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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

家庭内の文化の差をどう考える!(私とあなた ② 2/10)

2014-09-18 | 第八章「魂と聖霊」

 縄文土器の研究から意外なことが判ったらしい。縄文土器は地域によって文様等の特性がある。私の近くの多摩の土器(中期)は大半は勝坂式とか加曾利式である。先日行った諏訪方面の尖石遺跡とか中央高速の釈迦堂インターの遺跡などと比べると明らかに違う雰囲気である。ところが、勝坂式とか加曾利式の中に東海地方の中富式や東北地域の大木式の土器が混じっているのだ(埋蔵文化財調査センターのパンフレット参照)。

 どうも、例えば結婚の配偶者が東北から来たり、そんな交流が他の日本各地とあったようなのだ。当時の交流は土器だけでなく、食物とか黒曜石(これは、霧ヶ峰方面や伊豆七島の神津島産が多いことが判っている)、ヒスイ(これも産地は限られ、糸魚川方面とか)から地域交流が分っており、驚いてしまう。

 現代では、東京など配偶者が同じ地域というのも少ないくらいで、私も妻は関西で立派に縄文時代からの伝統?を引き継いでいるように思う。しかし、関東と関西は食事の時の味付けにはじまり、文化の差が結構ある。気候・風土と身体の問題。底に流れる精神的文化の違い(縄文や弥生・・・)などが絡み、実際に結婚してみるとちょっとしたカルチャーショックを覚えるのではと思う。

 それから、現代では年齢の差などでも随分違うように思う。文化の世界的な融合(資本主義社会の物凄い影響だと思うが)で、日本でも文化の底に流れる古層の文化が忘れ去られるところがある。身近なことだと、歯を磨く風習であるが、私の幼いころは、食事の前に歯を磨けとしつけられた。これは、多分縄文からの伝統?で食物を神聖なものとし食物を迎える準備だと思う。それが、今は虫歯予防という観点から、歯を食後に磨くことが奨励されている。同じ文化といっても、時間の変化の中でもカルチャーショックは起こるのだろう。

 自分が汗水流して、実際に獲得した習慣や価値の外に、周りから「あたりまえ」の習慣や価値も引き継ぎ、あたかも自分で獲得したように思いこむのが私たちだ。そんなことで、家庭内でストレスを感じたときに、いたずらに不安感や怒りを個人んに爆発させる前に、自分の当たり前、あいての当たり前が何かを文化の差として確認することが必要なようだ。

 例えば、私は夜の電話は受け容れない世代だが、子供の世代はそうでなかったりする。しかし、お互いの常識がなぜ常識なのかを互いに話会うことが必要なように思う。

 ただ、冷静に話せない部分もあるかもしれない。意識の世界だけでなく人には無意識の世界まであるからだ。ロジャースの人格形成理論から「自分以外の他人は驚きの対象」と言う人もいるが、意外に真実をついている。いくら愛し合っている相手でも、他人は驚きの対象なのだから、訳の分からないところを誰もがもっていると考えれば、楽になれる。

私とあなた ② 2/10

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