イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

戦いの中の感情!(感情の世界⑦)

2010-05-26 | 第八章「魂と聖霊」
 日本の歴史の本を最近ずっと読んでいる。昨晩は平家と源氏、そして奥州藤原氏。中世の激変の中で、頼朝と義経の戦いや、すれ違いに何とも言えない感動を覚えた。中世の同時代にも確実に存在した、私の祖父母達は如何に暮らし、あるいは戦ったのだろうかと想った。

 中世、貴族政治や荘園等で完全に行き詰った中、全国の武士達が新しい時代を戦いながら築いていく。あの優雅な源氏物語が書かれてから100年ちょっとの出来事である。

 戦う!自分の経験の中では、中世の戦士たちのように刃を交える経験はない。しかし、企業に勤めていた時は、競争相手のことを日々考えていたし、時には身近な人の安全のために戦うこともあった。

 戦いの最中の感情はどうだったか?そんなことを朝から考えている。怒り、恐怖と安堵、いろいろだが、5月23日の≪不安を平安にする≪幸福スイッチ≫その1!(感情の世界④) ≫に述べたAタイプのように、感情と思考と行動が上手く噛みあい行動している時は、概ね良い方に向かっていたように思う。

 ただ、そうでなくどこかふっきれず上手く回転しない、B、C、Dタイプ(現在への怒り、過去への怒り、未来への怒りにウジウジ考える)の時は問題の時だった。
 そんな中、相談に行った方に励まされ、思わず涙がこぼれる。こうした経験の中からAタイプに切り替わって逃げずに戦った。

 本当の戦いは、やはり怒りの感情がベースだと思う。そして、怒る自分を認めることは意外と重要だ。倫理道徳で生半可に、そういう自分を責めるのは良いとは思わない。感情は正直であり、また客観的にも戦うことに理があることも多い。

 ただ、怒りの感情は友好的感情と同質とも考える理論がある。そう考えると、怒りの感情は友好への道しるべなのだろう。友好への、ゆるしと和解への道は長い人生の中に見出せるかもしれない。

 日本の怨霊思想は、見方を変えれば、ゆるしと和解への道かもしれない。そして、頼朝が奥州藤原氏の中尊寺をある意味大切にしたように、義経を何処か静かにに祀ったかもしれない。


(このシリーズは「生き甲斐の心理学」(5章6章を参考にしています。U先生ありがとうございます。)

感情の世界⑦(見えないものを観る、聞こえないものを聴く) 8/60)

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