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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

愛の感情を考える!(愛の領域⑨)

2010-05-07 | 第七章「光と復活体」

 ≪自分が愛だと思うものが愛≫。心理学的には愛はそう定義されたりする。とても不親切な様で、意外と奥行きが深い。死ぬまで考えられるテーマであるからだ。

 心理学者や心理療法家で愛について論じている名著もある。性の問題と関連して研究する人もいる。そして、愛の概念について、哲学や宗教の分野で古典も沢山ある。その膨大な仕事に立ち往生してしまいそうだ。

 愛は、複雑で判りにくい。人の考えを追っていくのはしんどいものである。しかし、心理学的な現状の把握の仕方の一つである、思考・感情・行動といった側面で自分の愛を再度検証してみると。愛には、思考(概念)や行動のほかに、感情という豊かな側面があることに驚く。自分のことを振り返っても、愛の感情があるからこそ、こんな人生になってきていると言えるようである。

 愛の感情と一言で言っても、光が様々なスペクトラムから成り立っているように、様々な要素があるかもしれない。ただ、年をとるに従い、愛の感情は何か単純で深まってくるようだ。何故だろうか?

 また、愛の感情は思考や行動とも深く結びついているようだ。

 今日は、古今東西の愛に関する名言に触れて、愛の感情にも想いをはせている。朝からマザーテレサの本を読んでいるが、その中の一つを今味わっている。如何でしょうか?

 「私はシスターたちにこう言っています。私たちが貧者の姿をしたキリストに愛をこめて仕えるのは、社会福祉にたずさわる人々の働きとは違うのだということ。それはこの世の真只中で生きる観想修道者として働くのだということ。」(マザー・テレサ(ホセ・ルイス・ゴンザレス・ハラド編)渡辺和子訳 PHP文庫78ページ)

 写真は相模原の公園で見た噴水。

(愛の領域⑨(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 49/60)

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