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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

普天間飛行場移設問題 過去に提示された名護市沖軍民共用空港案

2009-12-07 22:52:38 | 国際・政治

◆名護市沖辺野古海上基地計画

 何故データが飛ぶかわからないのだけれども、Weblog書いていて、Enter押しただけでいきなりダウンする、・・・、ううむ。もう少しで完成だったのに。

Img_9770_2  さて、本日は昭和東南海地震から65周年という日であり、三重県総合防災訓練も計画されているのだが、扱う話題は普天間飛行場移設問題について。1998年に、当時沖縄県知事に当選した稲嶺県知事は、15年間の期限付きでの代替飛行場を名護市辺野古沖に建設することを容認する意思を表明している。

Img_9058  鳩山首相は、ルース駐日大使に、このままでは普天間返還は実行できない、日米関係と連立与党維持、どちらが重要なのか、と詰め寄られた。これを聞くと、選択肢に普天間現状維持があるのか、と思いたくもなるが、沖縄を訪れた岡田外務大臣は、沖縄県民と日米関係、どちらが重要なのか、と詰め寄られている。

Img_0056  どうしても、海外、というならば、グアムは距離的に無理だ。日比首脳会談で、フィリピンにクラーク空軍基地、スービック海軍基地と同規模の基地を日本側が確保し、日本側の予算で米軍基地を建設し、そこに移駐してもらう、という案の方が、まだ、現実的なのかもしれない。

Img_3277  1991年6月のピナトゥボ火山がプリニー式の火山指数6という大噴火を引き起こし、全方位火砕流は16km先まで到達、火口から30km以内の住民に避難命令が出された。この噴火で、クラーク空軍基地は地震と火山性堆積物により破壊され、米軍は撤退したのだが、1992年に火山活動は沈静化している。海外ならばフィリピン政府と交渉した方が、まだ可能性はあろう。もっとも、これは時間的要素から非現実的なのだが。

Img_2812_2  名護市辺野古沖の代替飛行場について、稲嶺知事、当初は撤去可能な飛行場施設を求めていたとされるが、沖縄県民の財産となる施設としての位置づけから恒久的な滑走路を持つ飛行場を軍民両用の飛行場として建設を求める方向に方針を変えている。那覇空港の運行本数増大に伴う限界もあり、辺野古沖に民間空港を建設する、という選択肢はあったようだ。

Img_3050_2  しかしながら、もちろん、辺野古沖の空港は、那覇空港代替というよなものではなく、一つの新しい地方空港として考えられていた模様。加えて、15年間の期限付きでは、米軍側が容認できないということで、2006年、任期満了が近くなったあのち、稲嶺知事は建設賛成を撤回している。現在の仲井沖縄県知事は、米軍飛行場については建設容認を表明している。

Img_9901_2  さて、普天間基地、現状維持という選択肢を除けば、やはり昨日記事に記したように、いったん、普天間基地機能を辺野古沖の飛行場に移すほか無いだろう。2014年に移駐を目指す日米合意があるのだから、時間的に代替地の選定は不可能である。しかし、稲嶺知事(当時)案のように、15年期限を設けて建設するのならば、ある程度周辺住民の同意は得られるかもしれない。

Img_3065  そこで、昨日記したように、那覇空港機能を名護市沖の暫定飛行場拡張施設に移転するという案は、現実味をもってくるのではないか。2014年に名護市辺野古沖移駐を行った後、15年後の2029年までに、那覇空港機能を辺野古沖に移転できるよう辺野古沖暫定飛行場の拡張工事を進め、2029年を目途に辺野古沖施設を県に移管、海兵隊は那覇基地に移る、という方向策だ。悪戯に友愛友愛と掲げるよりは、一つの方向とは言えるように思う次第。

HARUNA

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コメント (6)
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