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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

寄り添う事態に人はどうするか?(私とあなた ① 10/10)

2014-09-16 | 第八章「魂と聖霊」

 「花子とアン」。秋眠の中何とか起きて観たが、今日は終戦の場面であった。白蓮さんの白髪になる尋常でない悲しみ、食糧の無い悲惨、価値観の大変換、いろいろ考えさせられた。

 第二次世界大戦の終戦は、随分教えられたり感じたりもしたが、人はいろいろ忘れたりする生き物のようだ(特に私は)。その悲惨さをどの程度血肉化していたのだろうか。

 国と国が戦う戦争も、歴史上では第二次世界大戦の外に、古代、唐・新羅の連合軍に敗戦し終戦を迎えたこともあった。この時は大宰府に2000人の唐・新羅軍が駐屯したのだが、国名も倭から日本に変わったくらいなので、大きな悲しみや大変換があったのだろう。しかし、白村江で戦った人の敗戦の和歌など全く万葉集にさえ残っていない。逆に、無いことで戦争の傷跡の大きさを知ることができるようだ。

 天気がここひとつで丹沢や富士山は良く見えなかった。絶景の写真を一度は撮りたいと誓った!

    

   

 さて、昨日は京王線の多摩境駅の近くの田端遺跡に行った。縄文遺跡は住居跡等がいたるところに東京・多摩にもあるが、ストーンサークルは珍しいようだ。3500年ほど前の縄文後期から晩期にかけての祭祀遺跡で9mX7mの楕円形のストーンサークル。太陽がもっとも弱くなる冬至の夕日が、入る方角が丹沢の最高峰・蛭ガ岳であり、楕円の長軸の方向だ。それこそ死と再生の場所だったのだろう。

 そして、丹沢の奥には頂上付近ではあるが富士山も見えるという(位置は蛭ガ岳とずれるが)。ちょうど3500年前は富士山も噴火を繰り返していた時期であり、力を無くす太陽と富士山の噴煙も祈りに関係があったかもしれない。

 縄文後期から晩期の生きにくい時代、私の祖先たちは、それこそ白髪になるような悲惨の中、寄り添い総力を挙げてこのストーンサークルを建設したのだろう。信じて観えた世界は、何だったのだろうか?

私とあなた ① 10/10

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