イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

説得の常識と非常識!(私とあなた ① 5/10)

2014-09-11 | 第八章「魂と聖霊」

 赤毛のアンの最初の方で、赤毛など身体的なことに触れたレイチェル・リンド夫人にアンが癇癪をおこし喧嘩してしまうという事件がある。その為、アンの養父母になるマッシュとマリラが、リンド夫人と和解するために、あるいはアンのしつけのために、アンをリンド夫人に謝らせようと説得する。

 最終的には、アンが夜中に3度起きても3度とも激怒の状態だったにもかわからず、朝になると不思議に穏やかな気分になり、マッシュの意見に従い見事に謝罪をし、ハッピーエンドのストーリとなる。しかし、この一連の物語は心の仕組みと世に言うところの説得について、あれこれ考えさせるものだった。

 世の中、親が子を、上司が部下を、教師が生徒を、・・・まあ、しつけたり、説得したり、注意したり、強制したり、そんなことがある。これは社会が成り立つために、ある意味当たり前だと思うが、日本では教育現場をサービス業のように何か売り手と買い手といった単純なモデルで勘違いする人が最近多いように感じるが、皆さんどう思われるだろうか?

 例えば私は「生き甲斐の心理学」をU先生に師事し学んでいるが、門を叩くとき、「生き甲斐の心理学」を殆ど理解しておらず、どのくらい価値があるかもわからなかった。今でも、まだ判らないことだらけだが、飛び込んだ14年前の愚かさには赤面してしまう。上下のある関係の中には、何かを信じ、また信じられるといった現代経済学を越えるSomethingがあるように思えるのだ。

 ただ、立場や専門能力といった社会的な問題を離れて心の世界を考えると、人間の心は実に主観的?にできていることも確かだ。生き甲斐の心理学を学び実感した大事なところだ。ロジャースの命題で「個人はすべて、自分が中心であるところの、絶え間なく変化している経験の世界に存在する」があるが、この現象学的命題は本質をついでいて、日々の生活をイキイキさせるようだ。

 祖父が孫を説得すると言っても、孫が何を考え、問題(私が説得したことで生じる問題)をどのようにとらえているかは、祖父が全く関与できない孫の世界なのである。そして、そうした他者(この場合は孫)に一目置く事が、とても大事なのだと思う。勿論、緊急時には別の態度や対応が必要なこともあるが。

 落ちないで気を付けてね!

私とあなた ① 5/10

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