パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

柿谷の適正ポジション

2013年10月20日 10時49分57秒 | サッカー
NHKBSで見た昨日のセレッソ対湘南戦
テレビ画面も柿谷をアップで写し
中立を旨とする?NHKでも彼に注目しているようだ

代表戦でイマイチの結果しか残せなかったから
それを引きずるか?
と見ていると昨日は杉本との2トップ
そのせいかいつもより下がってボールに触る回数が多い
そしてボールの受け手から出し手になっていた

つまらない雑なプレーも相変わらず見られるが
半端じゃない才能を感じさせる部分が普段よりたくさん見られた
この人本当はFWじゃなく、MFが最適なのかもしれない

ただ攻撃的MFのポジションには代表では香川・本田・岡崎・清武がいて
彼らと比較すると現時点でどうかと考えると
シュートが枠にいって決定率が高い分だけFWの方が生き残る
可能性が高いのかもしれない

それは三浦知良に似ている
本来は純然たるFWではなかった三浦知良もFWで抜擢された

こうして見ていくと日本には本当にFWという人材がいなかった
という事実に驚く
唯一釜本がそうだったかもしれない
高原の絶好調時もそれに近いかもしれない
柳沢は何でもできるタイプだったが点取り屋じゃない
城はいい時に決めることがあっても確率が、、、
久保は怪我が、、、

さて日本代表FWはどうなるんだろう
大久保も点は取っているがバリバリのFWぽくない
一歩間違うと岡崎なみに効率が悪いシュートの連発になりそう
佐藤寿人はシュートまで皆が持っていけるか心配
大迫は真に厳しい相手の時にちゃんと出来るか心配

結局旨さで群を抜いている柿谷に
そのスキルを有効活用できる知恵と、
もう少し表に出る闘争心を持ってもらいうか無いのかも

それにしても、柿谷はやっぱりMFじゃないのかな
外国にいったら多分MFで使われそう

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世界は2乗でできている

2013年10月20日 10時08分17秒 | 
残念ながら気楽に寝転んで読むことは出来なかった
おまけに読み終わった(最後のページに達した)時点で
内容が理解できたかというのも怪しい
しかし、何かワクワクした気持ちを味わえたのも事実


本当はもう少しやさしい内容かと思っていたが
入門編的に書かれていても数学の言葉を
単なる言葉で説明するのは難しく
結局数学の用語・数式(武器)を使わざるを得なくて
慣れていないものには苦労する

それでも、何故数学の専門家が夢中になるのかは
十分理解できる


上記の式、単なる数の足し算なのに何故πが出てくるか確かに不思議

まずはこの式の計算はどうなるか?
と考えた人がいて、実際の計算を行った
その数字が1.6449306684822643647となった
この数字を6倍すると、9.869604
この平方根が3.141592  つまり円周率のπが登場

それからπが出てくる必然性の証明を行ったらしい
その時に発明と思われるような新しい武器の発見やらが
駆使されてやっと誰もが納得できるようになったとか

確かに数は不思議に満ちている
その不思議さを丁寧に紹介する人がいて
人間の数に対する挑戦を交えながら教育する人がいれば
数学はもう少し面白くなったかもしれない
というような気がする

数学の時間は、その問題を解くための人類の工夫の時間を省略して
直ぐ様エッセンス、利用する方法だけに重きをおいているから
専門家以外は余りにも抽象的過ぎるのかもしれない

数学者の感じる美とは、普通の人が自然・絵画・音楽などに
対する時とどなん風に違うのだろう

一番美しい数式は


とされるが、美しいと感性が感じ取るのはどの部分か

何かの本で物理学者が美しいと感じるのは
対称性の保存に関係していて
その為に対称性が壊れることに異常な関心がいくとか

なんにせよ、分かったことといえば
こうした数学上・物理上の発展は当たり前だが
多くの人の努力の結果の上に成り立っているということ

最近のコンピュータ・インターネットの発展も
膨大な人の努力の蓄積のおかげ

それにしても、抽象的な概念を集中して考えられ
様々な仮定を設定できるような人たちは
ホント羨ましい
彼らがそれで幸せかどうかは知らないけれど

※ところで、パソコンの文字入力
分数とか指数表示はどうやるんだろう?

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運命、聴き比べ

2013年10月19日 09時18分41秒 | 音楽
偶然見つけた



クライバー・インセルシュタットからフルトヴェングラー・グールドまで
運命の冒頭部分の聴き比べ
録音の状態が一定ではないけれど、それでもこうして比べると
それぞれの個性が見えて興味深い

しかし何度も聴くと印象が変わっていく
やはり最初に聴いた時の印象が一番記憶に残る

クライバーはやはり現代的というか、妙な思い入れもなく
さっそうとした音楽

ヴァントの演奏は自分は好きかな
この人の音色は実演でも魅力的だったし

ベームはなにか必然性のない演奏に思われた
カラヤンは、なるほどこれもあり
イージーリスニングといえば言いすぎかもしれないが
クラシックの敷居を下げるような感じ
(しかし、彼がとった政策?のおかげでベルリン・フィルのチケットは
 異常に高い)

トスカニーニは低い音で、神経質そうな顔が画面にあるので
演奏もそんなふうに感じてしまう

フルトヴェングラーはなにか巨大なものを感じる
音楽だけでは収まらない感じ

と、ざっとした印象

世の中にはこうしたものをアップしていただける人がいるので
全くの他人も楽しめるわけだが
ありがたいことだ
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コスモス(秋桜)じゃない秋の桜

2013年10月17日 20時06分57秒 | 徒然なるままに
1周間前ほどのニュースで各地に季節はずれの桜が
咲いた様子が紹介されていたが
新城総合公園にもチラホラと咲いていた


台風で葉が落ちて、その後で暖かくなったから
センサーが間違って春がきたと勘違いして咲かせているのだそうだ

今年の夏はとんでもなく暑かったが
冬もドカ雪で除雪費用が早いうちに枯竭してしまった
自治体もあったようだ

今年も去年に続いてカメムシの発生が多かったとか
カメムシの大量発生の冬は寒いと言われるそうだが
さてどうなんだろう?

それにしても最近の自然の異変ぶりは半端じゃない
そろそろ自然の神様は機嫌を直してほしいものだ
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ベラルーシ戦

2013年10月16日 20時28分36秒 | サッカー
少し時間を置いたほうが冷静に評価できることもある
昨日のベラルーシ戦(0-1で敗戦)
それにしても酷い内容だった
負けたから酷いとも違う
点が取れないから酷いのではない
全然闘う気が見えなかったところが大問題

あの覇気のない試合は一体どうしたんだ!
と思いたくなる

ベラルーシの守りのブロックが強固だったかもしれない
しかし、それを何とかしようという気は感じられない
岡崎はよく動いていたが少し雑で空回り
香川は不安げな表情で乗りきれず
やたら下がってもらったり左サイドというより
真ん中に入りたがったり
本田はいつものキープ力がない
遠藤は肝心なところでパスがサイドやらバックにいって
キッカケを逸していた
長友は怪我する前からなんかおかしな感じだったし
吉田は一試合に1回は必ずポカをするし
長谷部もパスミスが多い
そう、あれでは点は取れないでしょう

ザッケローニ監督の采配のミス?

柿谷の味方をするわけではないが
柿谷は普段からあんな感じ
消えていたり機能していなかったり
ところが最後の数分だけ仕事をするといった選手
だからもう少し気長に使って欲しかった

岡崎よりは清武を出して欲しかったな
乾は切れはあっても空胞かスーパーなプレーかの
幅が大きすぎて使いづらい

でもやっぱり昨日は香川と本田が下がり過ぎた感じ
しかし、彼らが下がらないとボールを前に確実に運べない
(特に中央で)
サイドは運ぶことが出来ても実はサイドに押しやられている事がある
真ん中だけきっちり守れば大丈夫!
そんな単純な方法で守られて手も足も出ない感じ

香川はセカンドストライカーに徹して
チャンスメイクよりスペースを見つけ走りこむ
本田はもっと前目でチャンスメイク
そして柿谷はもっと才能を信じてエゴイストに!

だがそうすると不足するのが真ん中の人材
ゲームメークの優れた遠藤ではなく
逞しくて運動量の多いボールを前に運べる選手
そんな人が必要
その意味では本田のボランチという選択肢も分からないではないけど
そうすると一気に前が薄くなってしまう

結局人材不足ってことがよくわかった
日本人は上手いと言われるが実践的な技術は
まだまだそうとう世界とは遠い位置のような気がする

今から人材の発掘は間に合うか?
難しい問題だ

しかし、ワールドカップに向けて
こんな風に心配することができるなんて
昔からはとても想像できなかったこと
その意味ではだいぶ進歩したのだけれど
それでもなあ~

みんな調子が悪かったんだ!
単純にそう思い込むほうが却っていいのも知れない?


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大統領の料理人

2013年10月15日 19時02分39秒 | 徒然なるままに
火薬の爆発と車をぶっ壊しての映画ばかりの昨今
そうでない映画を地方都市で見ることはなかなか難しい

タブレットの映画案内アプリで面白そうな映画を見つけても
ほとんどは首都圏の限定上映
映画好きというわけではないから困るわけでも無いけど
正直なところいい加減もう少しまともな映画が見れないものか

もちろんエンターテイメントに徹して
僅かの間も退屈させないその技術は大したものだ
と思わないでもないが、、、

この間の日曜、出かけて見たのは
大統領の料理人
何故行く気になったのかといえば
フランスが舞台のこの映画
その画面に映るフランスの街・風景・建築物・インテリアを見たかったから

さて始まるとさすがフランス映画
単純に出来事を時間軸に添って展開するだけではない
現在進行している物語と過去の物語を
敢えてその区別が解りづらいようにつなげていく
そして安易なサクセスストーリーともせず
かと言って失望の物語で終わるわけでもない

つまり、人生にはよくあること!くらいのノリ
そして女はたくましい
(主人公の個性というよりは
 何故か女一般の特質とたくましさを感じてしまった)

この映画は数日経てば忘れてしまうかも知れない
(ドンパチのハリウッド映画だってそうだけど)
しかし余韻というのか、成熟した文化みたいなものは感じた

それにしてもこうしたインディーズ系の映画も
地方でもっと見られることができたらいいのだが
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サッカー代表監督は難しい

2013年10月14日 10時35分37秒 | サッカー
プロなんだからそれなりの結果を出さなくてはならないが
サッカーの代表監督は難しい

まず第一に結果(勝利)を求められる
どんなに万全に準備したって相手だって負けたくない
大の大人がその気になればそんなにうまく行く事ばっかりではない

まして選手同士で揃って練習できる時間が少ないし
コンディションも各々バラバラ

という訳でザッケローニ監督を擁護するつもりはないけれど
先日のセルビア戦の負けに対する批判などをみると
つくづく大変だなと思う

柿谷にしたって選ばれ続けているから結果を出さないと
あれこれ言われるのは仕方ないにしても
結果が出ないからといって他の選手にしたら
良い結果が出たかと言えばそれは仮定での話でしかない

おそらくそんなに変わらないのではないかと思う
この間の試合ではボールが回ってこなかったし
そもそもボールは今まで長くやってきた連中の間では
何となくパス交換ができているが
新しく入るとなかなか難しそう

監督の仕事の一番はまずは選手の選択
これは好みの問題の面があるから
実績だけで選ばれるとは限らない
そしてその選手に課すミッション
これはかなり監督の個性が出るかもしれない
だが具体的に数字的に出るわけではないので
素人・評論家が悪い時にはあれこれいうことが多い

選手を選んだら戦術の徹底とそれを実行するための練習方法
この練習方法のテクニック・スキルが有るかどうかは
かなり興味深い
オシムさんはカラフルなビブスを着させて
条件をつけてとにかく頭をつかう練習をしたという
トルシエさんは紅白戦はしなかったとか
また序列がはっきりしていたジーコさんの時は
Aチーム・Bチームと紅白戦で闘うことがあっても
実際に起こりうるAチームにサブの選手が入っての練習は
少なかったみたい

チームカラーは実は練習で決定づけられる
何を良として何を悪いとするか
普段出てくる会話がチームの方向性を決める

代表監督は常に注目されるから
必然的に完成度の高い慣れたメンバーを使いたい誘惑から
逃れることが出来ない
リーグ戦の監督なら試行錯誤する時間があるが
代表監督はそんな訳にはいかない

試行錯誤ができたのは変人(?)トルシエだけだった
そのトルシエも最終的に選手の選択は間違っていなかったと思う
戦えるメンバーだった

ジーコの場合は選手の選択に冷静さが欠けてちょっと疑問があった
岡田さんは結果オーライの世界
あのチームも戦えるチームだった

さて今回は、、
今のところ上手いかもしれないがひ弱な感じ
本田・長友はいいけど香川はまだ真に逆境に強いとは言いがたい
遠藤は年齢の心配、吉田はポカの心配
内田は時として気合の入らないプレーの連続をすることがある

そうしたパーソナリティーをまとめて
結果を出すことが義務付けられる代表監督
ホント難しそう
だが結果さえ出せば英雄扱い

勝負の世界
ほんと厳しい
さて外野である我々はどうのように監督を見ていけばいいのか
これは案外難しい
この監督を見る目ができてようやく日本もサッカー先進国の
仲間入りができるのかも知れない
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お能

2013年10月13日 09時27分08秒 | 徒然なるままに
近くだからいつでも行ける!
そんな理由で結局今まで行かなかったのが
新城富永神社の祭礼時の奉納能

もっとも自分は富永神社の氏子でなく
小学校の区割りも違っていたから
関心もなかったのかもしれない

しかし、新聞などでこの希少価値のある
素人の演ずるお能が紹介される度
一回は行かなくてはと思いつつ
延び延びになっていた
(文化会館で開催される薪能は
 数回見に行ったことがあるが)

さて雨の心配のない金曜日のんびりと自転車で出かけた
つまらなかったらすぐ帰るつもりで

着いた時は狂言が終わるところ
それから長い休憩時間
神事が行われてその後でいよいよお能の始まり


最初は集中出来にくい
でもお能の音楽、笛・鼓の音は好きだな
決して音楽自体は説明的ではない
むしろ音階だけ、音を発しているだけ
静寂を切り裂くような笛
鼓も品の良い音色 叩く位置によって音色が随分変わる

そんなことを思いながら見ていると
徐々に耳も目も慣れてきて
何となく内容もわかり初めて来たような気さえする
演じれているのは「六浦」
お寺にある紅葉(もみじ)が一本だけ紅葉せずにいる
それを不思議に思った人がそのいわれを尋ねる
夜になるともみじの精が出てきて
ざっとそんな感じの内容を大雑把に理解した

ほんと最初は集中できずにいたが
終わる頃はライブの良さ
結構熱気も感じられて終わった時はホッとした感じ

正直なところ予想以上に面白かった
奉納するための舞台が神社に存在する
江戸時代から続いている
素人がずっと運営している
その一つ一つが凄いなと思いつつ
「能」そのものも非常に興味がわいた

能は説明過多ではなく
むしろ見る人の想像力を刺激するように
なっているようだ
こういった傾向は自分の好きなパターン
本が好きなのもこれと一緒

そこでまた思い出したのがバイロイト音楽祭
昔バイロイト詣でしたのはヴィーラント・ワーグナーの
真っ暗な動きのない演出による指輪を見ることができれば
と思ったのだが、その年はシェローの超現代的な解釈による
リアリズムに満ちた演出
(以後指輪は想像力を観客が駆使するというより
 演出家の想像力に頼ることになったみたいで
 興味が半減した)

それにしても能には興味は湧いた
その後すぐお能のチケットをネットで探した
割合定期的に行われているようだ
また機会を見つけていくことにしよう
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宗次ホール(リスト編曲のベートーヴェン第5交響曲他)

2013年10月06日 21時14分56秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)
キッカケは中日新聞夕刊
11月のこの地区のコンサート情報
その中に宗次ホールの今回聴きに行ったものが紹介されていた
と言っても中日新聞の記事では記憶に残っているのは
ベートーヴェンの5番の交響曲をリスト編曲のピアノで行う
ということだけ

なにか面白そう!
最近コンサートに行っていないから久しぶりに出かけようか
と急遽チケットを予約した



宗次ホールでは最初あえてプログラムをもらわなかった
プログラムを知らないほうが新鮮に聴けそうな気がしたから

それは見事に的中
最初の曲は知らない曲だった
でも何か日本のメロディーっぽい
2楽章になるとフーガみたいな、ショスタコーヴィッチみたいなテイスト
やっぱり日本人のつくった曲かな?
そんなことを思いながら聴いていた

後でプログラムをもらおうっと
聞きながらずっとそんなことばかり考えていた

二曲目は聴いたことのあるような曲
靄がかかったみたいなこの感じはシューマンかな
やっぱりプログラムで確認しよう

その後はこの出だし、音の使い方、リストに違いない

それからショパンの英雄ポロネーズに
シューマンの靄のかかった音色と比べると
なんと音が前に出るというか響きやすい音楽だろう
ピアノの特性はショパンのほうが十分発揮してる感じ

ということで休憩時に手にしたプログラムは以下のもの


後半、お待ちかねベートーヴェンの5番
CDではリスト編曲のピアノ番の3番と6番をカツァリスで持っているが
聴いてる最中にオーケストラの音が聞こえる(連想して)
さて実演はどうか?

この曲はあの有名な動機・テーマを元に
統一的な構成になっているとか徹底的に展開し尽くしているとか
言われるけれど、聴いている方とすれば感情の爆発のような印象を
拭い切れない

音というより音響
ゲーテが何か文句言ったのもうなずける
音色がどうのこうの言う前に感情が前に前にでてくる

ベートーヴェンの作品では正直なところ5番より
3番のほうが完成度は高いのではと思ったりする

2楽章の途中、不意に第9の3楽章の変奏部分を思い出した
そして終楽章も最後のところでやはり第9のコーダの部分を連想した
やっぱり第9までつながっているということか

やはり実際にコンサート会場まで行って聴くと
いろんなことを感じるものだとつくづく思う

生きていくのに必要不可欠ではないかもしれないが
無いとつまらない世界となってしまう音楽とか絵画(いわゆる芸術)

宗次ホールのフレンド会員に登録したから
いいのがあったらもう少し聴くことにしようかな
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