他者の行動の一貫性を信じる力の源泉はどこにあるのか、どうしたら信頼力をつけることができるか、これは結構大きなテーマで、人格形成論、人間観、防衛機制、プロセススケール、エンカウンターなどが走馬灯のように浮かんでくる。
10回で、皆さんと共に、その一端を考えて行きたいと思い始めたが、今日は人間観の方向を目指してみたい。
自分を信頼する。他者を信頼する。簡単なようで難しいことではある。多くの思想や宗教にも、それぞれ人間観があり勉強にはなるが、自分のものとして、なかなか身に着かない。その時は判ったつもりでも、日々の生活のなかで息づかないものである。
自分の拙い経験のなかでは、人間観は単純に思想を知ることでは無く、知覚が変わることと関係があるように思う。例えば、見るということがある。これは眼球を通し外界の像を結び、脳でそれを様々なレベルで認識していく。
例えば孫をミル。2歳ちょっとになった孫は、どういう訳か最近、階段の上り下りに興味を覚え、先日多摩動物園に行ったときも、丘陵に造られた動物園なので階段もいたるところにあるため、動物見学以上に階段に夢中になっていた。
孫をミル。階段の上り下りという、幼い行動(馬鹿げた?)を上から目線でミルこともできる。
ボーと他人とは違う、近親感を抱きつつミルこともできる。
階段を上り下りする現象をミテいる中で、何か自他一体感を伴い、何か(神秘的な)を垣間見たというミルもあるように思う。ミルの主体が自分から、孫に転換をしたようでもある。上から目線と反対に、何かを教えていただくという目線といっても良いかもしれない。
観るとは、そうした力点の転換がある。これは、聴くでも同じことである。聞くのではなく聴く。
カールロジャースの6条件、傾聴訓練は生き甲斐の心理学を学ぶと必ず勉強することであるが、こうした知覚を変化させる訓練とも思える。
信頼力 3/10