パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

後ろからの繋ぎは、なでしこのほうが男子より上

2012年04月05日 23時13分30秒 | サッカー

ブラジルの方がコンディションが悪い
とはいうものの、今日のなでしこはまずまず
4-1は妥当な結果に見える

個人のスキルはブラジルのほうが上でも
男子ほどの差があるわけではない
むしろ部分的には日本のアジリティーに富んだ
動きのほうが優っていたところもある

感心するのは男子より後ろからの繋ぎが
上手いかもしれないということ
途中プレスがかかるから早めに蹴ってしまうのもあり
と解説の松木氏が口にしていたが
そこで安易に蹴ってしまわなかったところがエライ

後ろの方でもキチンとパス交換のできる選手を置いているのか
それとも練習を充分にしているのかわからないが
プレスをかける方でも相手がうまくかわしていくとなれば
自分の動きが無駄と思えて、そのうちかけなくなっていく

プレスを掛けて効果があると思えば
ますますプレスに拍車がかかるが
かわされてばかりではヤル気を削がれる

肝心なのは相手にそう思わせること
バルサもメチャ上手いが
とりに行っても無駄という先入観があるから
ムキになって取りに行かず
結果的に楽にポゼッションできることになる

強い時のフランスもそうだった
取りに行くとかわされ、スペースを開けると
縦にゴリゴリ来られて、、、

日本はまだ一人で真ん中を突破できる選手がいないが
確かにワールドカップでの好成績はフロックではなかったようだ

ところで自分は真面目ななでしこ観戦者ではないが
宇津木と言う選手、いい選手だな
体も強くて、運動量もあって、パスも正確
自分的には今日一番の拾い物だった感じ

それと佐々木監督はこれまた良い監督かもしれない
と感じさせる采配だった

ま、勝負事は、結果が良ければ全て良しか!

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英雄は偉人か?

2012年04月04日 19時41分13秒 | Weblog

4月2日の中日新聞 明日を求めて  こどもたちへ
夜回り先生 水谷修氏のコラムに思わず
その通りと叫びたくなった

少し書きだしてみると

アレクサンダーやチンギスハンは征服の過程で
どれだけ多くの罪のない人を殺戮したのでしょう。
コロンブスやマゼランが新たな地を発見する事によって
勝手にヨーロッパの国々に植民地とされ、どれだけ多くの、
その地に住む人が殺戮され、奴隷とされたでしょう。
その地の金や銀、小麦などの富がどれだけ奪われたでしょう。

これは日本の歴史においても同じです。
TVドラマ化された平清盛は、多くの人を死に追いやっています。
それは何のためだったのでしょう。
その当時の人々の幸せのため、そんなふうに解釈する人はいないでしょう。
自分と平一族の繁栄のためです。

でも、そんな今の時代なら極悪人となるだろう人間が、
なにか英雄の様に扱われています。
これは織田信長や上杉謙信、武田信玄や徳川家康など
戦国時代の武将でも同じです。

私は、歴史を教える時、いつも歴史上有名な人の陰に
この血の臭いと悪の香りを感じていました。
歴史に名を留めることなどできなかった、多くの罪のない人たちや
子どもたちの限りない哀しみを感じていました。

                         以下省略

ホント、その通りだ
英雄は真の意味で偉人ではない

英雄を英雄視するのは自分が死の立場にいなくて
観客席で見ていられるからだ

ところで急に話は変わって
幕末の英雄と言えば坂本龍馬・勝海舟・西郷隆盛などが挙げられるが
自分が興味深く思える人物は清水の次郎長を改心させた「山岡鉄舟」
江戸城 無血開城の功績は勝海舟ではなくて
山岡鉄舟にあるとする説もあるらしい
剣の腕も大したものだったらしい

歴史は公の正史よりは
斜めに構えた隠れたモノのほうが面白いかもしれない
そうしたものがなければ、歴史から学ぶことは
何もできないかもしれない

 

 

 

 

 

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テレビドラマを見るのはシンドイ!

2012年04月03日 22時24分31秒 | Weblog

フジテレビ 反町隆史主演の
松本清張没後20年特別企画のドラマ
「市長死す」
たまたま仕事で出かけた湯谷温泉で
このドラマのロケをやっていて
どのような映像になっているか
興味を持って、珍しくテレビ画面の前に陣取ったのだが、、、

やっぱりダメだった
湯谷温泉の出る冒頭のシーンを見終わったら
もう睡魔が訪れて
そこから先は関心も薄れて
とうとう途中リタイア

このドラマに限らず、ドラマという物自体
テレビで見るのはしんどくなっている
NHKの大河ドラマでもホントのところ30分くらいで
飽きてきたりする

普段見ていないから慣れてないのか
どうかはわからないが
また慣れようとする気もさらさらないから
テレビでのドラマは余程のことがないと
見ないな!

このドラマも本を読めばいいだけのこと
自分のペースにならないテレビは
ちょっと時代から外れ気味になりつつある
これから大変だろうな

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浅田真央の選曲

2012年04月02日 21時25分56秒 | Weblog

いつも思う
浅田真央の選曲は良くないと

今回のシエラザードはいいとしても
フリーのリストの愛の夢
あのゆっくりしたテンポの曲で
思いっきり高度なジャンプにトライしようとするのが
ミスマッチのような気がする

もっとアップテンポの曲のほうがノリ易いのではないのか
そして真ん中にゆったりした曲調を混ぜるほうが
普通のように感じるが、、、

オリンピックの時の鐘も疑問を感じる選曲
ショパンのノクターンもキレイだが感情の深さに欠ける
仮面舞踏会もどうも曲が平板

それを思うとキムヨナの選曲は秀逸だった
安藤美姫もキャラに合わせた選曲
村上佳菜子もコジャレた選曲になっている

しかし、浅田真央は、、、
自分で選んでいるのか、別の人が選んでいるのかわからないが
最近はスケートだけじゃなく総合力の勝負
個人的には選曲ミスが足を引っ張っていると思うが、、、

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桜より先にお目見え

2012年04月02日 20時18分51秒 | Weblog

11ヶ月ぶりの再会
母が甥っ子に送った五月人形

ところが飾って置く場所がなく
ここ数年は里帰りして我が家で展示
日柄の良い今日、妹も手伝って箱から出して陳列

部屋が一気に華やいだ感じになる
お雛様のほうがもっと華やかだろうけれど
これもなかなかのもの

歳をとると昔の事は覚えていて最近の事は忘れるというが
実感として残念ながらまさにその通り

その昔の事の一つにお雛様や五月人形がある
姉と妹に挟まれたせいで、人形に関する記憶は
お雛様のほうがずっと多いが
その記憶がまともじゃない妙なものばかり

7段飾りの台は、緋毛氈をめくると裁ち台が見えたり
菱餅の形・色が変だなあ!とその時思ったことを覚えていたりする

記憶というものは徐々に断片的になって
楽しかったこと、辛かったことがデフォルメされて残っていく

一見無駄なようにみえる人形を飾るなどの行事
自分たちが目一杯愛されていたことの証になるので
案外必要不可欠かも

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法律上問題はなくても、感情が、、、

2012年04月01日 08時47分59秒 | Weblog

猫ヒロシがカンボジア国籍をとって
ロンドンオリンピックのマラソンの出場権を
手に入れたことに関して様々な意見が交わされている

有森裕子さんの「心情的には疑問が残る」
の意見に納得する人は多いのだろうけれど
問題は、なにも法律違反ではなくその範囲内での判断で、
マスコミが面白おかしく報道することを
除けば何ら問題はないはず

これは、高校球児が競争率の高い地区を逃れて
比較的甲子園に出場しやすい地区に転校したり
またはその反対に名門校に越境して通ったりすることと似ている
(バスケットだったかバレーはダメという決まりがあったかな?)

このあたりまでは、何か割り切れないがしょうがないか!
と言ったところで落ち着けるかもしれない

しかし、政治家がこの手法を使ったら
つまり、何だか変なのだが法律的には問題はない
もっと言えば、法律上の手続きの上だけはちゃんとしている
としたなら、人はそれを仕方ないと思えるか?
ということ

勿論、疑わしきは罰せず
の原則はわからないでもないし、
闇雲に怪しんだりするのもよくないことは分かる
また多くの場合メディアがそうした雰囲気を作り出している
現状がよくないことも分かる

しかし、人間はそこまで理性的な存在ではない
人に対する判断は理性と言うより直感・第一印象に基づくものが大きく
まずその判断があった後、それに至った理由付けを理性の分野で行う
のではなかろうか?

第一印象すらメディアに左右されている可能性も否定はしないし
必ずしもその第一印象・直感が正しいとは限らないが
人間は自分の中の理性と感情が戦ったら
大概の場合、理性は勝ちを収めることができない

つまり、何か変だな
と思った政治家を法律上はクリアでも
人は認めることができないのではないか
(それが誘導されたものであっても)
これはメディアに支配される面があり怖いことであっても
ある程度仕方ないのかもしれない

こうした時に間違いを起こさないためには
要は一人ひとりの直感を磨く訓練をする
ということしかないのではないか

いや、これもいい加減な方法すぎるかな?

とにかく、法律上さえ守っていれば!
と言う態度は以外に穴が多いということ
だから法律は徐々に文言が増えて
ますますわかりにくくなっていくのだろうが

困ったもんだ
仕方ないか!

 

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