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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

悔いのない人生・・・か!(幸福曲線を辿る ③ 10/10)

2014-09-06 | 第七章「光と復活体」

 昨日、大栗川沿いで撮った写真である。青い空、白いニラの花をバックに絵に描いたように蝶が舞っていて、思わず撮ったのだった。 

 蝶を、人の魂の化身ととらえるのは西洋・東洋問わず昔からあったようだ。今年の夏も知人が亡くなったので、ひょっとしたら・・・などと頭をかすめた。

 蝶は、毛虫から全く動かない蛹になり、突然・完全変態・復活する。毛虫が一説によるとアミノ酸レベルまでいったん分解するも、再編成し美しい蝶になるそうだ。なんとも不思議な生命の世界である。

 さて、幸福曲線を辿る旅も今日で最終回となった。幸福曲線という明るい感情(平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感の5分類)を辿るには、何が必要かを考えてきたが、理論的には①アイデンティティの統合 ②無理なく日常を生き抜く現実吟味力 ③14の防衛機制(必要な時に心を守り、時には開放することで気づきを得たり)の3つが必要なようだ。

 しかし、3つも覚えられない私は、時々メメントモリ(死を想え)というラテン語の言葉を思い出す。ちょっと気味が悪い言葉であるが、日本語的に言うと「死に面しても、悔いのないように」ということかもしれない。それは、幸福曲線を辿る旅を凝縮している言葉のように感じてならない。

 メメントモリの意味するところ、それは自分の等身大の生身のイメージなのだろうか。時々、のんびりとイメージを楽しむことが大切なようだ。

 さて、大栗川は多摩ニュータウン建設と共に、きっちり護岸工事等がされ悩ましい洪水も無くなったようだ。ただ、残念ながら昔からこのような川だったとは思えないが、この川沿いでは旧石器時代から人が住み、特に縄文時代には他の地域以上に発展していたようだ。

 大栗川からは富士山も遠くに観えるが、溶岩が噴出していた時期は約1万1千年前–約8,000年前の3,000年間と、約4,500年前–約3,200年前の1,300年間と言われる。だいたい縄文草創期と中期~後期のころなのだろう。そんな時でも、私たちの祖先は何かを考え・・・メメントモリを考え、そして昨日のように蝶に不思議な感情を持ったのだろう。

  

幸福曲線を辿る ③ 10/10

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