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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

蝶になる前のしんどさ!(愛のトライアングル 5/10)

2011-11-03 | 第五章「和解と平和」

 青虫と蝶が同じ生き物で完全変態するということは、知識では判ってもなかなか実感ができない。それほど大きく変化する。何でそんなことが可能なのだろうか、不思議である。以前聴いた話であるが、蛹(青虫と蝶の間の形態)の状態では、青虫のころの器官はアミノ酸レベルまで一時的に分解してしまうとそうだ。そういう混沌があって、初めて美しい蝶への再生に繋がる。

 人のこころの成長も、蝶の完全変態に似ているかな、と最近考える。そして、この十年の間に経験した自己混乱感を振り返っても、蛹の混沌状態にどこか似ているように感じる。

 私が会社を退職するときは、実はかなり前から辞めることを考えて、こころの準備を整えていた。しかし、いざ辞める時になってみると、考えても見なかった自己混乱に陥った(運良くだれにも気づかれなかったが)。そういう自分を知ると、例えば映画「一命」の若い侍、求女の狂言切腹へ各場面を全く笑うことはできない。最近話題のStay hungry, stay foolish. もみじかに感じてくる。

 アイデンティティの転換の場面は大変苦しい(忘れてしまうことはあるが)。それは、個人特有の成育史の問題が遠因の場合もあるが、日本文化に固有の「汚れと禊」、「甘えの構造」、「恥の文化」、「もののあわれ」、「幽玄の美」(以上はU先生が教えてくれた特長であるが)も大きいと思う。映画「一命」では、この全てが登場しているよう(しかし、外国人にどのくらい分かるかかなぁ、外国の賞を貰って欲しいが・・・)。

 アミノ酸レベルまで分解というのも、自己混乱感の時は、劣等感、罪悪感、疑惑・恥辱、不信感・・・いろいろでてくるのも似ている。

 しかし、そんな混乱を経て、何か成長する。残念ながら人間は青虫のように蝶に完全変態はできないが、何かよりこころが安定するようだ。

 今回と、前回は愛のトライアングルというテーマにもかかわらず、ちょっと、その前の忠誠心、アイデンティティ、自己混乱感に戻ってしまった。そろそろ元に戻らなければ。

愛のトライアングル 4/10

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