北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【G3X撮影速報】百里基地航空祭2023【3】UH-60救難飛行展示とF-2戦闘機模擬対地攻撃(2022-12-04)

2024-01-27 20:01:54 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■航空祭-突然の近隣火災
 航空祭の最中に現実の対領空侵犯任務措置スクランブル緊急発進という事は過去に経験していましたが。

 百里基地のF-2戦闘機、その背景に立ち上る黒煙が。とうとう始まったか、という風景に見えますが、これは、残念ながら実際の火災という。航空祭の最中に基地の近傍で火災が発生した、という状況です。もっとも自治体HPを見ますと現場は10km程先だとか。

 UH-60J救難ヘリコプターが救難飛行展示へと進みます。百里救難隊、火災の最中ではありますので、これはもしかして飛行展示に影響があるのではないかと危惧してしまったのですけれども、実はこの火災は百里基地も航空祭が行えるのか、情報取集は行っていた、と。

 F-2戦闘機の背景にこうも火災の煙が重なりますと、防衛出動のような情景になってしまうのですが、百里基地SNSによれば消防当局の対応などから航空祭を継続した場合でも消防活動の妨げにはならない、という事が確認できたために航空祭は予定通り進められました。

 百里救難隊の飛行展示とともに、しかし火災、この情景、台湾海峡有事が現実の台湾有事へと展開し、これに対オス得るためにアメリカが対応し、且つシーレーンを寸断されれば日本は1945年の状況となる為、自衛隊も周辺事態として対応した場合は、この情景が。

 専守防衛を堅持する日本が台湾有事という際、台湾が中国へ武力併合される場合には、例えば国運を掛けて北極海航路を開拓してシーレーンを北方に切替えるとか、アジアから日本への航路をスエズ運河パナマ運河経由に切り替えれば、影響は回避できるかもしれない。

 しかし現実的に可能なのか。悪影響に全て目をつぶれば可能なのかもしれないが、それは十年単位で日本経済の衰退を意味する。電力は足りるとして東日本大震災を契機に日本御原発を全て停止させ電力不足と電気代高騰を招いた結果、低成長から抜け出せていない。

 経済の為に戦争するなんて、という発言は日本が高度経済成長時代、何しり年間10%の経済成長を維持すると7年でGDPは二倍になるのだ、飢えを知らない時代の驕りのような言葉に思えてしまうのです。戦前のような飢えの懸念、今の世代の同胞は耐えられるのか。

 F-2戦闘機。石破防衛庁長官時代に国民に説明できないものは調達しない、として調達が中断されたものですが、これも今振り返ればポスト冷戦の時代、日本掲示が世界第二位だったころの驕りにしかみえないのですよね、日本が望めば平和は達成できる、平和は買える。

 支援戦闘機として開発されたF-2戦闘機の模擬対地攻撃が開始されました。そう、支援戦闘機と呼ばれていた時代が有るのがこのF-2戦闘機です。わたしなどは相当あとまでF-2戦闘機をF-2支援戦闘機、と呼んでいました。要するに多目的戦闘機なのですけれども。

 F-2戦闘機、快晴で良かったと言い切れるような情景なのです。この生産縮小が驕り、と云いましたのは元々130機生産する計画を98機に抑えてしまった為で、計画通り製造していればF-4後継機問題やRF-4後継機問題でRF-15開発失敗の際に代替策を提示しえた。

 RF-2偵察機、という訳ではないのですが、例えばフランスのラファールなどは低調であった者の時間を掛けて改良し続けた事で今や輸出市場で異例の販路を拡大している、もちろんF-2は輸出を想定しない航空機であったのですが、改良型の余地が有れば選択肢になる。

 そして、現状戦闘機は充分なのか、と云えば中国の空軍力、第四世代戦闘機は勿論第五瀬愛戦闘機の独自開発と早期警戒機の増強という現状を観れば十分足りているとは言い難い訳で、ここにF-2製造終了により戦闘機製造基盤を畳んでしまった不利益は大きいと思う。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都発幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌-滋賀米原,東海道本線米原駅前お寿司屋さんと豪雪の難所関ヶ原

2024-01-27 14:11:44 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 電車が止まったならば駅前で一杯やりながら運転再開を待つ。昔はそんな時代が長かったように思うのですけれどもそれは駅前横丁が無ければはなしにならない。

 舞鶴基地と北陸を結ぶ小浜線も雪の季節にはよく豪雪に見舞われますが、支線と異なり日本の大動脈である東海道本線にも難所がある。東海道線の難所関ヶ原、ここは岐阜県大垣市の大垣駅から滋賀県米原市の米原駅まで続きます、上り坂で隘路、雪雲の通り道だ。

 米原ですが、この駅はJR西日本とJR東海との境界線でもあり、大垣駅の様に隣接して車庫も広がるのですが、しかし米原は第二次大戦末期の決戦輸送令下で拡張された駅でもあり、もともと城下町である大垣とは違い、駅前は戦時の区画整理で元々閑散としていた。

 富茂登、米原駅を出まして今は東横インまで建っているのですが、大垣寄りの跨線橋を琵琶湖側に進みますと、こういう会合や法要の際に在るよね、という御寿司屋さんがありまして、COVID-19はじまりの頃は改装工事を行っていましたが、新装開店で迎えてくれる。

 御寿司屋さんのランチ。握りとちらし、ともに揃っているのですが、ちらしを頂きました。米原から新快速で一駅行きますと彦根駅、彦根城の城下町で駅前アーケードが広がり、鮨に和食と焼き肉にタンメンとBARや居酒屋、ちょっと前には靴のリーガルまでありました。

 田舎のおばあちゃん家みたいだな、富茂登さんは御寿司屋さんですのでカウンターに座って気軽に寿司と酒、という粋を真似た過ごし方を期待した方には、おおきな応接間のようなところに机と椅子が並ぶ様子に驚くかもしれません、なにしろ床の間さえ目の前にある。

 ちらしは、手堅く旨い。海鮮丼とはちらしは、すし飯というのもありますが違うのですね、好きな寿司ねたとシャリを好きな配分で頂くという、もちろん、どこから頂こうか迷う点は海鮮丼と同じなのですけれども、掻きこむというより一つ一つ吟味のネタを丁寧に頂く。

 駅前も探せばビストロ的な店もあり、洋菓子屋さんもありますしラーメンもつけ麺が美味しい、ただアーケードが有りませんので悪天候で関ヶ原がふさがった際に時間を潰すには、駅前ならではの運転再開の情報が自然に伝わる事も少なく、富茂登さんは貴重な一軒だ。

 富茂登さん、そう近くのビストロもフモトブロスというお店ですし、ふもと、とはこの一帯の地名なのでしょうかそれとも別の何かの。東海道線が止まる様な悪天候の際にはちょっと歩み伸ばすには距離を感じるのかな、とは思うものの晴れの日には落ち着く店です。

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【京都発幕間旅情】JR西日本521系&IRいしかわ鉄道521系:能登半島地震と観光庁北陸復興割実施発表

2024-01-27 07:01:22 | コラム
■北陸復興割発表
 JR西日本521系とIRいしかわ鉄道521系電車が金沢駅の北陸本線で並ぶうちに能登半島地震からの観光復興策が具体化します。

 北陸新幹線敦賀延伸とともに、現在の日常風景となっています、金沢駅での特急サンダーバードや特急しらさぎ乗り入れは最後となり、北陸本線とIRいしかわ鉄道の並ぶ様子もいよいよ見納めとなります、そしてなにより、北陸への列車運賃は値上がりとなりますが。

 北陸応援割、政府の能登半島地震復興支援政策として過去に熊本地震など幾つかの地震災害において実施された旅行割引が北陸を中心とした4県に行われるという。COVID-19禍下で行われましたあのGO-TOキャンペーンの地域的な再来といえるかもしれません。

 観光庁は能登半島地震観光復興に104億円を充て、この内94億4000万円がこの北陸応援割に当てられる。期間は三月から四月の大型連休までを想定しているといい、北陸地方を中心に、石川県、福井県、富山県、新潟県が対象、復旧状況に併せて各県が判断します。

 宿泊を伴う旅行商品が割引対象となっていまして、最大で50%まで割引となり一人一泊に付2万円までが補助の対象となる。旅行商品とありますので、ホテル代だけの割引とも見えますが、交通費を含めたパック旅行の内の半額までが補助されるのかは関心事でしたが。

 新幹線や特急、バスなどのホテル宿泊と交通とセットになった旅行商品も対象となるもよう。そして2泊以上の場合は最大3万円が割引となり、また被災地域2つの県をまたがって宿泊する場合には更に3万5000円が上限となり割引幅がひろくなるとのことです。

 サンダーバード、しらさぎ。北陸応援割引は三月の北陸新幹線延伸により、やや列車運行体系が混乱し、特急か新幹線か、JRか第三セクターかで運賃体系が変動するなか行われますので、旅行会社としては旅行商品が煩雑になるのかもしれませんが、期待していますね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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令和五年度一月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2024.01.27-2024.01.28)

2024-01-26 20:07:41 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 寒波襲来とあわせ大雪予報と北陸地方及び岐阜県関ケ原の豪雪が有りましたが皆様いかがお過ごしでしょうか。

 今週末の自衛隊関連行事は、一部で事前応募制の音楽関連行事等が行われるようですが、基本的に行事はありません。こういう週末には、ゆったりと海上自衛隊基地、軍港の街を散策したいところですが、豪雪予報とともに災害派遣も行われる中となりますとなかなか。すると、年度末へとすすむなかにありまして、そろそろ新年度も視野に含めなければ、と。

 自衛隊関連行事は数多く行われますが、当たり前ですが全てを巡る事はできません。すると重要なのは、無くなる部隊を今の内に撮影するのか、新しい部隊をいち早く撮影するのか、退役が近い装備品を今の内に撮影するのか、新装備を先駆けて撮影するのか、ある程度方向性を以て考える必要が出てきます。そこから行ける行事と行けない行事を考えねば。

 90式戦車、年度末と云えば74式戦車の完全退役という節目の瞬間でもあるのですが、90式戦車も退役が始っていますし、なにより戦車部隊の整理縮小が続いている為に、部隊の踏破号や縮小改編に併せての部隊の変更なども生じます。普通科連隊が即応機動連隊になったり、特科大隊が廃止されたり、特科連隊の師団から方面隊への移管などもかずおおい。

 艦艇広報、COVID-19により2020年と2021年と2022年と自衛隊行事が大きく停滞していましたが、この最中に艦首などは塗装を一気にロービジ化していまして、艦番号などが秘匿されるようになっています、いや、2000年頃から哨戒機の部隊マークが消される等、視覚情報の秘匿化は進んでいたのですが、艦艇のロービジ化は印象を一新させました。

 海上自衛隊行事となりますと、展示訓練はそもそも行われませんし、もともと見学が難しかった観艦式は2015年を最後に、COVID-19や台風に悪天候などで中止や非公開が相次いでいます、ただ、自由に撮影できる艦艇広報の際に入港を撮影するという選択肢はありますし、もう一つ、近海練習航海部隊など、艦隊行動をとって航行する様子を撮る選択肢も。

 はつゆき型護衛艦などはあれだけ居た、という印象ながらCOVID-19の最中に最後の一隻が退役しましたし、もがみ型護衛艦の量産にあわせて、あさぎり型あぶくま型の退役も。すがしま型掃海艇も減る。しかしそれ以上に、最新の護衛艦いずも型が今後F-35B搭載改修により外見が一新しますので、その前の姿は今しか見る事が出来ない、ともいえます。

 F-4EJ改ファントムなどは既に退役しましたが、これからF-35戦闘機の配備が進むと共に徐々にF-15戦闘機も退役が始まるところです。C-1輸送機は入間基地航空祭の中止により貴重な一回の航空祭が無くなりましたが、もともと見る機会が少ないEC-1電子訓練支援機など、見れる機会そのものを探すには、やはり事前情報収集というものが大切になるのだ。

 事前情報収集というのは、行く事と、あと悪天候の場合はどのように撮影するのかとか、どの角度の撮影ができるのかの一般開放区域の研究などは、実際にいって現地で当日に案内を読み右往左往するよりもこういう時節に他の方が撮影しました写真など、Webで公開されている写真から研究してみる、というのも一つの方法なのかもしれませんね。

 事前情報収集、これは予算と体力の検討というものも重要になりまして、例えば予算も休日も潤沢、という方でしたならば別なのですが、LCC格安航空会社かフラッグシップエアラインの早割、夜行バスや鉄道の割引制度、ホテルは観光地か安価な少し離れた場所とするのか、こうしたものも、ある程度事前に調べまして、こういう閑散期こそ研究したい。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・行事予定:特になし

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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【京都発幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌-岐阜大垣,東海道本線大垣駅前焼き鳥と急こう配の難所関ヶ原

2024-01-26 07:00:14 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 電車が止まったならば駅前で一杯やりながら運転再開を待つ。昔はそんな時代が長かったように思うのですけれども昨今はタクシーなどに帰路を急ぐ方が多いという、大雪の際などでも。

 今回の大雪、関ヶ原、岐阜県不破郡関ヶ原町を中心に局地的な豪雪が降り注いだことで名神高速が5kmに渡り立往生したのだと云われていますが、局地的というのが、特に米原市など滋賀県側の豪雪がそれほどではなかった事も影響しているのかもしれません。

 京都で雪の金閣寺を期待していたものの空振りであった今回の豪雪ですが、東海道線沿線では大垣もかなりの積雪が在ったという。そして列車運行御間引きダイヤとなったようですが、古い基点駅である大垣は、そんな場合にも時間をつぶせる店が多く、宿もサウナも。

 大垣市の大垣駅、この駅前は国鉄時代と鉄道省時代から関ヶ原は東海道線の難所、登攀が蒸気機関車には厳しく基点駅として機能させるためにホームがブルートレイン二編成を縦に停車させるほど長く、その為に駅前横丁も長く、多少廃れたものの今もその名残がある。

 ねのひ。駅前焼き鳥、そんな言葉が似合うところなのですがこのお店は大垣駅から大垣城と護国神社へ伸びているアーケード沿いに佇んでいまして、昭和建築、こういうべき複数の店舗が一つの大きな建物を共有している一角に、広くはないけれども存在感をはなつ。

 焼き鳥に続いてレモンサワーを注文します。基点駅、大垣駅はかつての夜行快速ムーンライトながら号の始発駅ですし、隣接する車庫の規模も大きく、また同じく西の関ヶ原越え起点である米原駅がありますが、あちらは戦時中に急増されたのに対し、大垣は城下町だ。

 どて煮を、レモンサワーのお供に。基点駅の駅前横丁、もちろん今の時代は夜行列車も絶滅寸前の時代ですので、単に新快速の基点駅、豊橋や浜松へ向かう長距離新快速の始発駅、という程度なのですが、そういう基点駅は短時間でさっと頂けるお店も多いように思う。

 手羽先、時間がかかる一品ですので注文の時機を詠まねばなりません。さて、東海道本線は昔から関ヶ原が難所で東海道新幹線も当初は鈴鹿山脈を通る計画であった程、よく雪で止まった。すると、こういう駅前横丁が時間つぶしでは重宝していたのでしょうね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【G3X撮影速報】岐阜基地航空祭2023【4】岐阜基地名物!異機種編隊と異機種大編隊(2023-11-12)

2024-01-25 20:09:02 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■空往く岐阜基地名物
 名物に旨いものなしという言葉が有るようですが岐阜の場合は名物は上手いものばかりというところでしょうか。

 岐阜基地航空祭、異機種編隊の第一陣が接近して参りました。岐阜基地航空祭と云えば、この異機種大編隊が名物なのですから手堅く撮影しておきたい、しかし不思議な編隊です。昔はこの編隊をオープニングフライトで実施して午後から本番の異機種大編隊に臨んだ。

 F-15戦闘機とF-2戦闘機にT-7練習機、微妙に小さくなってゆくというような編隊と思われるかもしれないが結構重要なのはこの編隊にT-7練習機が含まれているところで、低速の初等練習機を含んでいる編隊、T-7にF-15が速度を併せなければならないので大変なのだ。

 五機編隊、異機種大編隊が輸送機を含んでいる編隊であるのに対して、最初のいい種変大破戦闘機と練習機、という編成です。いや戦闘機を運用する航空団には基本的に連絡機や練習機としてT-4練習機が配備されてはいる、けれどもT-7と戦闘機を配備する部隊は。

 T-7練習機は練習機としては静浜基地の第11飛行教育団と防府北基地の第13飛行教育団に配備されている航空機で、そう、戦闘機とともに配備されている基地はここ岐阜基地のみ、という。厳密には教材扱いで浜松基地に配備され、教材として浜松にはF-2等もいますが。

 G3Xカメラで撮影すると、一眼レフと共に並行して撮影しているのでズーム操作なんてことはできません、同じ瞬間にはEF100-400mmISⅡレンズ操作で手一杯ですから、するとこんな感じで戦闘機以外は見切れてしまう構図になってしまうのですが、それはそれで。

 F-2と見切れてしまったF-15,これはこれで。しかし惜しいなあと残念に思うのは、この航空祭本番が晴れていればなあ、と思うのだ。予行では快晴の日が在ったようなのですが、予行は晴れていても航空祭本番が曇天ということがある。もっとも雨天で無かっただけ。

 異機種大編隊、総岐阜基地航空祭というのは皆さんこの瞬間を撮影するために朝早くから岐阜基地へ向かい、岐阜基地に並び、岐阜基地で陣取り、岐阜基地でカメラを大空に向けるのです。輸送機に戦闘機と練習機、一気に編隊を組んでくれるのはここ岐阜基地だけ。

 編隊と大編隊、厳密に分ける定義はないのですが輸送機を含まないが初等練習機をふくんでいる編隊を異機種編隊、輸送機を中心に戦闘機都連手記を挟んだ編隊を機種大編隊、と分けて呼んでいます。最初は望遠レンズ越しに、しかししっかりと大編隊が接近してきて。

 大編隊、飛行開発実験団がこうした編隊飛行を行うのは、その飛行開発実験団の任務が各種装備品の開発と評価試験を行うために各種装備を搭載出来る航空機を揃えている為で、いつかはF-35戦闘機と、そしてGCAPとして開発されるF-3戦闘機も配備されましょう。

 F-35戦闘機、驚くなかれ1990年ごろまではF-15戦闘機も航空自衛隊小では実戦部隊とマザースコードロンの所要数だけで手一杯であり、飛行開発実験団は第2航空団などの機体が定期整備の際に借用する形で足りないF-15戦闘機を確保して、そして試験していた。

 F-2戦闘機、見切れているなあ。この機体だけは日本で独自に開発した、なにしろ飛行フライバイワイヤ制御装置がF-16とは別の日本独自のもので飛び方が違うのだから独自開発といえる、そんな背景がありますから初号機からここ岐阜基地で生まれ、育ったのだけれど。

 C-2輸送機、考えればこの子も岐阜基地の、というよりも川崎重工岐阜工場において開発され、初飛行もここ岐阜生まれの航空機です。すると国産機というのは、飛行開発実験団で生まれ育ったことに。F-35は先かもしれないがF-3配備はF-3は早いかもしれない。

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【京都幕間旅情】伏見稲荷大社-節分,宇迦之御魂大神は五穀豊穣司り産業振興の神さま-初詣の思い出話

2024-01-25 07:01:41 | 写真
■大寒波のさなか
 世の中何が起こるかはわからないもので暖冬で防寒着が不要だと考えていたところから数日後がいま。

 大寒波襲来。驚くなかれ、節分神事の準備が行われていました僅か数日ののちに、確かこの参拝の際には冬の割には異常な暖かさだった、と記憶していまして、何しろ防寒着ではなく普通の冬物の上着で参拝したのを覚えています。高島屋で冬物をどうするか、とね。

 高島屋云々というのは、冬物が気候変動により身に着けられる期間が短くなるのではないか、と、クリアランスセールなどでも少し考えるようにはなっているのですが夏ばかりではなく、冬は確かに寒いのだ、ということを認識するような状況、やはり冬は来ている。

 伏見稲荷大社ではもともとは農耕神でありました宇迦之御魂大神にこうべを垂れて平穏を願うのですが。雪が降らなければ雪解け水は春に潤いをもたらしませんので、農耕にとっても豊作が遠のく、結局は均衡が大事、という事になるのでしょうか。こう思いつつ。

 宇迦之御魂大神。21世紀というのは進んだ時代でして今の時代は、ちょっと前か、宇迦之御魂大神がアニメに登場する時代だというのが凄い、けれども神社からは、そう難色を示す内容では無かったという事で、コラボのパネルを展示していたりしましたけれども。

 宇迦之御魂大神は産業振興の神さまということで、そしてなによりJRと京阪電車でも直ぐということもありまして初詣には大変な混雑になるといいます、ただ、ここ、初詣に参拝しました際の話題をちょっと恥ずかしいのですが、しかし面白い出来事と云いますか。

 初詣に参拝するぞと伏見稲荷大社に向かいまして、戻るにはちょっと厳しい距離まで移動してしまたのちに、財布を忘れた事に気付く。ポケットにつり銭の紙幣がちょっとあったのだけれども財布忘れているとは思わなかったので、御賽銭は中途半端な金額となった。

 初詣にしてはポケットの奥にあった小銭を賽銭箱にお納めして作法通りの参拝をしまして、そしてちょっと中途半端な年始となってしまったなあと思った後に、紙幣あるし参道でお善哉でも頂いてね、折角だし、と思い暖かい、餅は熱かった、お善哉を一つ頂きまして。

 お善哉の支払いで紙幣を出しますと、丁度釣銭が、先程の小銭の賽銭箱にお納めした金額と足すと端数が丁度いい金額になるのですね、お善哉、値段は考えず茶店にお善哉と暖簾に書かれていたので無意識に注文したものがちょうどいい端数であった、ということ。

 初詣part2、という機会を得ました。まあ偶然なのですけれども、もう一度参拝へ内拝殿へと石階段を上りまして、すると最初に、つまり初詣part1、参拝した頃とは二十分ほどの違いなのですが、凪の時間なのでしょうか、ほぼ人が居ない時間帯であったのですね。

 宇迦之御魂大神。うか様にはかなわないや、と呟きながら賽銭箱にお賽銭を奉納したわけなのですが、するとちょっと気付かない近くに所に神職の方がいらしまして、掃除していた、その最中に聞こえたのでしょうか、深々お辞儀をしていただいたわけでした。

 初詣にお財布を忘れるというのはちょっとした失敗で、ポケットに残っていた紙幣では当初思い浮かべていました様な千本あたりで豪華な寄り道ということは出来ず、まあ神社の近場焼き鳥で一杯、と方針変更になったのですけれど、その焼き鳥が妙に美味しかった。

 こういう経験がありましたのでお財布には注意するようになり、その後一度も忘れないようになり今に至ります。これ御利益という訳ではないのでしょうけれど、なんでも高望みしすぎないような程々の中で努力と研鑽をつむ事が平穏な日常を培うのでしょうか、ね。

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【京都幕間旅情】伏見稲荷大社-節分,世界のお客様は宇迦之御魂大神に何を願うか-福は内願う準備を見上げ

2024-01-24 20:23:43 | 写真
■宇迦之御魂大神へ願う
 境内は節分準備となっていましたが私は先ず参拝として一歩進みそして改めてゆったりみることとしました。

 本殿は重要文化財となっていて、応仁の乱から17年を経た 室町時代の明応3年こと西暦1494年再建されました、五間社流造となっていて檜皮葺の屋根を冠しています。そしてここに祀られるのが宇迦之御魂神を筆頭に4柱からなる稲荷大神とされています。

 詣でるのは、なにか特別な時の神頼み、というわけではなくわたしの場合は、心機一転とか、気分を転換する際にひらめきを求めてとか、日常の一環として探訪しています。日常の中の神社という特別な空間で、考え方や纏め方と方向性、思考との出会いを培う。

 うかのみたまのかみ、と呼びます祭神とともに神体として稲荷山そのものが報じられていて、ここは東山三十六峰の最南端という位置づけで標高は233m、何度か上った事があるのですが3の峰がありまして、歩きますと二時間、一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰、と続いてゆく。

 稲荷山に上ってみようか、ともおもったのですけれども、ちょっと人が多くなりすぎていまして、いやコロナ云々のCOVID-19とは無関係にコロナ前の時代と比較しても混雑しているのです、これでは心静かに上るのは難しいかなと思い、日を改めよう、としました。

 初午大祭、節分の準備とともに実のところ伏見稲荷大社では前後しまして初午大祭が執り行われまして祭事が続く。その中で、節分の福は内を願います柱を建てる様子を見る事が出来、そうかそういう日だったのか、調べてきたのではないのですが縁のようなものを。

 初午大祭といいますのは、稲荷大神が稲荷山に降臨した事を記念する伏見稲荷大社で最も重要な祭事となっています。稲荷大神、これは四柱の総称ということなのですが、その昔に稲荷山の三ヶ峰に鎮座した和銅4年2月の初午の日というものを偲んで行われる。

 稲荷大神の神威を仰ぐ祭礼といい、和銅4年というのは西暦711年となります。初午の日は今年は2月11日、節分からは少しあとになる。初詣の際と比べますと、情景が変っている様子を感じまして、伏見稲荷大社は稲荷祭と田植祭と、祭事は一年を通してかずおおい。

 京都新聞の記者さんが、良い場所でこの準備の様子を撮影していたのですが、なるほど祇園祭始め良い場所を知っているなあ、と感心します。他方で、リュックサック型の取材鞄をつかっていまして、肩掛け式のかばんはドラマだけなのかなあ、ともおもったりもする。

 記者さんとともに写真を撮る方は神職の方や、色々な方が居るのですけれども、世界のお客様も多いものでして、そう聞けば伏見稲荷大社の稲荷山は世界でも有名な、日本観光というカテゴリで、なのかもしれませんが、登山というかトレッキングコースなのだという。

 トリップアドバイザーの2014年調査では外国人に人気の日本の観光スポット第一位に選ばれたといい、しかし2010年代でも時機を外せばそれほど稲荷山は混雑しなかったように思えるのですが、なにかあったのでしょうかね、千本鳥居は確かに幻想的な情景ですけれど。

 家族連れでも気軽に昇れて、イノシシが出るという話ですし猫の喧嘩も多いのですが、鳥居をのぼって行けば基本的に遭難する事も無いので、外国の登山の割には家族でも安全だということで知られている。ただ、ここは山そのものご神体となっている山なのですよね。

 日本人観光客が、宗派や宗教関係なく世界の主要な神殿や教会などを観光地として散策していて物議となったのはバブル時代でしたが、まさか稲荷大神の信仰という訳でもないでしょう世界からのお客様を見ますと、結局みな同じなのだなあ、人類みな兄弟、と思った。

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【京都幕間旅情】伏見稲荷大社-節分,大寒波強と迫る最中にも旧暦では新年祝う立春前の節分へ準備進む

2024-01-24 20:00:34 | 写真
■セッツブーン二〇二四
 日本列島を急に覆うこの大寒波とともに積雪には驚かされるのですが祭事準備など京都はこの瞬間も動いているのですね。

 セッツブーン、といますか今年も節分神事が近づいてまいりました。一年を通せばいろいろと象徴的な神事がありまして、年末年始が最たるものですが、この年末年始を例外としますと何故か節分は象徴的といいますか、印象深いといいますか、気になる神事です。

 初詣、という訳ではないのですが節分神事も近づいてまいりましたので、伏見は伏見稲荷大社へと参拝へ行って参りました。すると、これ狙ったわけではないのですが伏見稲荷大社でも節分や前後して行われます神事の準備が進んでいまして、季節を感じたのでした。

 京都市伏見区深草藪之内町、伏見稲荷大社は京都でも有数の歴史と共に多くの崇敬を集める社殿でもあります。参道から楼門が、JR稲荷駅から一直線に伸びているところをのびのびと参拝へ向かうのですが、そう、やはり人気といいますか、人の多さを感じます。

 立春と立夏と立秋と立冬、節分というのはこの季節の境界線を示す一日の前日を示しますので、実は一年にセッツブーンの一たびだけという訳ではないのですけれども、この立春の節分は、心躍るのは昔の時代、人類が冬を超えるのに難渋していた時代の名残なのか。

 旧暦、そうセッツブーンを特別な一日に感じるのは旧暦が関係しているようで、旧暦ではこの立春のあたりが旧正月にあたるところとなっていて、いわば太陽暦が日本で採用されるまでは節分の立春が新年とされ、そして冬を越せたという祭事をも意味していたのだ。

 楼門は重要文化財となっていまして、 もっとも創建以来幾度も再建と破損を繰り返してきまして、あの応仁の乱でも供養とでは定番の話題ですが焼討されて焼けています。そして今現存するものは天正17年こと西暦1589年、豊臣秀吉の寄進によって再建されたもの。

 豊臣秀吉寄進の楼門は入母屋造の三間一戸構造となっていまして檜皮葺の屋根を冠しています。安土桃山時代、一応日本の歴史はその後も幾つか戦乱の時代を挟むのですし、京都が地震被害を受ける事も台風被害も多いのですが安土桃山時代のものが現存しているのだ。

 東山三十六峰最南端稲荷山。さて、そもそもここ伏見稲荷大社が創建されたのは、実のところ正確な年度は不明となっています、けれども稲荷神社と号します神社は日本全国に三万とあるそうでして、その総本山がここ伏見稲荷大社、農耕神であり産業振興の神を祀る。

 山城国風土記には、秦氏の祖霊を祀る社殿として古くから存在し、秦氏族伊侶具が濃厚で栄えた際、餅を的に弓矢の練習を積んだところ或る日に餅が白鳥となって逃げてしまい、その出来事を機に伊侶具の家は豊かさを逃してしまい、これを悔いて白鳥を探したといい。

 白鳥の留まった場所がこの社殿の御神体である山の山頂で、稲荷山として餅を的とした事を悔いて社殿を造営した、ともいわれます。故に餅から農耕守護の、そして日本が産業などにより豊かになりますと、豊かさという視座から社殿は産業振興の社殿ともなった、と。

 外拝殿は楼門の先にある舞殿でして重要文化財、。天保11年こと西暦1840年に再建されたといい、内拝殿は賽銭箱とともに祈りをささげる場、そしてその奥に本殿が。重要文化財となっていますが、 明応3年こと1494年の再建といいまして、まさに応仁の乱の直後だ。

 応仁の乱により、ここは稲荷山の山頂まで焼き払われたということですが、本殿だけは、応仁の乱の終戦から僅か、というべきでしょうか17年後に再建された、ということになります。暖かい冬、でも直ぐ寒波が来るという。世の中の平安を祭神にこう、祈るのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ウクライナ情勢-A50メインスティ早期警戒管制機アゾフ海上空で撃墜!AWACS戦闘喪失は史上初

2024-01-24 07:00:31 | 防衛・安全保障
■防衛情報-ウクライナ戦争
 自衛隊のAWACS早期警戒管制機の運用についても参考とすべき重要な戦訓とウクライナ軍の戦果があがりました。自衛隊のE-767と同じ用途の機体がロシアにもある。

 早期警戒管制機が実戦状況で史上初めて撃墜されたとみられる、イギリス国防省1月17日付ウクライナ戦況報告がロシア軍早期警戒管制機撃墜の情報分析を発表しました。これによれば1月14日にロシア航空宇宙軍のA-50メインスティ早期警戒管制機が飛行中に爆発し、アゾフ海西方に墜落したもよう。ウクライナ空軍に撃墜されたと分析しています。

 A-50メインスティ早期警戒管制機は輸送機を改造した大型の早期警戒管制機で、ロシア軍は9機を運用しており、これを1機喪失したことは今後のウクライナ航空作戦に大きな影響を及ぼす事は必至と考えられます。おりしも2024年はウクライナ空軍がいよいよF-16戦闘機の受領と配備を開始すると見られ、A-50の1機喪失は中長期的に影響が大きい。

 Il-22MクートB戦域空中指揮機も、A-50早期警戒機が撃墜された周辺空域で攻撃を受け、こちらは地対空ミサイルによるものと考えられる損傷を受けていますが、不時着に成功したとのこと。重要な点は後方で戦闘指揮全般を担う早期警戒管制機をウクライナ軍が補足したということで、ロシア空軍ウクライナ周辺空域での運用を大きく制約し得るでしょう。
■砲弾100万発
 ウクライナ支援の一環としてアメリカや欧州各国はウクライナへ砲弾100万発の供与を発表しましたが砲弾製造能力などから実現していません。しかし。

 ロシア軍は北朝鮮から砲弾100万発を受領した、ISWアメリカ戦争研究所1月11日付ウクライナ戦況報告においてウクライナ軍事情報総局副局長スキビツキー少将の発言を紹介しています。ここでロシア軍は現在野砲として122mm砲と152mm砲を運用しているとした上で、ロシアの軍需産業は年間200万発の砲弾を製造する能力があるとしました。

 200万発の野砲弾に対して、しかし膨大な量ではあるものの2023年にはロシア軍は50万発の砲弾不足に陥っており、スキビツキー少将によれば2024年にもロシア軍は同様の状況に陥る可能性が高いとしています。1990年代まではこの種の戦闘は航空戦力が大きく左右すると予見されていましたが、現実的には砲兵火力が多くを左右しているのが実情です。

 ウクライナのゼレンスキー大統領発言によれば、ロシア軍は砲弾の供給を北朝鮮に大きく依存していて、膨大な火砲を有する北朝鮮の砲弾備蓄量も巨大であり既に100万発を受領しているとのこと。なお、ISWは踏み込んだ分析をしていませんが、北朝鮮が砲弾の見返りに例えばSu-30戦闘機など、どういった見返りを得る事となるかも大きな関心事です。

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