動物園のイカロス達!
この2-3日愛、孤独感、親密性に取り組んでブログを書いていますが。その中で飛ぶものに興味をもって写真を撮りました。
海や陸と比べ、生命にとって空は残されたフロンティアとはいえ、困難なチャレンジャブルな居場所のようです。ダチョウのように、空に行かなくてすむ生命は空をすぐ放棄するようでもあります。それだけ大変なんだ!
しかし、自分自身になるため、イカロスのように空にチャレンジする物語もあるようです。考えさせられます。
動物園のイカロス達!
この2-3日愛、孤独感、親密性に取り組んでブログを書いていますが。その中で飛ぶものに興味をもって写真を撮りました。
海や陸と比べ、生命にとって空は残されたフロンティアとはいえ、困難なチャレンジャブルな居場所のようです。ダチョウのように、空に行かなくてすむ生命は空をすぐ放棄するようでもあります。それだけ大変なんだ!
しかし、自分自身になるため、イカロスのように空にチャレンジする物語もあるようです。考えさせられます。
昨日は夕方、多摩動物公園に行った。そして、どういうわけか飛ぶものを観て写真を撮りたくなった。 先日観た映画「一命」の影響か、あるいはスコット・ペックの「愛の心理療法」(創元社)の影響なのかもしれない。
多摩動物公園の昆虫館で蝶をみて、鳥をみて、シロフクロウやコンドルなども観た。今年の5月に生まれた二羽のシロフクロウの子供のうちメスが最近亡くなったそうで残念であった。動物園は生と死のドラマがある。今年になっても、アフリカゾウ、オラウータン、シロフクロウが亡くなっている。しかし、若い動物の死は実に残念だ。
帰り道に、夕月(旧暦で6日)が見えた、ちょうど夕方で写真を撮ったときに偶然、鳥の影も写っていた。
「一命」は、若い侍、求女(モトメ)が登場し狂言切腹を図る話なのであるが、実に愛とは何かを考えさせる映画である。特に自己愛についてであろうか。
健全な自己愛を育てる環境は昔も今も厳しいようだ。
ギリシャ神話にもイカロスの話がある。陸と海を取り締まるミノスに対抗し、ダイダロスが大空に行ってみようと、息子イカロスと翼をこしらえる。そして、完成するとダイダロスはイカルスと一緒に空に飛翔する。しかし、イカロスは若気の至か、父の教えを破り高く飛びすぎて、太陽の熱で翼の蝋が溶けて墜落し命を落とすという話である。
自分を受容し愛し、自分は自分と独り立ちをすること。そのためには飛翔(冒険)が必要なのだろう。
自己愛の完成は、隣人への愛への一里塚である。しかし、それを理解する人は意外に少ない。イカロスは太陽によって、求女(モトメ)は侍社会(もっと深い日本の言霊文化かも)によって命を落とす。それはダイダロスや半四朗のメンター役の悲劇でもある。
自分の場合はどうだったか。
青年時代に、私は「自分自身になる戦い」を挑まなかった。世の常識などに流された。しかし、40才後半から50才前半に遅すぎたかもしれない自己愛の戦いがあった。そして、運が良いことに「生き甲斐の心理学」に出会い、臨床心理学の知識の中で育てられた(メンターに恵まれた)。カトリックとの再会も大きかったとも思う。感謝である。
人は、「自分自身になる戦い」をどこかでするのかもしれない。若い頃、中年の頃、老年の頃、死の直前・・・その時に、暮らしの中のカウンセラーというか、良きメンターに出会う。それにより、ソフトランディングができたら・・・「生き甲斐の心理学」の知識をもっと普及したいものだ。
愛のトライアングル 4/10