パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

東京散策

2013年05月05日 13時38分45秒 | 徒然なるままに

一日目、二日目のラ・フォル・ジュルネの公演には少し時間があったので
その前に一日目は御茶ノ水のディスクユニオンにレコード購入に向かった

東三河からひかりで東京に着いたのが10時頃
以前にも寄ったことのある店舗でよさそうなものを物色しようと思ったが、、、
店の前に来ると営業時間は11時からとの張り紙が

東京は夜遅くまでの営業かもしれないが、
朝のスタートが遅い
こんなんじゃ、昼行性の生物の人間には良くない
仕方ないけど、悪循環の連続なのでは
と思いつつ時間つぶしにその辺りをブラっと歩いてみた

するとこんな道路標識が目についた
忍者の甲賀流絡みの名前
そういえば徳川家康は大阪の陣で、甲賀流の人たちにお世話になったとか
漫画とか時代劇で活躍が実際に存在した証拠のようなネーミング
ちょっと年を忘れてワクワクしてしまった

もう少し歩いていると今度は

大久保彦左衛門の屋敷跡
一心太助だったか何かでよく聴いた名前
またもや歴史が身近になる感覚
ふらっと歩いてのこうした発見はなかなか面白い

そういえば京都でも在原業平の住居跡を偶然見つけた時も
なにか得したような気がした

東京というより江戸も歴史があるだけに
なかなか興味深い
これで古地図なんかを絡ませればより興味は深くなるのだろうけれど
それはまたの機会に?

ディスクユニオンでは気張って行ったものの
イマイチ気分が乗らず
結局グルダとアバドとヴィーン・フィルのモーツァルトのピアノ協奏曲20.21.25.27番のセット(800円)
エッシェンバッハの同じくモーツァルトのピアノソナタ集(1200円)
そしてドイツEMIのフルトヴェングラー指揮のブルックナーの8番(800円)
を購入  重たいので送ってもらうようにした

それにしても、安くて助かる

その後、有楽町まで戻って自分にとって最初のコンサート
竹澤恭子のフランクのソナタ他に向かった

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今年のラ・フォル・ジュルネ(アーメンの幻影の印象など)

2013年05月05日 09時05分22秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

ショパン・ロシア音楽などチケットが取れないこともあって
少し遠ざかっていたラ・フォル・ジュルネ
今年は久々に気合が入ってチケットも予約抽選で
5月3日・4日の二日間 計6回のコンサートのチケットを手にすることができた

そして今日5日 時間が開いて記憶が曖昧にならないうちに
その印象などを残すことにする

圧倒的に印象に残ったのが、昨日の

この児玉麻里・桃の姉妹によるメシアンの「アーメンの幻影」

最初の数秒で、ピアノってこんなに豊かな音がするんだとビックリ
そしてある意味メシアンの彼らしいパターン化した音楽が
とうとうと流れていったが、音響の中に頭がしびれていってしまって
なにか不思議な感覚
現代音楽ということもあって、何かよくわからない部分もある
しかし、ヴェーベルンほどじゃない
頭で聴くのじゃなくて音響に身を任せると
何となく何か訴えるものがある

そして音楽はしっかり詰まっている
そんな印象を持つ
音楽はメロディー的に美味しい部分は皆無
この曲はメシアン得意の小鳥の歌の部分も少なく
複雑な和音の連打・連続 
そしてプロから見ればやはり複雑なリズム

実は先日予習の意味でこの曲のCDを聴いておいた
だがスピーカーを前にしての聴き方は集中が続かない
何となく嫌いじゃない!とは思っても聴きこむ程には至らなかった

ところがさすがに生は違う
この聴き手にも集中を要する曲も一気に楽しく聞くことが出来た
それは姉妹の息のあった演奏によるものか
それとも単に生の演奏というものによるものかは分からないが
とにかく、ドイツ・オーストリア音楽の語法とは違う響きを主体とした音楽を
ドビッシー以上に楽しめたことは事実だ

こうしためったに聴けない曲を聴けるのもこのラ・フォル・ジュルネの楽しみの一つ
第1回目のベートーヴェンではミサ・ソレムニス
モーツァルトの回ではレクイエムの自筆の部分だけの演奏
それらは貴重な体験で今後再度聴ける機械があるかどうか分からない
そして今回のメシアンの「アーメンの幻影」もその一つ
そもそもメシアンは「世の終わりのための四重奏曲」「トゥーランガリラ交響曲」
くらいがプログラムに登る確率があるだけで
ホントに今回は貴重な体験だ

それにしてもメシアン
よくわからないが好きだな!
心が受け入れているせいで
前後関係を考えながらと言うよりは
響きの中に身を委ねているだけで気持ち良い

このよくわからないが心が受け入れるのが絵画の分野ではミロ
ほとんど落書きみたいな絵でもすごく優しくて、純粋で
子どもみたいで幸せな気分にしてくれる
ミロの話はここまでにして、メシアンのこのピアノ楽曲を聴いたせいで
今度は「鳥のカタログ」聴いてみたいと思ったのだけれど
その演奏会があったとしても東京だろうな、田舎には絶対無いだろうな

ところで、この児玉麻里・桃のメシアンの「アーメンの幻影」は
1回だけのプログラムだろうか
だとしたらホントラッキーだった

 

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ポール・マッカートニーと桑田佳祐

2013年05月02日 10時26分03秒 | ポール・マッカートニー

勝手に自分は桑田佳祐はポール・マッカートニー派手はなく
ジョン・レノン派と思い込んでいた
そんな区分けは意味ないものかもしれないが
昨日興味深いものを見つけた

2002年のポール・マッカートニー特集《ラジオ番組)での発言
ポールのつくった曲の感想を交えたもの

ここで気づいたのが自分と同じような好み・印象を持っているということ
もっとも世の中のポール・マッカートニー派と言う人達は
総じて同じような考えを持つのではないか

詩人・アジテーター・表現者としてのジョン・レノンは
どこか軽い感じのポール・マッカートニーよりも
日本では重要視されている
しかし、この左利きの音楽馬鹿はもっと時間が過れば
その評価はジョンのそれを逆転してしまうのではないかと思う

ジョン・レノンは賢い人間だから
自分の仲間が日に日に様々なアイデアや曲を作って
自分の前に提示してくるのが、そしてそれが素晴らしいものであるばあるほど
ストレスを感じたのではないか(嫉妬という)
勿論立場を変えればジョン・レノンの方が圧倒的に優れているところはあるわけで
そこにこだわればなんてことないのだろうが
人間そう簡単に気持ちの整理ができるわけではない
そして多分ポール・マッカートニーはそんなジョン・レノンの気持ちはわからなかった
そんな風に思えてならない

今日のテーマは、ポール・マッカートニーはもう少し天才として
一番成功したポップミュージシャンとしてではなく
評価してほしいなということ

桑田佳祐と同じように
自分も好きなアルバムは「RAM」

それにしても「ポール・マッカートニーが好き」
と堂々と公言している藤田朋子はエライ


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新東名雑感

2013年05月02日 09時54分28秒 | あれこれ考えること

昨年三ヶ日まで開通した新東名
開通日には姪っ子が利用した道路だが
28日に三ヶ日から藤枝岡部まで利用してみた

確かに、トンネルばかり
ここから5連続のトンネルとの表示があり
1/5~5/5までのご丁寧な看板もついている
自分の車はセンサーで前照灯が点く車ではないので
イチイチつけたり消したりが面倒この上ない

そしてもう一つ直線が多いし
坂も気持ち多いような

ここまでは事前の予想通り

ところが走った印象としては走りにくいな
というか何か緊張を要する感じがしてならなかった
もっとも自分がそんなに運転して遠くへ行くタイプではなく
高速道路に慣れていないからかもしれないが
とにかく圧迫感があるような
従来の東名のほうが走りやすいような!
この道はほとんど風景を楽しむことがない
目的地まで効率的に、それだけを要求された道路
だからつまらないのか

新東名を降りて藤枝市内に入る時
振り返ると今まで走っていた道路が随分高いところに見える
あんなに高いところを走っていたのかと改めて驚くと同時に
だからこその圧迫感があったのかもしれない
と思ったりする

これがドイツならこんな道路はつくらないだろうな
と根拠もないけれどフト考えてしまった

道、目的地から目的地まで通過するだけのもの
その機能に徹すれば徹するほど(?)
何かつまらないものになっていく
まして地上の高いところを走って

何だかな、人間の力、文明は凄いなと思いつつも
ちょっと違和感を感じてしまった

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