵どもが夢の跡、みたいな趣は感じられない

この城址から眺める鳶ヶ巣山
武田方が陣を構えたところ
なるほどリアリティーのある距離で
スケールは大きくないが、それだけに現実感を持って
ここで戦いが行われた事を実感する

この長篠城址の前に訪れたのが近くにある医王寺

武田勝頼が本陣を構えたところ
ここで長老たちは勝頼にこの戦いを避けるよう提案し
勝頼自身も不吉な夢を見たというが、聞き入れられなかった
(このエピソードが医王寺の看板に書かれていた)

長老たちは、別れの杯を交わしたという
たら、れば、は後からの話だけれども
聞いていれば大事な家臣を失うこともなかっただろうに

この長篠の近く、山吉田に今度は家康絡みのお寺さんがある

曹洞宗の寺、満光寺
この寺に逃亡した家康は追手からの追撃に
早起きの鶏に助けられたエピソードが残っている
後になって鶏に何石か与えられて
徳川家から大事にされたという

この寺のもう一つの見所は、迫力ある岩が主体の庭園
龍安寺みたいな哲学的な石の庭園ではなく
傾斜のきつい裏山にいくつもの岩を配置し
どこか深山を思わせる佇まい(田舎にあるのに)

京都ほど数多くはないけれど
地元新城には磨けば光る観光資源はあるものだと実感!

 

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スピードの変化は、、、?

2012年01月19日 22時19分35秒 | Weblog

Macのネットを高速化するdolipoを勧められて入れてみた
その効果の程は?

正直なところわからない
早くなったような、変わらないような
現在は光ケーブルの来ない田舎で
12MのADSLの契約

それで不満か?
と言えばそんな事はない

ところで家に電話で
今ならフレッツ光がキャンペーン期間で安い云々と
営業してくることが多いけれど
この地区、新城市はもう光ケーブルを引く計画はなさそうで
ティーズというケーブルテレビが代わりを担うようだ
そんな事情も把握していなくて無闇矢鱈とかけまくっている
勿体無いと言うか、勉強不足と言うか、うるさいと言うか、、、

しかし、それにしても10年ちょっとでえらい変化だ
初めてiMacでインターネットをした時は普通の電話線
スピードは遅いし料金は心配だし

それが今では定額で高速ブラウジング可能
しかも簡単にどこでも無線で、、、
さらにネットもYoutubeやらクラウドサービスもあって
便利快適この上ない

今は幸いあまり自宅のネットのスピードと
比較対照するものがないけれど
どこかで早いスピードの経験をしたりすると
家でのスピードに不満を持つようになるかな

 

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鳥居強右衛門、テレビ初登場?

2012年01月18日 21時05分13秒 | Weblog

新城市の東郷中学校区の人間なら(鳳来地区も人も)
多分誰でも知っている長篠の戦いの英雄 鳥居強右衛門


1575年火縄銃の画期的な戦術で信長が劇的な勝利をおさめた
設楽原の戦いは社会の教科書にも載っているので
全国区の知名度があるが
JR飯田線の「鳥居駅」の由来にもなったこの鳥居強右衛門は
劇的な話もあり、もっと知ってもらいたいと思っていたが
今日のTBS系列の2時間の番組でやっと紹介された

武田軍に長篠城を包囲された奥平家の家臣 鳥居強右衛門は
敵方の目を逃れ、川に潜り、泳ぎ、一人単独で65キロほど離れた
岡崎城の家康まで援軍を求めに行く
首尾よく勤めを終えたかに見えた強右衛門
しかし彼はあと少しで長篠城と言う所で
武田方に捕まってしまう

城に向かって「援軍は来ない」
と叫べば命は助けてやる
武田方は随分呑気な提案をしたものだ
130キロ近くを走り(歩き)通した男に
そんな誘惑は通じるはずもなく
彼は援軍はまもなく来るから、必死に城を守るように叫ぶ

その結果、現在国道151号線沿いの看板に見られるような
磔の姿で命を失う

この地元の英雄 鳥居強右衛門が走ったコースを
5月のゴールデンウイークに
岡崎城から長篠城まで走りきることを
続けている人達がいる(ご苦労様!)

自分は根性なしで、とてもできないから
第一回目だけ水分補給係で手伝っただけ
もっとも彼らは強右衛門よりは苦しさとの自分との戦いに
関心があるように思える

強右衛門の純粋な子孫ではないかもしれないが
その末裔は今でも豊川市に住んでいて
毎年「鳥居祭」とかいうものを親戚を集めて
行なっている(と聞いたような記憶がある)

織田信長が話題の中心になりがちな長篠・設楽原の戦い
でも地元はやっぱり強右衛門

ところで、長篠城近くの医王寺に本陣を構えた勝頼
そこで武田の四天王はこの戦は止めるべきと勝頼に進言した
しかし、それは聞き入れられなかった
彼らは自覚していて最後の盃を交わしたという
(このエピソードが医王寺の看板に書いてある)

強右衛門の強さ、勝頼の意固地さ、家臣の覚悟
このあたりをテーマにして誰か小説なんかを書いてくれれば
新城市の観光はもう少し活発になりそうな気がするが、、

とりあえず、今回の番組の効果は果たしてどんなものだろう?

それにしても、強右衛門がこれほどの全国区で
知られることになったのは、何故か嬉しい感じがしてならない

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職業の欄に

2012年01月17日 22時12分48秒 | Weblog

ミスターこと、長嶋茂雄氏はかつて
職業の欄に「長嶋茂雄」と記入したとのこと

それは氏が、大衆が見ている長嶋茂雄の姿
パフォーマンスを実は客観的に理解していて
人々が望む姿を演じている
といった深読みの解釈もあれば
氏らしい勘違いのエピソードのひとつとして
解釈する事もできる

どちらが本当かはわからない
ただ、よく考えてみると職業欄に
自分の名前を書くというのは
案外正しい行為かもしれない

仕事上で社会的な地位が上であったり
明らかに何かをなした人は
迷わず職業欄にその旨を書くことができる
しかし、大半の庶民は特に変わったこと、
偉大なことをできるわけでもないし
またそうしたことを成す機会にも恵まれずに一生を終える

こういう普通の人
そういう人達の職業は、実はその人達の実名なのではないか
自分らしく生きること
そしてその生き方で自分を、家族を守る
それはまさしく職業「自分の名前」ということではないか

本当は誰もが、職業は自分の名前なのかもしれない?

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熊谷直実とは誰だ?

2012年01月16日 21時30分03秒 | Weblog

古今亭志ん生の有名な「火焔太鼓」のCDの中で
骨董品を扱う主人のけったいな品物の中に
熊谷直実の~~があって、それを聴いている人たちが
笑っている場面があるが
「熊谷直実、一体誰だ?」
これが自分の最初の印象

その後、熊谷直実は若すぎる平敦盛を討った為に
無常観に陥り出家して云々の生活となり
能でも「敦盛」と言う演目があるらしいことまでは
なんとなく知ることができた

この熊谷直実、実は祖母が良く口入にした名前と
母が先日何かの機会にこぼした
(母はこの人がどんな人か知らなかったが)

問題というか不思議なのはここのところ
明治生まれの情報もない田舎のおばあさんが
熊谷直実を知っていたと言う事実
一体何で知ったのか?

お能?歌舞伎?歴史教育?
落語を聞いて笑ってる人が多いところを見ると
結構皆知っているものらしい
(今でいう越後の縮緬問屋くらい?)

昔の人達の情報の広がり方、そのスピードは
どうも実感として把握しにくい
そんなはずは!
と少々馬鹿にしている面もあるかもしれないが

だが、どうやって知ったにせよ
こういう人物を知っていることは
精神的に豊かな生活をしていたのではないかと
思ってしまう

歴史に学ぶ
などと大げさなことではなく
もっと自然に、こういう悲しい経験をした人がいた
それを広く、後まで残しておこうとする気持ちは
残念なことだが現代よりも優れているかもしれない

ところで地元新城に戦国時代
宇利城というのがあってここの城主が
熊谷直実の末裔だったそうな

今川氏と同盟を結んでいたが家康の父の清康と
野田城主の菅沼定則に攻め落とされたが
こんな田舎の新城にもこんな歴史があったとは
[ここのところは宮城谷昌光の風は山河から(1)に書かれている]

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普通においしい

2012年01月15日 19時58分18秒 | Weblog

というのが流行りだと今日の新聞に載っていた

ミシュラン程大げさでなく、B級グルメほど手軽でもなく
程よい感じで、普通の価格で飾らずに美味しいもの
それこそが毎日食べられる良いもの
としている

まさにその通り!
食べ物ばかりじゃなくて、これはいろんなコトにも言えそう
家電製品にも、ファッションにも、インテリアにも、、、

世は今や両極に流れている
高いもの、安いもの、異常に高品質なもの、一度でも使えれば良いもの

しかし、統計的にそのような商品構成したほうが無駄はない様に
結果が出ているとしても、困るのは実は消費者
本当に「値打ちなもの」を見つけることができないでいる

安くて高性能(高品質)は実際には無理があって
どこか自分に我慢を強いるような所があるのを
薄々感じ始めている

思えば日本の特徴というのは
この松竹梅の竹の部分をつくるのが得意だった
とんがって高級なものよりは、あれこれ気が効いていて
尚且つ安い!いわゆるお値打ち!

しかし、今は過剰な価格競争の波に遅れまいと
無理な戦いをいたるところでしているのではないか

本当に欲しいのは、安いものじゃなくて
普通に良くて普通の価格の、商品(サービス)に
気持ちが入っているものなのだけれど、、、

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初めて見たオペラは

2012年01月14日 22時01分20秒 | 音楽

「トリスタンとイゾルデ」
シェローが指輪の演出を行った最初の年にバイロイト音楽祭で
次は2.3日後の「パルジファル」
そして再度「トリスタンとイゾルデ」

その一月後くらいにウィーン シュタッツ オパーで
「椿姫」「サロメ」「モーゼとアロン」(立見席)

こうして振り返ってみると、かなり特殊な足跡のようだ

もっとも特殊なのはこれだけではなかった
クラシック音楽にノックアウトされたのは
ベートーヴェンの運命、ドヴォルザークの新世界はいいとして
その次が(少し間をおいたが)ブルックナーの9番の交響曲

自分の性格がこういう過程を導いたのか
それとも、こういう経験が自分の性格を造りあげたのか?

好きなものを挙げると
これも変わっているとの声が聞こえそうだが
ニーチェよりはキエルケゴール・アンリ・ベルクソン、西脇順三郎
ヘッセ、辻邦生、ドストエフスキー、
龍馬よりは土方歳三、
村上春樹よりオルハン・パムクの作品

当たり前のことだけれど
この世には自分は一人しかいない
その一人は自分では普通と思っているが
やっぱり偏っていると思われそうかな?

もっとも、知り合っていくと
変わっていない人なんて存在しなくて
みんな変わっているけれど!

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インプラスのおかげ?

2012年01月13日 22時14分14秒 | Weblog

今年の我が家は寒くない
昨年も同じ事を言っていたかもしれないが
現実的に灯油の消費量が減っている

昨年と何が変わったかと云えば2階の寝室に
試しにインプラスを設置したことくらい
半信半疑で2階全室には踏み切れなかったが

と言っても温度計を見るとインプラスを設置した部屋が
特に暖かいということではない
だから本当にそのおかげかどうかはわからない

しかし、せっかく投資したのだから
インプラスのおかげ!
と思うほうが幸せでいられる?

ところで夏の遮熱効果はどうなのだろう
期待していいのかな?

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「思い通りにならない」事に耐える能力

2012年01月12日 22時19分22秒 | Weblog

おそらく世の中は「思い通りになる」よりは
「思い通りにならない」事のほうがずっと多い

そして人生経験とは「思い通りにならない」事を
よくある事、日常茶飯事のことと認めて
耐えていく能力の事ではないだろうか

ただ耐える方法は個人差があって
あるがままを受け入れるのと
自分の求めるあるべき姿まで追い求める方法があるが
そのどちらが優れているかは比較のしようがなく
選択は該当者の個性による

どこの家庭でも主婦が少し怒りっぽいのは
思い通りにならないことが多すぎるためで
脱ぎっぱなし、置きっぱなし、言うこと聞かない
確かにこれらは直したほうがいいけれど
少しばかり許容範囲が小さすぎないか?
などと愚痴ってみたりして

 

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マイブームはフルトヴェングラー(のレコード)

2012年01月11日 20時24分46秒 | Weblog

年末に購入したレコード、
フルトヴェングラー指揮のフィデリオを先日聴いた

なるほどこの作品が頻繁に上演されないのが分かった
最初の方は、ベートーヴェンもこんなところもあるのか
個性もところどころに見られるし
なかなかいけるんじゃないかな
と思ったが、2幕になるとあまりにも話が直線的すぎて
起承転結の転がなくて少しつまらない
確かに音楽はいっぱい詰まっている感じはするけれど
台本が弱いのは歴然としている

ところでフルトヴェングラーの指揮・音楽
この演奏だけでなく彼の演奏全般に言えることなのだけれど
彼の音楽に対峙する場合は耳という器官を通して聴いているというより
目覚めさせられた感覚を総動員して参加し体験している
そんな気がしてならない

聴いているのではなく
体験している
トリスタンの愛の2重唱は耳の快楽ではなく
今現実に起きている濃厚な感情の推移
それを自ら感じている気がする

ところでフルトヴェングラーの名演
自分があげるのは
トリスタンとイゾルデ 全曲盤
マーラー さすらう若人の歌(フィッシャー・ディスカウ フィルハーモニア管弦楽団)

ベートーヴェンはおなじみ第9 バイロイトのもの
エロイカは1952年のベルリン・フィルとウィーンフィルのもの
7番も凄いし5番は戦前のもいいかもしれない
ヴァイオリン協奏曲は メニューインとベルリン・フィルのもの

シューベルト 9番 ベルリン・フィル
ブルックナー 7.8番 ベルリン・フィル
ブラームス 1番 1952年のグラムフォンのベルリン・フィルのもの
シューマンの4番 晩年のベルリン・フィル もいける

こんな風に挙げていくと結局持っているもの全て
みたいなことになってしまいそうだけれど
神聖視するつもりはないけれど
やっぱり凄いな!

それは彼だけの力じゃなくて
時代が欲したものだったかもしれない

今度、第9の若い時期のものを手に入れることにしようかな


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