パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

イニエスタがやってくる

2018年05月18日 19時04分27秒 | サッカー

FCバルセロナで一番好きなのはメッシでもなくイニエスタだった
メッシより得点能力は劣るかもしれないが、一つ一つのプレーがとんでもなくうまい
スルスルと抜けるドリブル、ダブルタッチで交わす、そして気の利いたタイミングと正確なパス
メッシがいなかったらいつかバロンドールをとっても不思議じゃないと思ってた
(と言うより採らしてあげたいなと言う気分)
チャンピオンズリーグの準決勝でチェルシーとの同点ゴール(これで決勝進出となった)
ワールドカップの決勝オランダ戦の決勝点
これらがイニエスタのお手柄だったのが嬉しかった

イブラヒモビッチがバルセロナにいた時、ペップと上手くいかなくなった時も
穏やかなイニエスタはイブラヒモビッチの気持ちを汲んだ発言をしていて
本当に良いやつ!と感じさせた

そのイニエスタが日本にやってくる(ヴィッセル神戸に)
その報道を知った時、早計に喜んで後でがっかりするのは嫌だから
喜ぶのは我慢していた
ところが、どうやら本決まりのよう

イニエスタは身長もそんなに高くない
日本人と同じようなもの
でもあの厳しいリーガでやってきている
日本で生に見れば日本人選手は驚くだけでなくきっと参考になるだろう

イニエスタ、楽しみだな
地元のグランパスとの試合は11月2日にあるみたい
怪我をしないで欲しい そしてできるだけ長く見せて欲しい
ほんと楽しみ

イニエスタの動画
【イニエスタ】トラップ・ダブルタッチで観客を魅了する最高のフットボーラー Vol.1 / Barcelona best player / super skills / Andres Iniesta

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ドイツの森林官の話を聞いた

2018年05月17日 08時23分26秒 | 徒然なるままに

昨年読んだ本の中で圧倒的に面白かったのが「樹木たちの知られざる生活」ペーター・ヴォールレーベン
樹木やその他の生き物に対する優しい眼差しと、それらが織りなす多様な世界を素直に驚きを感じる感性が
とても心地よくて、この人の森林管理官、、というものに少しばかり興味をもった

するとつい先日(5月15日)「ドイツに学ぶ多機能森林業」なる催しが新城市の文化会館304号室で行われた
講師はドイツシュヴァルツヴァルト地域の森林官ミヒャエル・ランゲ氏

森林管理官と森林官、、どう違うのか、とかは気にならず、とにかく面白そう、、ということで
時間ギリギリで会場に着いた

だが少し失敗をしてしまった
ボールペンは持参したがノートとか紙は持っていない
せっかくの面白そうな話だが、最近怪しくなりつつある記憶に頼りるだけになってしまった
(この状態はとても不安で官僚さんたちがメモを取らないなどとはとても思えない)

ランゲさんがドイツ語で話す、それを同時通訳で紹介する
パワポを使いながら約一時間の話は想像通り興味深いものだった
でも残念ながら時間が過ぎて今覚えているのはやはり少しのことだけ
その筆頭は「意志あるところに道はある」みたいな話
この意味するものとは多少意味合いが違うが、とにかく「道」が重要と訴えた
その道とはただ通るだけの道ではなく、道幅は車が通れる広さを確保したもので
伐採した木材を道までウインチで引っ張ってそこから運搬しやすくできる機能的な道
(ただし車の利用は限られた人だけ)
そしてこの道はこうした機能的な面だけでなく、森林浴を求める一般市民にウォーキング・ジョギング
サイクリング・乗馬といったレクリエーションに手軽に使われるとのこと
これは山道をハイキングするのとはかなり違い、本当に子どもでも楽しめそうなコースだった(動画では)
(多機能森林業とは保全・木材の安定供給・憩いの場としての森林を維持すること)

森に入った時の心地よさ、例えば新録の季節に入った時の木漏れ日、サワサワと風に吹かれて葉が擦れ合う音、少し湿り気を含んだひんやりした空気
鳥たちが耳が慣れてくると本当にいろんな種類の鳥たちの鳴き声が聞こえる様
これらはドイツ人でなくても想像がつく
森はグリム童話やヴァーグナーの楽劇などでもその舞台として登場する
ドイツ人にとっては原風景のようなものだろう(そして鳥の声・白鳥の存在も)
その森を楽しむために快適な道
道を作れば何かが起きる(いろんな考え方が浮かぶ)、、講師のランゲさんはそうやって説く

道が有効そうなことはわかった
しかし森は自治体ばかりではなく、それこそ数多くの私有林から成り立つ
日本でも道を作ろうとしてもその一人ひとりにあたって交渉していかねば、、と考えると
理想(夢)はいきなり現実の世界に戻される
だが市有林の多さは日本だけのことではなくドイツも同じこと
ドイツ人はコツコツと時間をかけて一人ひとりを説得して(100年先を考えて、何十年かけて)道を作る
道を作るという意志があって、道ができる、、ということで上にあげた文章をあげたのだが
このコツコツやっていく計画性・意志の力は日本人は苦手な分野かもしれないかもしれないが
学ばねばならないことだろう

このイベントの最後に主催者が、「参考になるいい話は聞いた、勉強もした、問題はそれを誰がやるかだ」
と締めたが、まさにその通りで地方活性化でも市街地の活性化でも「誰がやるのか」が一番の課題
でもこれらを実現するのは少しばかり変人の評価の有りそうな「ばか者」かも知れない
その上で、その話乗った、、のような賛同者が増えていくと良いんだが、、




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新城 設楽原歴史資料館 ふみの蔵コンサート「レコード&CD音楽鑑賞会」

2018年05月13日 10時45分23秒 | 音楽

5月の晴れた一日の出来事
別のブログからのコピペから

DMも来ていたし、防災無線でもお誘いの放送が流れていた「ふみの蔵 レコード&CD 音楽鑑賞会」
昨日(5月12日)新城市の設楽原歴史資料館に出かけた
希望の方は手持ちのレコード・CDを持参くださいとあったので、気合を入れて数種類選んだが
その場の雰囲気で、どれかひとつくらいはかけてもらえればイイや、、との思いだった

会場はそれほど多くの人はいなかったが、年配の方が多く(自分もそうだが)見知った顔がチラホラ
類は友を呼ぶというが、本当に似たようなタイプの人が集まるもんだ

今回は設楽原歴史資料館が、東京に住んでいる音楽好きの方が行っているレコード&CD音楽会を
新城でも開いて欲しいとの希望で行われたもの
オーディオ装置を積んで東京からはるばる新城まで、ご苦労様というところ
装置は少しばかり年季が入ったもの(1980年代)で、音質を聴くというより音楽を楽しむという部類
幸いイベント中機械はご機嫌斜めにはならずにいてくれた

最初のプログラムは、本田さんといわれる東京の方がこの地区に合わせて持参していただいたレコードを聴いた
冒頭はお耳慣らしに「スター・ウォーズ組曲」
例の特徴あるテーマが映画の場面を想像させながら朗々と響く
ついで、この地区(愛知県)に関連する人たちのレコードをかけた
舟木一夫「高校三年生」ザ・ピーナッツ「ウナ・セラ・ディ東京」チェリッシュ「なのにあなたは京都へゆくの」
この他にも島倉千代子「この世の花」いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」伊東ゆかり「小指の思い出」
懐かしい曲のオンパレード
だが、知っている曲をこうしてじっくり聞くと2つのことが印象に残った
ひとつは「声がみんな若々しい」ということ
当たり前だが時が経てばみんな歳を取る
最近聴いているこのての懐メロは、現在の年齢の声でテレビ等で聞く
そんな時は、ただ懐かしいな、、くらいの印象だが、昨日のは「みんな声がみずみずしくて張りがあって若々しい」とつくづく感じた
これは録音時が若いということを知っているからではなくて、多分何も知らない人が声だけを聴いても若い人が歌っていると感じただろう
若い人の声はどこか悩んだところの無いような、、屈託の無さが、どこか声に現れる
そしてもうひとつ感じたことと言えば「丁寧に歌っているな」ということ
プロとして十分訓練されて、ニュアンスも発声も、、時間がかかって身につけたものだなという印象を得た
(最近の歌はリズムで勢いで歌ってしまえるから丁寧さは気づかない気がする、でも本当は最近の曲は知らないのだが)

このあと、カシオペアのレコードを聴いて、設楽原歴史資料館の館長の歴史の話(岩瀬忠震)を聞いて
来た人が持参したソフトをかけることになった
懐かしいブラザース・フォアの「7つの水仙」ジョーンバエズの「ドナドナ」ウエスト・サイド・ストーリーから「トゥナイト」、、、などなど
そしてこの日のために名古屋から来られた方が持参したインディーズの打ち込みを多用した音楽のCD
(この方はどうやってこのイベントを知ったのだろう)

ところで自分の手持ちのソフトは、、、
持っていったのは長そうなものが多かったので、比較的短くて聴きやすそうな(?)でも、もしかしたら雰囲気に合わないかもしれないと思いつつ、
是非とも知っておいて欲しいという意味でモーツァルトのピアノ協奏曲23番の第2楽章をかけてもらった
程よい広さ、高い天井、よく反射する壁材、、その中で繊細なピアノはてても美しかった(すくなくとも自分の耳には)
会場にいた方々がどんな風に思われたかはわからないが、かたっ苦しいイメージのクラシックもこんなにいい曲があるってこと、
そしてそれを知ったら儲けものだ、、、と思うのだけれど、、

ふみの蔵コンサートは次回は7月14日に行われるとのこと
今のところ予定は大丈夫そうだが、、、

ところでピアノ協奏曲23番の第2楽章の動画はこれ

美人のエレーヌ・グリモーの演奏のもの


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東京は江戸

2018年05月11日 09時59分32秒 | 徒然なるままに

 「I live in tokyo」を過去形にしなさいと言う問いに「I live in Edo」
と答えた無邪気な有名人がいるらしいが、自分たちのような地方の人間が時々東京に行くだけだと
東京の地名やその位置関係などは把握しておらず、たまたま居る場所が聞いたことがある地名
であったりするといきなり分かったような錯覚を覚える
「八丁堀」「築地」「桜田門」「神田」「浅草」、、これらはよく耳にする地名
だがどのように耳にしたかと言えば「時代劇」、、
銭形平次の舞台やその他の時代劇に出てくる地名だ

4月、5月と東京に足を伸ばして、改めて地図を見てやっと位置関係を頭に入れたのだが
そこで感じたのは、東京は江戸だな、、ということ
最近は「新宿」「六本木」「赤坂」「永田町」「霞ヶ関」などの時代劇とは関係のない
地名を聞くことが多くなっているが、どうも印象としては江戸時代の地名がしっくりくる

東京の基本は江戸(幕府)なんだろうな、、文化も食事も多分家のつくりも、、
「都」の文字が使われている京都と比べると、その文化は少し違う
同じような日本庭園も、例えば旧古河邸の庭の日本庭園の部分も、日本庭園らしい雰囲気はあるが
京都のどこか張り詰めた緊張感のある庭と比べると少し緩慢な部分があるように感じる
隅から隅まで気が配られている京都と違って、どこか真似事のような雑さ
あるいは思い切り派手な技術志向の芸術作品郡

やっぱり東京は武士を中心とした都市の面影
でも流石に明治維新からこれだけ時が経過すると、最近の進歩の馬力が強くて
近代的な大都市のイメージが強くなってきた
だが、東京は江戸としての遺産を十分活かしているのかな、、
最新のイメージばかりじゃもったいない、、
外から見てると、そんなふうに思えてくる

それにしても東京の夜は遅い
午後10時の電車もまるで8時位の感じの乗客だった(GWにに乗った時の印象)
活気があるといえばそうかもしれないが、自分は、、、パス、、
やっぱり夜は寝るものの田舎が良い

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目力(天才と実務家の)

2018年05月10日 10時10分45秒 | Weblog

何年か前ピカソ展に出かけて、不意に感じたことがあった
それはピカソがきわめて若い頃描いた自分の肖像画を見たときのことで
何よりも鮮烈に覚えているのは、その目の力だ

子どもでもなく大人でもない
なにか何か遠くのものを見ているような、この世ではない何かを見ているような目
まさに天才の雰囲気を感じさせるものだったが、不意に感じたのはこのことではなくて
「モーツァルトの目に似ている」と連想したことだ

モーツァルトの有名な肖像画も、よく見るとその瞳はどこか遠くのものを見ている気にさせられる
大きな瞳、その瞳の奥の脳にははどんな感情やら思考が収められているか、、
そんなふうについつい感じてしまう

この何処か遠くを見ているような瞳の持ち主をもう一人知っている
それはフルトヴェングラーだ(カラヤンの前のベルリン・フィルの指揮者)
彼の若い時の、ジョンレノンに似た風貌の写真は、その瞳は夢見がちの
やはりこの世ではない何かを見つめているかのよう(探しているかのよう)

そんなふうに感じるのは全く個人的なことだが、そのように感じられる自分が
実は少し気に入っている
(思い込みが激しいタイプってことかもしれないが)

ところでこの目の力ということでは、確認したいのが京都太秦の広隆寺に収められているある像
広隆寺と言えば国宝の弥勒菩薩半跏像が有名で、それはとても美しくてその神秘的な微笑みは
眺めている時を忘れてしまいそうな気にさせるが、確認したい像はこの像ではなくて「秦河勝」の像

秦河勝は「秦氏」の親分というか代表的人物
渡来の秦氏の基礎を作り上げた人物(多分)
秦氏一族を異国のこの国でなんとかしようとするような気迫とか迫力がこの像から感じられた

もう一度見たならば同じように感じるか、、とちょっと確かめたい感じ
でも、二度目はそんなに感動しないかもしれない、、
ゴッホのひまわりも、フルトヴェングラーのお墓の前でのことも、がっかりすることのほうが多かったから
だが今度の京都いくときは、広隆寺へは脚を伸ばそう
そして、蚕の社の三柱鳥居ももう一度見てみよう、、

毒にも薬にもならない話、、

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三者三様の変奏曲(モーツァルト・バッハ・ベートーヴェン)

2018年05月08日 17時13分47秒 | Weblog

先日のラ・フォル・ジュルネで楽しいピアノ曲を聴いた
誰でも聞いたことのありそうな曲でタイトルは「きらきら星変奏曲」、モーツァルトの作品だ
変奏曲というのだから冒頭のテーマがいろいろ変奏される
それらを耳で追い、次はこうくるかな、、と想像しながら聴くと興味は倍増する
Youtubeの動画を探すとこれが見つかった

モーツァルト「きらきら星変奏曲」(フィリップ・アントルモン)

モーツァルトの変奏はとても自然で、それでいて多彩で、聴きやすくて楽しいが
ラ・フォル・ジュルネでこの曲を聴いていた時、何故かバッハの変奏曲を思い出した
バッハの変奏は真面目いっぽんだな、、と
その時思いついたバッハの変奏曲が「パッサカリアハ短調」
変奏曲ではゴールドベルク変奏曲よりも好きで、例のシャコンヌと争うほどだ

バッハ:パッサカリア ハ短調 BWV582

最初の低音の音形が何度も繰り返され、その上で様々な変奏が展開される
こうして動画で聴いていても真面目な曲だな、、と感じる
中身がぎっしり詰まっていて、襟を正して聴かねば  とさえ思う

そしたら今度はベートーヴェンの変奏曲はどうかなとついつい連想してしまった
そこで引っ張り出したのが 32番のピアノソナタの第二楽章
Youra Guller plays the 2nd Movement of Beethoven's Piano Sonata #32, Op. 111

動画はユーラ・ギュラーの演奏
とても神秘的な幻想的な音楽、冒頭からどこか別世界の雰囲気を感じさせる
ただ変奏と言うものの、最初のメロディはちょっとばかり何処かに行ってるような気がする(素人には)
モーツアルトの変奏とは明らかに違う
とても技術的だがバッハの技術とも違う
ということで、作曲家の個性とか特質を改めて感じる次第

ちなみに、実演ではバッハのパッサカリアだけ生で聴いたことがない
空間に響き渡るオルガンの音は録音ではカバーしきれそうにないから
機会があったら生で聴いてみたいものだ
というわけで、毒に薬にもならない話、、

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ラ・フォル・ジュルネ(5月4日に聴いたプログラムの感想)

2018年05月06日 10時15分18秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

5月4日は3つの公演を聴くつもりだった
しかし、ネット予約で会場が池袋のをどういう訳か選んでしまったせいで
有楽町と池袋の往復などでは時間的に2番目のプログラムを聴くのができず
諦めてそのチケットは池袋に行って、チケットを求めている人にあげて
チケットが無駄になるのを避けた

前日の後半から集中して聴ける態勢になりつつあったが心配事があった
というのは、夜型人間ではない自分は普段床に入っている時間に
ホテルを目指して歩き回っていたからで、結局寝たのは12時過ぎ
おまけにあまり良く眠れなかったので演奏中眠くなるのでは、、というのがそれだ

朝早く聴いたのがこのプログラム

今回のラ・フォル・ジュルネの演奏会、購入したプログラムの演奏家はみんな知らない
評判の演奏家か、これから勢いが出る人なのか、それとも演奏活動始めたばかりの人なのか、、
良く言えば偏見なしに聴ける状態で臨めるわけだ
最初のマズルカの音を聴いてまず驚き気づいたのはピアノのタッチ(打弦)の強靭なことで
この人はロシア系の演奏家に違いない、ロシアのピアニストの音だと感じた
(プログラムの冊子の演奏家の説明は読んでなかった)
強靭なタッチはまるでピアノを壊すのではないか、、とさえ思うようなことになったが
昔名古屋で聞いたアシュケナージのピアノもそんな風に感じたのを思い出した
彼らはピアノと仲良く戯れると言うよりは力づくで音を鳴らしきる感じ
音が沢山重ねって盛り上がるところは全部が全部きれいに鳴り切っているかと言えば
少しばかり力任せで濁ってる(?)ようなところもあった印象
ただどういう訳か、この人の演奏で感じられる感情の濃さはドストエフスキーの小説の登場人物の
生命力に通じるものがある、これがスラブの血なのか、、とも勝手に連想
ところでピアノの音色は個人的にはロシア系は少し苦手な感じ
この人アンドレイ・コロベイニコフは、もしかしたらベートーヴェンの32番のような曲は
演奏しないのではないか、、とも根拠のない連想が浮かんだ
ピアニストはショパンを弾く人とそれ以外の人と言われるようだが、この人はショパンを弾くタイプなのだろうと想像した
プログラムで案外面白かったのはラフマニノフのコレルリの主題による変奏曲
多彩なピアノの音色を駆使してロマン的な世界を作り出している
しかし、途中から長い曲だな、、との少し飽きる感じも、、
そこで改めて感じたのはベートーヴェンの一曲をまとめる力の凄いという事実
この曲の終わり方はどんなふうなのだろうか、、と興味が湧いたがなかなか終わらず
思いのほか中間部ほどの充実感はない終わり方、、
しかし、何よりもピアノのタッチが強靭だったという印象は後々まで残るだろう

この日2番目のプログラムは

大好きなモーツアルトをメインとしたプログラム
ドン・ジョヴァンニの序曲が始まるやいなや
あれっ、との思いが
最初の音の低弦があまり良く聞こえない
席のせいなのか(前から5番目)演奏のせいなのか、どっちなんだろう
オーケストラは3日のエロイカと同じで指揮者が違うがどうもオーケストラの音が違う
エロイカのジュリアン・ラクリンの方が今回のラルス・フォークトよりもとんがった音色
自分の好みとしては音楽をより楽しめるこちらの方が好きな感じ
メインの「プラハ」は39.40.41番の交響曲よりも好きと感じる時がある
変化に富んだ音楽でリズムの生き生きとしていること
楽器間の受け渡し、会話、モーツアルトの音楽的アイデアがいたるところで聴き取れて本当に楽しい
でも心配した睡魔が、、、

ということで今年のラ・フォル・ジュルネは終了
音楽を聴くのには体調や聞く態度の慣れも必要なんだと改めて感じる次第
しかし、これらの印象は何年後どのくらい覚えているだろうか
(覚えていそうなのは、冬の旅のピアノ演奏が良かったことと、
 アンドレイ・コロベイニコフのタッチの強靭だった印象かな、、)

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ラ・フォル・ジュルネ(5月3日に聴いたプログラム感想)

2018年05月05日 09時10分08秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

何年か経過した後、何を覚えているか、、その時感じたことがそのまま記憶に残っているか、、
年齢のせいもあって、なかなか自信のない事柄だが、とりあえずせっかくお金と時間をかけて
東京まで出かけたのだから、忘れないうちに備忘録として残すことにしよう

一冊の本を読んで2.3箇所覚えていれば、それで良しとの話があるが、この考え方はとても安心できる
昨日一昨日の出来事も、結局は2.3の記憶しか残らないかもしれないかもしれない
でも、それはそれで仕方ない

一昨日、昨日とラ・フォル・ジュルネ2018に出かけた
幾つかの会場に分かれていたが自分が出かけたのは東京国際フォーラムで行われた方
一昨日の3日は4公演、昨日の4日は2公演(ちょっとした手違いで1公演は聴けなくなってしまった)
約一時間以内の演奏会で料金も抑え気味のこの催し、ネットで予約して気になるプログラムを選んだ
選ぶのは演奏される曲、プログラム主体で演奏家の良し悪しではなかった
というより、最近は以前のようにレコード芸術のような本は読んでいないので、演奏家等の情報がほとんど頭の中にない
演奏家の情報がないので演奏の聴き比べと言うより曲そのもの、どのような思いのこもった曲なのか、、
と言った方面に関心がいく

最初に聴いたのは

ベートーヴェンの英雄(エロイカ)がメインのプログラム
この曲はラ・フォル・ジュルネの一番最初の年、テーマがベートーヴェンの時
やはり一番最初に聴いた曲だ
その時聴いて覚えている感情は「これを作曲し終わった時のベートーヴェンは嬉しかっただろうな」
という妙な思い
野心に満ちた作品を力づく、奔放な想像力で見事に作り上げた達成感はどんなものだったろうと
いかばかりのものだったのか、、と思っりした
さて今回の演奏、まず気になったのはテンポが速かった
1時間以内で2つのプログラムとなれば、それは予想されたが、想像以上に速かった
最近はこのくらいの演奏が多いのかどうかは知らない
その他で気になったことは管楽器の音が目立った
そんなに大きくない編成のせいなのかどうかはわからないが、普段よりもフルート・オーボエがよく耳に入った
それとティンパニの音  これもまるで音程楽器のようにメロディの一部のように、しかも乾いた音で大活躍
体全体で指揮する若い指揮者で、若さが要求するテンポとか音色感なんだろうか、、
でも少し残念なのは音楽よりは記憶に残っているのはこうした些細な事柄、、まだ聴く態勢ができていなかったのか

二番目は

ピアノの夜想曲をテーマとしたプログラム
夜想曲の元祖といわれるフィールドとショパンの予想曲を交互に並べたもの
この時間帯のプログラムはやばかった
合間の時間に昼ごはんとビールをネオ屋台村でお腹に入れたものだから眠くて眠くて、、
最初のフィールドを聴いてショパンを聴いて、、、
フィールドは叙情的な面もわかるが、名を残した作曲家と比べて尖る才能にかけるような普通の印象
ショパンのほうがセンスが良いというか、どこかちょっと違う感じ
でも、眠くて、、よく覚えていない(ほんと失敗、、でも良いか、こういう楽しみ方も)

三番目は、大好きなモーツァルト

一番の楽しみはK304
その第2楽章のさらっと流れていく悲しみ、、その美しさ、、これがどんな風に演奏されるか
そこは聞き逃すまい、、と思っていた
この曲は第一楽章からヴァイオリニストは気合が入っていたように感じた
細めの小柄な女性で、音色も豊かな方ではない
でも気持ちと言うか情熱というか、、どこか熱いものがヴァイオリン・ソナタはピアノとヴァイオリンとの
対話とか競争なのだとも感じる瞬間があった
ヴァイオリニストは曲に沿ってとても自然にまるで踊るように身体を動かし
場所を移動して、ピアノとの対話を繰り返す
その瞬間、、モーツァルトはいいなあ、、といつもの感覚が頭をよぎる
そして2楽章の冒頭、、モーツアルトの母がなくなった時に作曲されたということを
フト連想させる淋しい、美しい瞬間、、そこには思わずわかっていても涙が出そうな自分がいた

一日目最後は冬の旅

開演前にネオ屋台村での時間つぶしでお話した女性が、この歌手はイケメンで
女性は楽しみにしてると思う、、などと言われたものだから
始まる時は興味半分にご尊顔をちょっと注意して見てしまった

一曲目の「おやすみ」が始まるとピアノが心地よい
これこそは高校時代に音楽の時間に教師が演奏したのを思い起こさせる
宗次ホールで聴いた冬の旅は高橋悠治のピアノでとんがって違和感があったが
今回は本当に曲の流れとか歌詞、雰囲気に沿って、まるでシューマンやヴォルフの曲の
伴奏みたいに雄弁に、しかも出しゃばらず心地よかった
で歌手の方はと言えば、何よりも驚いたのは声量 声の大きさ
ドイツリート、しかも失恋のせいでの冬にさまよう男の絶望に満ちた内容というのに
この元気は馬力のある歌は、、ちょいと驚いた
この主人公の悩みは、いつか時とともに忘れられる一過性のもの、、
しかし確かに生きている若者の肉体的な苦痛を伴う悩み、、みたいなものが感じられた
短調の多い曲の中で「菩提樹」とか「春の夢」などはホッとさせる安らぎを感じさせる、
そして中間部は声の音色を変えて、、レコードのフィッシャー=ディースカウもこんな風にやってたな
とつい思い出した
でもこの「冬の旅」は伴奏のピアニストがとても気に入った

ということで、自分にとっての一日目終了
聞く耳になるのは少しばかり慣れが必要だったのかもしれない
後半は前半よりも集中できた気がする





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明日はラ・フォル・ジュルネ

2018年05月02日 20時11分04秒 | 音楽

振り返ってみたら前回出かけたのは2009年だった
その年のテーマは「バッハ」
しかし、情けないことにどんなプログラムでどんな印象だったのか全然覚えていない

今年9年ぶりに出かけるラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日音楽祭)
東京国際フォーラム会場で3.4日で7つのプログラムのチケットを手にしている
エロイカとモーツァルトのヴァイオリン・ソナタのプログラムが楽しみ
シューベルトの「冬の旅」も少し前に聴いたばかりなので比較ができる
あとはショパンがあるが、本当はショパンは得意じゃない(耳障りは良いけど)
それしかチケットが手に入らなかっただけのこと
本当に最近は、モーツァルト、ベートーヴェン、ブルックナー、ヴァーグナーばかり聴いている
しかもレコードで

覚えていないと言っても、気になって2009年のラ・フォル・ジュルネのブログを見たら、少しだけ思い出した
聴いたなかに鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパンでカンタータ78番があった
だが思い出したのは「あまり気に入らなかった」という印象
なんとなく全体の刻み方が日本的で、なんか違うぞ、、という感じをもったのを思い出した
この組み合わせは世間では評判だったが、個人的には合わないな、、という感じ

ラ・フォル・ジュルネでの印象で覚えているのは、ベートーヴェンの回のエロイカ
今でも覚えているのは、この曲を作曲し終わった時のベートーヴェンは嬉しかっただろうな、、と頭に浮かんだこと
ミサ・ソレムニスのグローリアの最後の部分、伴奏の楽器がなくなってコーラスだけになった時の効果が素晴らしかったことなどだ

モーツァルトの時の回は
ヴァイオリンとヴィオラのために交響協奏曲K364の2楽章で泣きそうになったこと
レクイエムの自筆だけ(ジェスマイヤーの補筆がない)の演奏が雑味がなくて、とてもモーツァルトらしいと思ったこと

民族の音楽の回だったかな、、フォーレのレクイエムも知らず知らず涙が出てたこと
メシアンの「アーメンの幻影」が、よくわからないが面白いと思ったこと
少しばかりありきたりと思ってたサティがオーケストラ曲では繊細な柔らかな感じがしたこと

だが、花より団子、、はいつも真実
ネオ屋台村のいろんな料理とビールはついつい誘われる
ということで、9年ぶりのラ・フォル・ジュルネ、、、楽しみ、、

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