パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

新しい試みに対する衝動(現代音楽など)

2014年02月16日 09時05分26秒 | 音楽
後出しジャンケンの続き
再び偽ベートーヴェン事件について

後出しジャンケンどころか作品自体を
まともに聴いていないので
あれこれ言うのは反則かも知れないが

曲の解説によれば、そのテイストはショスタコーヴィッチや
後期ロマン派を連想させるようなものということらしい

佐村河内守氏の作曲依頼は現代音楽で
との指示があったが
出来上がったのは聴き手を拒否するような
しかしある意味時代の雰囲気を反映している
難解な音楽ではないようだ

そこで感じるのは本当に現代音楽の作曲家なら
自らそのようなテイストの音楽をつくったかということ
過去に誰かが作った音楽を、なぞるようにつくったか

同じことを繰り返すことへの羞恥心が作曲家には存在し
絶えず新しい何かを求めずにはいられない
それが創造する人間の傾向と思うのはロマンティックすぎるか?

以前小室哲哉氏の音楽が一世を風靡したことがあった
その時に感じたのはこの事、
同じことの繰り返しでこの人は満足で来ていたのか?
ということ
まるでヴィヴァルディみたいにパターン化された作曲法
確かにその時代の勢い、雰囲気を表す某らの表現力は曲に
あったかもしれないが、新しい試みに(歌い手が代わるということではなくて)
挑戦しようと思ったことはなかったのか?
ということ

もっとも商業ベースではそんなことは少しも望まれていなかっただろうし
逆に新しいことをしてハズレでもしたら損を被ることになるから
ブームに乗ったらそのブームの音楽を続けることを最優先したかも知れない

そうした意味では小室哲哉氏は創造への衝動に駆られた人物というよりは
商業的な職人だったといえるかもしれない
そしてこんどの偽ベートーヴェンの音楽も現代音楽というよりは
現代音楽を装った、周辺に物語ありきの商業的な音楽
ということになるのかもしれない

しかし、現代音楽は一部の例外を除いて聴き手のいない世界
それは曲自体に問題があるのか
聴き手の感性がまだ追いついていないのか?

ベルクやシェーンベルク、メシアンをたまに聞いたりすると
確かにバッハの音楽よりは現代の感覚、感情にフィットするように
感じることがある
新しい美の発見などと大げさなことを言うより
確かに時代が共有する気分を表現していると感じたりする

しかしそれには多少の訓練・慣れが必要
そんな訓練や慣れなんて実生活に必要ないから
実際はなかなか現代音楽の裾野は広がらないだろうけれど
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロは結果が全て(頑張る姿を観るのは気持ちいいけれど)

2014年02月16日 08時11分54秒 | サッカー
本田のボローニャ戦のイタリア国内メディア評価は
残念ながら今回も酷いもの
確かに良くはなかった、しかし酷いというほどのことはない
と言うのが自分の印象
ただ存在感がなかったのは事実
無難にこなしていただけでは物足りない
そこには結果が必要
結果とは得点、あるいはアシスト
その他に、もしかして体から感じさせる闘志、オーラを
観るものに感じさせるということが追加されるかもしれない
そして本田から感じられなかたのはその気迫みたいなもの

あるデータによるとあの試合のパスの成功率は
ターラブトよりも高く左サイドが機能しなかったとは
言えないらしい
ただそのパスの相手がデ・シーリオに偏っていて
全体からのパスの数が少ないのは問題らしいが

ところで、最高の評価がなされたのはバロテッリ
しかしあのとんでもないシュートがなかったら
そんなに大したことはないと判断されても仕方ない
だが、紛れも無い事実は1得点したということ

たとえ89分消えていても
最後の数秒で仕事をすれば前のポジションの選手は
評価される
反対にどれだけ頑張っても結果が結びつかないと評価されない

ここで難しいのはその頑張る姿への評価
確かにヘトヘトになるまで献身的に闘志溢れる姿は
見るものの心を熱くさせる
こういう姿に対する評価の大小は国民性に
よって大きく異るかもしれない

日本は頑張る姿を見るのが好きな国民
しかし、イタリア・ドイツは結果を出さない限りは
非効率と評価される可能性がある

実際のところ岡崎、彼の献身的な走り回るところは好きだが
確かに以前は効率が悪かったかもしれない
だが彼の仕事は点を取ることと多少割り切って
プレーし始めると結果がついて回るようになったらしい

フロンターレの大久保もあれこれするより
得点に絡むことに専念するようになって(気分的に)
良い結果を手にすることができるようになったという

さて問題は柿谷について
はっきり言えば消えている時間が多い
しかし、一瞬だけ仕事をしそうな雰囲気はある
ある試合でボールタッチが多く、今日は調子良さそう
と感じた日があったが、そんな日は却って得点できていない
反対に全然あかん!と思うような時
ひょこんと得点したりする

日本代表へのポジション争いでしのぎをけずる大迫は
反対に試合全体で安定したプレーをする
最近得点も増えてきたが、印象としてはシュートを外して
くやしがるシーンが頭に浮かぶ
浜のメッシ斎藤もくやしがるシーンが多そう
サッカーの神様はなんでこんな演出をするのだろう

Jリーグができて20年を過ぎた
確かに選手・戦術は長足の進歩を遂げたと言っていいかもしれない
だが残念なことに観る方の技術(?)は依然として
頑張る姿が好きなだけに終始していないか

それはスカパーではない地上波のテレビの解説が
万人向けに解説をするため、わかりやすい頑張る姿を
解説することに終始しているせいかもしれない

なんだかんだと言っても時間が経てば残るのは記録だけ
その記録に対する謙虚な姿勢こそが
本当のプロの姿勢なのではないか

しかし、頑張っても報われない姿を観るのは
忍びないと感じる日本人は
優しい気持ちを持った、言葉を変えれば甘い精神の
民族なのかもしれない
それがいいのか悪いのか、、、難しい





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボローニャ戦(本田とターラブトとバロテッリ)

2014年02月15日 19時27分29秒 | サッカー
まずは男子フィギアスケートの羽生の金メダル
良かった良かった、というところ

で、今回もその話題ではなくスカパーで見た
ミラン対ボローニャ戦の感想
胃腸炎から回復した本田の様子見を中心に

前回のトリノ戦はイタリアのメディアも
ケチョンケチョンに批判していたが
確かにそう言われても仕方のない内容だった
ボールは来ないし、ボールを取られるし

そうする間に新加入のターラブトが前の試合で
いきなり得点で存在感を示したから
本田にしてみれば名誉挽回といきたいところだが

相変わらずボールは左サイドを中心に廻って
本田になかなか回ってこない
いい悪いを判断しようにもボールが来ないことには
判断は難しい

だが前回よりはミスが少なく
まずまずといったところか
ところがターラブトが若々しく前に仕掛けるドリブルで
存在感と有効な攻撃をするものだから
比較すると目立たない感じ

本田が少し可愛そうなのは右サイドバックのデ・シーニョが
ちょっといろんな面で冴えないこと
本田が上手く使っても
クロスは相手に簡単にぶつけてしまうし
守りもそんなにうまい感じがしない
ミランの守りはイマイチが続きそうな雰囲気

本田はあくまでも比較上だけれど
個の能力で縦に勝負するというより
シンプルに人を使ってパスを主体に攻撃する事が
このチームの中では上手い気がする
ターラブトは入ったばかりのハイテンションが今は上手く
機能しているが、相手も慣れてきた時果たしてどうか?

ただボールの持ち方、キレ、バランスの良さは
これからもやっていけそうと充分思わせる
まるで若い頃のストイコヴィッチみたいな感じ
ストイコヴィッチの方がもう少し長い距離のドリブルする
傾向があるけど

今の感じではロビーニョよりはずっと良さそう

今のミランはまだ個人の力頼りのようだ
ナポリがミランより上にいるのはチームになっていたからだ
といっても、この試合を決定づけたのはバロテッリの
笑ってしまうしかないとんでもない一発

これには正直驚いた
やっぱり化け物的な印象
彼は若いイブラヒモビッチみたい
身体能力、やわらかな足元などそっくり
そして変人ぽいところも瓜二つ
で、この二人自分は大好きなんだが

本田は今回はそんなに悪くはなかったが
目立ちもしなかった
それより心配はなにかおとなしくなってしまった
みたいに見えたこと

彼の場合いつも順調に物事が進んできたわけではないので
このような状況も想定内だろうし
それを乗り越える精神力も有るだろうから
できる事ならそれを早く発揮してほしいと言ったところ

守りの厳しいイタリアのサッカーに慣れることは
日本代表にとっても良いことだから
早く慣れてほしいものだ
そしてなんでもいいから早く得点という結果を出せればいいのだが

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

偽ベートーヴェンと曲の価値

2014年02月14日 19時57分50秒 | あれこれ考えること
今日はソチオリンピックの羽生さんの話題で
持ちきりだからへそ曲がりの自分は敢えて違った話題で

今からあれこれ言うと後出しジャンケンみたいな
印象を受けるかもしれないが、それでも誤解を恐れず
偽ベートーヴェン事件についてあれこれ思うことを並べてみる

まずは、どんな分野の音楽も分け隔てなく聴いて
いいものはいいと判断する傾向があるが(と自分では信じているが)
今回の佐村河内守氏の交響曲1番「HIROSHIMA」は
なぜだか関心がなかった

彼を知ったのは多くの人と同じようにNHKの番組
そこで異様にのたうち回るような人が絞りだすように
音楽を紡ぎだしている、、、
そんな映像だったが、そこで挿入される音楽は
それほどの緊張感を強いるものではなかった様な記憶がある

現代音楽は武満徹でも比較的聴きやすい吉松隆でも
もう少し聴き手に聴くことを強いる力
精神的な厳しさを感じさせるところがありそうなのだが
深刻そうな音形にしてもなにか全身全霊をかけた音楽とは
違う気がしていた
そして風貌、何かを追い求めている人とはどこか違う気がしていた

今だからそう言えるのではないか
と批判されそうだが
それでも自分は勢い、流行にのってその音楽を求めはしなかった
(単に自分の感性が鈍くなっていたせいもあるかも知れないが)

しかし別人の作品とわかった時点で
その作品の価値は低下してしまうものか
(商業的な価値とは別の意味で)
本当に作品自体に力があれば誰がつくろうが
曲自体の生命力はあってもいいのではないのか

難聴の人、正に現代のベートーヴェンの状況に近い人物が
曲を創りだしたと言う事実のみが価値が有るのであって
曲自体について一体どんな評価がされていたのだろう

そういえば、偽作曲家を偽った人物がヨーロッパにもいた
ベルリオーズ、彼は後に「キリストの幼児」で使われる合唱の一部を
パリの宮廷礼拝堂の楽長であったピエール・デュクレが1679年に作曲した
古風なオラトリオの断章」として発表した

悪意に満ちた偏見と先入観に基づく酷評に悩まされたベルリオーズが、
ひとつ先入観の無い批評を聞いてやろうじゃないか
と彼らしい思いつきで裏をかいたというわけだが
これは作品ありきの世界、まずは誰がつくるろうと素晴らしい作品
それがあって次にどんな人が作曲したかの順番となっている

そもそも音楽は音楽自体で評価されるべきと思うけれど
音楽を音楽だけで判断するのはじつはなかなか難しく
結局作曲者の背景や生き方、人生、曲にまつわるエピソードが
曲の解説になってしまうことが多い
そして今回はその典型

はたしてこの交響曲1番「HIROSHIMA」は未来に残る作品だったのか
本当はここからスタートすべきだったに違いない

時々思うことブルックナーの音楽とマーラーの音楽
ブルックナーの交響曲は4番のロマンティックを除いては
あだ名は無く(5番はあったかもしれないが)
単に交響曲〇〇番

一方マーラーは、巨人、復活、悲劇的、夜の歌、千人の交響曲、大地の歌
名前はキャッチーで何となくイメージしやすい
それが本当に曲の理解に役だっているかどうかは別として
音楽の聴衆を広げるのに一定の効果があるのは事実

しかし、問題はそこでわかった気になってしまわないこと
基本的にはやっぱり音楽は音楽で感じたり評価されるべき
だがまた難しい問題が発生する
音楽の素晴らしさはどう表したらいいのか?
結局言葉で表現するということになると
言葉になった時点でどこか違った感じになってしまいそう

思い込みかも知れないが
モーツァルトを好きな人の話を聞いていると
自分もモーツァルトが大好きだが
この人も自分と同じように感じて、その部分が好きなんだろう
と感じることがある
音楽が好き、分かるとはこういったことなのかもしれない
(小林秀雄が言うように)

いつものごとく脇道にそれたが
要は佐村河内守の楽曲とされた曲が
真に価値のある曲だったかどうかということ
現代は余りにも全てが商業ベースで成り立っていないか
少し小言を言ってみたくなったということ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テレビ局の騒ぎすぎ、オリンピック報道

2014年02月12日 19時59分26秒 | 徒然なるままに
オリンピック、メダル獲得はなかなかたいへんだ
今日の朝は、本命の高梨沙羅ちゃんが4位でメダルに届かず
平野歩夢、平岡さんの10代でのメダル獲得で大騒ぎ
仕方ないとはいえ、ちょっと騒ぎすぎのオリンピック報道に
少しばかり辟易としている

なんでテレビ局は、どの局も同じ映像を何回も流すのだろう
ワイド番組の時間帯を替えて同じこと言ってる
前の番組を見られない人がいるから初めて目にする人もいるが
それでも、このTV局中心の無理やり盛り上がりは考えもの

ある選手を追って、その選手がいかに努力して、いかに困難に
打ち勝とうとしているか、こんなに努力しているのだから
報われるはず、、的なニュアンスが多いが
どの国の選手も追っかけていけばそれなりのストーリーはあって
同じように努力もしている
周りだって同じように応援している
それを日本は過剰な期待をメディアが演出する

自分の望む方向に物事が進む
なんてことは、世の中本当に少ない
選手自身も、また応援する方も、、、
勝負の神様は、いつも気まぐれ
努力した人に必ず報いるなんてことはない、、
しかし、後になってトータルで考えた時
初めて神様の意図を感じることができるかもしれない

結果を受け止める
受け入れるのではなく

それがいかに困難なことかは
素人目にも難しいことと思うが
代表として選ばれる時点で他の人とは
異なった世界を見れているはず

といいつつも冷静に見られないのは
仕方ないか!

それにしても、勝手に期待して
勝手に落ち込むテレビ局、、、
もう少し違う方法の放送はないものか
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京の人

2014年02月10日 19時21分16秒 | あれこれ考えること
オリンピックで騒いでいるうち
おまけに大雪で何か勢いを削がれた感じの東京都知事選

東京の人が下した判断は
事前の調査通りの結果で桝添さん圧勝
しかし、今回の都知事選ほど自分が選挙権のない
東京の人間でないことがもどかしく思ったことはない

東京都民にとっては原発の問題は
争点となるような問題ではなく、もっと待機児童の問題とか
明るいオリンピックの話とか景気対策の方が重要との
判断を下したことになる

確かに都政で国政のようなテーマは場違いかもしれない
しかし、東京という町はほとんど国家を代表しているといえる
東京の判断は国の判断とも言えるのではないか

何故だろう、言い知れない不安が頭を過る
これから先も景気が良くならないという出口のない不安と言うよりは、
もっと嫌な感じのする予感

未来の人間から、あの時代、あの時、お前たちは何をしていた
と問い詰められそうな、そんなことさえ思うような不安

原発再稼働だけの問題じゃない
もっと他にも、一人の人間が何かよくわからないその場の雰囲気
勢いみたいなものに飲まれてしまいそうな、、
今は何故か圧倒的に、理性ではなく、感情が不安を支配している

ドイツはナチスをコントロールできると思っていた
しかし、気がつくとすっかりドイツ国内はナチスの思うままになっていた
そのナチスの幹部は醜悪なモンスターかと思えば
いかにも普通すぎるほどの人物だった

これらの歴史は何を物語るか?
物事は知らないうちに取り返しの取り返しの付かない状況に
なってしまうということ
普通の人がとんでもない悪い人物になる可能性が有るということ

東京の人
その判断力が後の時代から批難されるような事が
なければいいのだが


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バロテッリは良い奴?

2014年02月09日 20時02分25秒 | サッカー
ミラン1-3ナポリ
ベンチを映したカメラはバロテッリの涙をとらえていた
感情の起伏の激しい悪童の異名を持つ彼だが
その涙は途中交代の悔しさではなく
この日の自分自身のできに対する悔しさに違いない

この姿を見た時、なぜだか切なくなった
彼はまだ子ども
感情の赴くままのサッカーが大好きな子ども
そんな気がしてならない

だからバロテッリに対する見方は
上手いとか凄いとかというより親が子を見るみたいな
見方をしてしまう
可能性はとんでもないものなのだから
どうやって育てたらいいのか?
自分は監督でも何でもないがミランの戦術などより
そちらのほうが気になってしまう
ほんと、バロテッリは本当はとてつもなく良い奴かもしれない
そんな気がする

話は変わるがチョン・テセも本当に良い奴に思える
男らしくて、たくましくてでもどこか優しい
そんなふうに見える
彼は北朝鮮の代表だけれども
つくづく彼のためにも北朝鮮はバカなことをしてほしくない


さて、ミラン対ナポリ
本田が胃腸炎でアウェイのナポリに同行せず
胃腸炎でなくてもこの間のトリノ戦の出来では
イタリアのメディアの言うようにスタメンは疑問だった
かも知れない

代わりにスタメン出場を果たしたのが
本田のライバルとされるターラブ
そのターラブがいきなり結果を出す
自分でドリブルで仕掛けてコースを狙った上手いシュート

結果を出したと言う時点で本田はちょっと劣勢に立ったかも
このターラブもヨーロッパ人らしく我を通すタイプぽい
彼と比べると俺流の本田はまだ人に合わせるプレーをするほうかもしれない
ただターラブのようなプレーはうまくいく時はいいけど
一歩間違うとチームのバランスを崩しそう
カカはいいけどロビーニョとターラブでは攻撃が
パスを回す傾向ではなく、その分バロテッリがボールを触る回数が減りそう
単なる感じだけだがバロテッリは本田のほうが
相性がいいような気がしないでもない

カカは流石に誰とでも合わせられそう

しかしミランの守備は酷いもんだ
縦パスは気楽に通されるし
DFからのフィードは酷いし
スペースは潰していてもボール保持者との間隔が
開きすぎて決してボール奪取が出来ないし
(はじめからその気もないようだが)
その結果、相手はそんなに慌てなくても済む

これは攻守が入れ替わってミランが攻撃の際の
ナポリの守備と比較すると歴然
ナポリはボール保持者にここぞという時は厳しく行く
ミランはスペースを消しているだけ
これじゃミランの浮上は難しいかもしれない
(と素人目に映る)

ミランの中ではバロテッリとカカとモントリーヴォが自分の好み
モントリーヴォは時にミスするけど
岡崎みたいなひたむきさが心地よい
ミドルのシュートもいいし、、
本田にもパスを供給してくれるし

本田はいつだって逆境から這い上がってきた
そこからスタートするほうが彼らしいかも知れない
今は入団当初のテンションが上ってた時期を過ぎて
一旦落ち着いて、体を治して
それから自分らしく我を通して頑張れ!
あの繊細な左足のキックはあの中でも魅力的に見える


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅田真央の体型の変化

2014年02月08日 20時11分04秒 | あれこれ考えること
オリンピックは4年に一度
サッカーワールドカップも4年に一度
めったにない大会ということで
人の持っている運不運が大きく左右する

一生のうちでは時間が解決し
耐えられる問題かもしれず
後になってみればその結果で良しと
自ら納得できるようになっても
結果がでた瞬間には理不尽なほどの
残酷と思える感情を人に与えてしまう
事が少なくないだろう

金メダルをとった人が
その後幸せな生活を続けられるかは
保証できていないのは事実だが
それでも、できる事なら順当な結果を
与えてあげたいと思うのは多くの人の望むこと
もっとも世界中の皆がそう思っているのだから
結局はえこひいきのような結果はもたらせれなくて
一見偶然みたいな結果に落ち着くことは
仕方ないことかもしれない

ワールドカップに日本が初出場の時
KAZUがもう少し若かったら、、

トリノオリンピックの時
浅田真央がもう少し早く生まれていたら
結果は結果は違っていたと思う

バンクーバーの時のキム・ヨナと浅田真央の戦いは
素人目に見てもキムの圧勝の印象
大人と可愛い子どもの戦いのようだった
それは浅田真央だけの責任というよりは
可愛い子どもの姿を求める日本の国民性にも
あったかもしれない
一方キムはプロフェッショナルな大人
選曲もプログラムも勝つための戦略がなされていた

さてその4年後の今年
浅田真央をしっかり見ているわけではないが
その体つきは明らかに大きく重そうになっている
もちろん鍛えているだろうけれど
それ以上に女性らしい体型への変化が目立つ

今度の会場はロシア
大会に出てくるのは地元の若く
まるで反則のように体の軽い選手
若さの勢いに乗れそうな選手
ホームのアドバンテージもあって
案外伏兵の若い選手が活躍してしまう可能性もある

この4年の変化はこと競技という点では
必ずしもプラスにはなっていないのではないか
と思ってしまう(素人目には)
体の軽さを活かした回転だけが
勝負のポイントではないかもしれないが
それでも軽いほうが楽そうに見える

それにしてはキム・ヨナの体型は
そんなに変わっていないみたいと思えたのは
よく見なかったせいか、それとも彼女は太りにくいタイプなのか
それともまたプロフェッショナルな意識で
しっかりと体格コントロールしているのか

4年間は大きい
競技だけの問題ではなく
この4年間どのように生きてきたか
その人間性が試されるのかもしれない










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

話せば分かるか?

2014年02月06日 20時15分22秒 | あれこれ考えること
外国から自分がどのように見られているか
どのような人物像としてイメージされているか
安倍首相は関心がないらしい

日本国内にいるとゆっくりと変化しているみたいで
気づかないこともあるが
ちょっと外から眺めてみると
外国(メディア)の指摘が案外当たっているかも知れない

特定秘密保護法案の強行採決
靖国神社の参拝
侵略の定義はまだ正確にはなされていないなどの発言
PKO活動での韓国軍隊への銃弾の貸与
積極的平和主義の標榜
憲法96条の改正への思い

客観的に見ればこれらの言動・行動は
確かに右っぽく見られても仕方ないかもしれない


アメリカでさえ非難轟々の靖国神社参拝だったが
「しっかり説明をすれば理解していただける」
と安倍さんは繰り返すだけ
そこには、自分らの言ってることは間違っていないから
話せば分かると言う前提がある
しかし、それが通じるのは相手に聞く耳が有るときだけ
聞く耳がないときにはそれは通じない
通じないどころか、それを否定する理由をしっかり探して
全面的に反対するのがオチ

こんなことは実生活上どんな大人も経験すること
自分が正しいと思うことを表現するのはいいが
好ましい結果を得るには
その方法をもう少し考えないといけない

靖国は日本のために命を落とした人々に
御霊安かれと祀るところで
リーダーとしてその人達に手を合わせるのは
人として当たり前で同様なことはどの国も行われている
が安倍さんの理屈

しかし戦争を始めた人、捕虜にひどい仕打ちをしたとされる
A級戦犯者がそこに祀られている以上
その人達にも「ご苦労様でした」と手を合わせるのには
日本人としても何か割り切れないものが残るのではないのだろうか

そのA級戦犯が不公平な裁判で決めつけられているにしても
戦争を起こしてしまった事実は変わらないし
日本が敗戦国であり、勝者の理屈に沿わなければならないのは
仕方のないこと

しかし、勉強不足かも知れないが何故A級戦犯の人と
戦争の犠牲者と一緒に祀られているのだろう
分祀すればいいと思うのは自然の考え
なにがそれを阻止しているか分からない
神様のことを人間が簡単に都合よく決めてはならない
とでも言うのだろうか?

日本人にも納得できる説明ができるのだろうか?

安倍さんのFacebookに靖国参拝をした時に
「いいね!」が沢山あったという
いいね!をした人は
日本のために命を犠牲にした人に
手を合わせるのになんで外国からあれこれ言われなきゃ
いけないのだ!
日本のことは日本で決めて何が悪い
くらいが(想像するに)考えたことではないのか
彼らは今の靖国に参拝することは
戦争を始めた人にも手を合わせている
と言う事実をどのくらい重要視しているか大いに疑問

何も外の国のご機嫌を見ながら行動しなければならない
というのではない
ただ客観的に理屈の合わないことを続けることは
外国の人々には説得力はないだろう

話せば分かる
聞く耳が有るかどうかだけでなく
そこには自分だけが絶対正しい
といったおごりの姿が見えないか?

ここの部分が何となく安倍さんの行動に見え隠れするので
他国の人はちょっと距離をおいているように見える
と感じるのは少し言い過ぎか?

気をつけないといけないのは
時代は知らないうちに変わってしまうということ
ドイツはナチがあんな風になるとは思っていなかった
それどころかブレーキをかけることはできると思っていた
しかし歴史はそうではなかった

歴史から何を学ぶか
他人の経験を自分の経験として
想像力を働かせて危機は未然に防がなければ

正直、時代が少し悪い方向に進みそうな気がするのは
いらぬ心配か?(そうであればいいが)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユーラ・ギュラーの弾くベートヴェン32番のソナタ

2014年02月05日 20時39分58秒 | 音楽
つくづく便利な時代になったものだと感じる
最近シャコンヌと言えばバッハではなくて
ヴィターリの方が感情的に濃厚な感じがして
Youtubeでいろんな演奏者を聴き比べている

CDで持っているオイストラフ以外にもサラ・チャン
ハイフェッツ、ジノ・フランチェスカッティ、シェリングなどなど
冒頭を聴くだけでもそれぞれの音色と感情の濃さ、個性が充分に感じられて
非常に興味深い

そのYouTubeの画面の右側におすすめの動画が出てくるが
試しに聴いてみたのが

ユーラ・ギュラーの弾くベートーヴェンの32番のソナタの第2楽章

これは思わぬ拾い物、素晴らしい
もともとこの曲、楽章は大好きで
聴き比べのためにいろいろ持っている
バックハウス、ケンプ、ポリーニ、アラウ、グルダ、リヒテル、
グレン・グールド、ウゴルスキー、ブレンデル
今までは一見さらっと弾いているようだが、ちょっと別世界に行ってる感じの
バックハウスが気に入っていたが、これを見たら(聴いたら)圧倒されてしまった

なんという深い音楽(そういう表現しか思い浮かばない)
と言って感情過多に思い入れたっぷりというのでもない
音楽の求めるニュアンスと浮かび上がるべき旋律を
絶妙なバランスで歌い上げている
何度も聴いたこの曲にまだこれだけの聴きどころがあったのかと
一気に18分ほどを体験
あっちの世界に行ってる感じはしないが
それとは別の広くて深い世界が繰り広げられる

このピアニストは全然知らなかったが
せっかくYouTubeに別の演奏もアップされているから
楽しむことにしよう

それにしても、素晴らしい演奏
音楽を聴くこととは実生活の体験と
同じように心のなかに何かを残すものだと
つくづく感じてしまう



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする