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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

記号化された感情に出会った時!(傾聴力 6/10)

2011-11-25 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 こころの健康が崩れている時。本当は悲しいはずなのに感情が湧かない。本当は怒っているはずなのに感情が湧かない。こういう経験はあるでしょうか?昨日、たまたまtwitterで内田樹さんのつぶやきを拝見していたら、感情が記号化されるような・・・というようなつぶやきがありました。

 うまいこと言われるなと感動しました。

 現代の心理学で、こころの健康を測る尺度があり、世界中で愛用されているものに、プロセススケールというものがあり、7つの観点で測るのですが、その一番目に、感情のことがあります。こころの健康が良くない場合は、≪本物の感情が意識に表出されていない、認められない。≫ 

 自分の感情を記号のようにしかとらえられない。別の言い方で、自分の感情をガラス越しに見るよう。こんな時は、こころの状態が悪い(通常、底辺と呼びます)です。

 一日の生活の、ほぼ全体が底辺ということもありますが、普通の健康な人でも、ある話題では底辺ということもあるかもしれません。その正反対は、高辺≪どんな感情が湧いていても感情を恐れることなく、その感情の流れの中で生きているし、その感情を十分に体験、味わう余裕がある≫です。

 この感情に関するプロセススケールはいろいろな意味で役にたちます。若いころ、コンピュータの営業で奮闘していたころ、一日のうち、朝は大型受注で有頂天になり、昼ごろクレーム処理でしょんぼりし、夕方は楽しいお客様との会話でなごむ。そんな自分はちょっとおかしいのではと、信頼できる先輩に訊いたことがありました。それは、おかしくないよといわれほっとした経験があります。それは、今プロセススケールの理論で考えても的を得ています。

 そんなことを気にしていた時期は、営業成績もよく、考えてみればプロセススケールも高辺、中辺だったようです。反対に営業がスランプの時は中辺、底辺(ごく稀に)だったかな。

 愛のある傾聴により、記号化されたような感情が流れるようになる。それが、傾聴の醍醐味かもしれません。

 傾聴力 6/10

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