7歳の時にアラスカで一年暮らしたのだが、その時の記憶は今でも結構残っている。その前後の記憶と比べると格段の差だ。当時は日本は貧しい国であったから、食べ物も暮らし方もすべて新鮮で驚きであった。しかし、おそらく7歳のわたしにとっては急激な環境の変化(言語、習慣、友達)になじめなかったところがあったようだ。
そんな中、ある日。胸が痛くなりちょっとしたパニックに陥った。病院に行ったが何でもないとのことだった。今から考えると、ストレス曲線が身体症状にまで登ってしまったようだ。文化の差は、馴れるまで実にストレスが多い(自分の日々の当たり前が異なっているので、そのギャップが不安感として蓄積されるのだろう)。
しかし、隣に住む子供たちと仲良くなったり、学校でも良き理解者の教師に出会ったりするなかで、次第に心を開きヘンなことを乗り越えて行ったようだ。文化の差も、愛があれば何とか乗り越えられるようだ。勿論、この愛についてはいろいろ思索する必要があるのだろうが。
さて、U先生の生き甲斐の心理学で最近の大きな話題は、日本人の心の文化である。U先生は①ケガレとミソギ②恥の文化③甘えの構造④もののあわれ⑤侘びと寂⑥幽玄の美である。西欧文化とかの対比等大きな括りで考えれば、そうなんだろなと思う。現に、自分がヘンになったときに私を襲ったのは、勿論生育史の問題故だと思うが、多分ケガレとミソギとか恥の文化だったように思う。
しかし、同じ日本といっても地域の文化の差はあるようだ。私は母方の祖父母と幼いころから一緒に暮らすなど大きな影響を受けたが、祖父は純粋の江戸っ子。祖母は京都・関西の育ち。その文化の差は、私にまでストレスとして伝わってきたように思う。この他に父と母の文化の差もあったかな。東京と広島だし。
最近、私は縄文文化をいろいろ勉強している。縄文文化といえば、誰でもちょっと風変わりな土器や土偶をイメージし、ちょっと異質な文化を想像してしまいがちだが、勉強すればするほど、自分の中に縄文が生きているように思えてきた。物的に時代を経て残るものは限られているが、例えば、漆器は日本で12,000年くらい前のものが見つかっているので、縄文時代では結構使われていたようだ(殆どが消失しているのだろうが)。また、祭祀等の宗教等も日本書紀のオオゲツヒメやウケモチノカミなどに繋がりそうな女神の文化として、歴史書や民話の中に継がれているようだ。
昨晩もハッとしたのだが、今度10月に行う予定の新宿での勉強会で触れる新宿・定礎伝説も、文脈からすると日本の民話に残っている地母神の話と繋がるようなのだ。
これに対しての弥生の文化も現代の日本人にも随分影響を与えているようでもある。自分の中の弥生も現実の生活の中で、ストレスを産みだしているのだろうか、それはどんなものだろう。妄想は尽きない。
ともあれ、身近な私とあなたの関係の中で、文化の差を思い出すことは大事だと思う。
(*写真は東京都埋蔵文化財センター内での田端遺跡の展示。)
私とあなた ② 1/10