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日本版ハリケーンハンターが必要だ(2)61年目の”伊勢湾台風”慰霊の日と米空軍気象観測機

2020-09-26 20:00:14 | 防災・災害派遣
■名古屋を襲った巨大台風
 日本国内、2020年はいまのところ巨大な台風被害からは免れていますが61年前の本日は災害史の転換点を迎えていました。

 9月26日、本日は伊勢湾台風上陸から61年目の慰霊の日です。大水害時代、という単語を本年は別の特集でも用いていますが、1940年代から1950年代に掛けては千人単位の犠牲者が生じる大水害時代、というものであったのですね。その中でも伊勢湾台風の被害は桁を外れたものがありました、死者行方不明者5098名、負傷者38921名、恐るべきもの。

 伊勢湾台風は1995年の阪神大震災発災までは、戦後最大の自然災害、であり続けた訳です。そして大水害時代、と云い得るのは、決して日本が戦後の治水事業や防災設備を建設し続けた事で、伊勢湾台風のような巨大水害を過去のものとし得た訳ではない、こう説明が成立つのです、その論拠としては、気象庁が発表している日本上陸時の台風気圧にみられる。

 第二室戸台風、1961年9月16日上陸の台風が中心気圧925hpsという日本本土上陸時最低気圧の第一位でした。第二位が929hpsの1959年9月26日の伊勢湾台風、第三位が930hpsの1993年9月3日、第四位が935hpsの1951年10月14日、第五位が1991年9月27日、という。実のところここ数年間の巨大台風が上位五位には入らないものでは、あるが。

 伊勢湾台風は上陸前にその接近がかなり生活に予報された台風ではありました、その危険な台風の接近を感知したのは、アメリカ空軍の気象観測機だったのですね。この情報を受け、9月25日に名古屋海上気象台は台風前日前に海上強風警報を発令しています。ただ、不幸であったのは和歌山県に上陸した26日が土曜日であり、行政の対応の遅れがあります。

 伊勢湾台風では26日1115時に愛知県が、1130時に三重県が暴風警報と波浪警報及び高潮警報を発令し住民に警戒を呼び掛けます。しかし、戦後復興により広がった住宅地には貯木場隣の住宅街や海抜0メートル地帯等の危険な立地が数多あるものの、ハザードマップのようなものはまだ無く、戸板を板で固定する程度の準備のまま台風を迎えた事例が多い。

 台風対策はハザードマップと気象衛星によりかなり進み、避難指示のいち早く広範にわたり出されるようになりいわゆる行政の落ち度というものは少なくなりました、堤防も高くなった。しかし、その分だけ、気象予報を受けて地方中核市が全域で、政令指定都市が広範囲で、住民数十万に対して避難指示を発令する実情も増えています、頻度も高くという。

 過去に例のない水準の暴風、台風10号気象庁予報は幸か不幸かはずれました、昨年の台風19号の本土上陸よりも勢力は小さく九州に接近したのです。令和元年東日本台風、こう記録される2019年台風19号は最低中心気圧が915hPsまで成長し、死者91名という甚大な被害を引き起こしました。今回の台風10号もここまで成長する当初予報であったのですね。

 猛烈な勢力まで台風10号は育つことはありませんでした、太平洋高気圧の影響が予想よりも大きく、台風進路が西よりとなったことで前週に通過した台風9号が攪拌した洋上をすすんだため、海水温度が低くなっており台風の勢力は育たなかったためです。育っていれば、室戸台風並の勢力で記録的な高潮と暴風被害が生じた可能性はあったのですが。

 ゴジラの息子。1967年の作品ですが映画の世界では自衛隊による台風観測という描写は存在しています。映画ではP2V7対潜哨戒機が台風観測任務を行っている様子が描かれていました、冒頭、台風観測の最中にゴジラと遭遇するのですね、機長を演じていたのは黒部進氏、前年1966年にウルトラマンのハヤタ隊員役でトップスター仲間入りを果たしました。

 しかし現実世界でも過去、気象庁が台風観測機を必要としており、政府部内で予算面で検討されたことがあります。具体的には気象庁の観測を自衛隊が支援するという形で自衛隊が予算などを検討していたといいます。具体的にはアメリカから気象観測用のWB-50観測機、B-29爆撃機の改良型を改造した機種、この機体を中古取得する構想であったという。

 ゴジラの息子、その二年前の1965年には一つの悲劇がありました、マリアナ沖漁船大量遭難事件です。1965年10月7日、カロリン諸島で発生した台風29号が急速に勢力を増しました、この進路上を日本のマグロカツオ漁船団40隻が操業中であり、台風接近を受け避泊地としてマリアナ諸島のアグリハン島沖に退避しました、これは一週間前の経験による。

 900hPsという巨大台風がこの一週間前にもマリアナ沖を通過しており、漁船団はアグリハン島の島影に避泊することで安全にやり過ごすことができたため、この経験を活かしたものだったのですが、台風は大きく迂回し915hPsの勢力で船団を直撃、7隻が沈没もしくは座礁し3名負傷、死者1名と行方不明者208名という、異例規模の遭難事故となりました。これを契機に台風観測機の必要性は認識されているのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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