イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

愛の名場面と自分の傾向!(傾向と渇望 6/10)

2010-10-21 | 第三章「無意識の世界」
 のんびりと、自分の成育史における愛の名場面を思い起こす。10年前に≪生き甲斐の心理学≫を学び始めてから、何回もゆったりとした気分の時にしている。

 愛の名場面は、思い出すのは楽しいが、自分の奥深く秘められた理想となり、現実との差異から、意外と≪愛の孤独感≫を形成する。昔サラリーマン時代、時にアフター5でカラオケをしたが、カラオケの場は結構この愛の孤独感に関係しているようだ。
 
 カラオケといえば、今はどうか判らないが、私たちの世代は≪昴≫(スバル)が有名であった。上司のために歌わずとっとく、という話もどこかで聞いた。孤独なサラリーマンの歌のようである。ただ、昴を思い出したのは、最近、奈良に凝っていて、以前にもブログにしたためたが≪持統天皇の春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほしたり天香具山≫の解釈で、吉野裕子氏の解釈を知ったためだ。従来のものと違い、白妙の衣が昴を暗示しているというのだ。そして、持統天皇の愛の孤独をふと考えたせいかもしれない。

 閑話休題

 愛の名場面のベスト3.私の場合、この5-6年の間に結構変わった。衝撃のベスト1は変わらないが、2番目、3番目の幼年期から少年期での名場面(愛の原型)はくるくる変わった。

 何故変わったかは、自分の判断力・吟味力が変わってきたかもしれないし、アイデンティティの微妙な変化からかもしれない。幼年期から少年期の愛の名場面が何故、愛の名場面と言えるかは、意外と当時の未熟な判断力で決まっていることに驚く。しかも、その判断には自分の考えより、他人の想いや夢が混入していることも。

 勿論、どれが愛の名場面かは、本人が決めることであるが、私の場合は、振り返ってみると、ある名場面が意外な理不尽な苦しみを生んでいたケースもあった。

 豊かに生きるために、愛の名場面を時に考えるのは良いことではないか。自分の理不尽な理想は凶器にもなる、そんなこともあるのだ。

傾向と渇望 6/10

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体心魂・・・自分の傾向と渇望を分けてすっきり!(傾向と渇望 5/10)

2010-10-20 | 第三章「無意識の世界」
 昨日、四ツ谷に行ったついでに、孫娘が見たくなり、ちょっと遅かったが寄ってみた。突然寄って、子育ての忙しいなかで悪かったかなと思っていたが、意外に爽やかな感じで娘は迎えてくれた。部屋も随分片付き、どういう変化かと気になった。

 娘いわく、最近≪断捨離≫(やました ひでこ)著を読んで実践しているとのこと。整理整頓というか、モノへの対応術というかなのだろうか、実戦するとストレス解消で気持ちがいいとも。私の整理整頓について話すと。いやまだまだ・・・と本をよんだらと進めてくれた。

 自分の拙い経験からしても、整理整頓が悪いー>いらいらするー>場合によっては感情転移ー>さらにイライラする。という悪条件を生む。そして、私もこの夏試行錯誤したが、いらいら感は激減。当然家庭内での人間関係も良くなった。また、この整理整頓はモノに対する知覚を変える。愛の知覚に近いかもしれない。その知覚に感動することも。

 ≪断捨離≫はどういうものか、まじめに研究(心理学的に)してみても面白いかもしれない。

 さて、このところ、自分の≪傾向と渇望≫を考えているが、漠然と考えても判らないものである。自分のこういう傾向は変かなあとか、いろいろ考えるが不安をます。時にはパンドラの箱を開けるように、自分の細かいところまで気になってしまう・・・しかし、上手く対応する方法があるのだ。

 ≪生き甲斐の心理学≫を学んで、素晴らしい、それこそ娘の≪断捨離≫にあたるよう智恵を得た。それは、人間が、成育史からなるこころ、身体、そして魂(この定義を、死んだ時身体から離れる生命体、愛そのもの)からなるという智恵である。そして、この定義から考えると、自分の≪傾向と渇望≫も心と身体と魂に分類されるはずだ。あるいは、分けて考えることができる。

 自分のこの傾向は身体から来る。

 自分のこの傾向は7歳前後の、この一連の出来事から来る。

 自分のこの傾向は魂から来る。

 こんな風に分類できることもあろう。因みに、欧米では身体は医者、こころは心理療法家、魂は宗教家がケアすると考える人が多いようだ。そして、この分類の智恵は、さまざまな場面で適応でき、劇的にストレスを減少できることも経験した。

 断捨離ではないが、体心魂(たいしんこん?)だろうか。

傾向と渇望 5/10

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動物園でパワーをもらう!(傾向と渇望 4/10)

2010-10-19 | 第三章「無意識の世界」
 心理学の世界でよく、コップに水が半分入っていて、これをどう解釈するかが話題にされる。「あぁ、もう半分しかない。」と解釈する人。「まだ、半分も残っていると解釈する人。」。同じコップを見ても解釈が異なるのだ。

 さて、昨日はY研究所に提出する論文のあるポイントを考えているうちに行き詰った。ふと、多摩動物園で年間パスポートを買ったことを思い出し、動物園に寄ってみた。入園すると、ちょうどシャトルバスがあり、いつもは遠くてなかなか行けないオラウータンのいる山へ。

 多摩動物園は、霊長類はチンパンジー、ニホンザルもいるがオラウータンもいるのだ。いつもは遠くにいるオラウータンを垣間見て終わるのだが、パスポートを持ってからは、一つの動物を10分以上観察すること目安にしている。のんびり見ていると、ある一頭が近づいてきてくれた。若いオラウータンで可愛い。

 現在はチンパンジーが500万年に別れ、ヒトに一番近いとされているが、ゴリラ、オラウータンもヒトに近い。遺伝子DNAの共有度もオラウータンも90%を越えるとされている。私の祖先も、このオラウータンの祖先にお世話になったようだ。

 チンパンジーもそうだが、オラウータンが近寄ってくると、何か不思議な感じがする。霊長類とは良く名付けたようで、五感・体感から他の動物には感じない≪何か≫を感じる。

 さて、ヒトには歴史が詳しく残されているが(勿論見方によるが)、オラウータンには恐らく殆ど残されていない。しかし、対面しているオラウータンの父母や祖父母はどうだったのだろうか。この動物園に生き延びて来るまで、どのようなドラマがあったのだろうか?ちょっと胸が熱くなる。

 このオラウータンにも、恐らく親から連綿と続いている生き残りのノウハウが伝えられているのだろう。当然、私にも伝わっているから、59歳まで生き延びてこられた。

 オラウータンの外にも、日本オオカミ、アムール・トラ(3匹の赤ちゃんも順調に育っているよう!)、エミュー、カンガルーなども見て帰る。パワーアップしたためか、帰ってから論文も良いアイデアが湧いて難関を突破できた。

 動物園に感謝の1日。

傾向と渇望 4/10

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あこがれのNara・・・からの宝物! (傾向と渇望 3/10)

2010-10-18 | 第三章「無意識の世界」
 昨日は、休日を満喫したが、NHKの≪あなたの知らない奈良≫を見たり(里中満智子さんを映像で初めて拝見し感激)、黒岩重吾の≪天の川の太陽≫を読み、壬申の乱に思いを寄せたり、町田の万葉植物園で草木を愛でたりした。

 一日、奈良なのである。

 さて、自分の傾向と渇望を心理学的に学んでいると、例えば、昨日のように自分の元気のもとが、父から学んだことだったと気付いたりする。そして、父は祖父からきっと学んだはずだ。・・・ということで、父や祖父母の影響が自分の性格形成に大きな影響を与えていることが分かる。

 祖父母の影響を与えたのは、さらに3-4世代前だが、もう情けないことに殆ど情報がない。しかし、祖先は必ず存在する。そして、40代から50代祖先を遡ると、飛鳥・奈良時代の祖先たちになるだろう。この時代、私の祖先は何を見、何をしていたのだろう。歴史上の人物も2の40乗とか50乗で増えていくはずの祖先の中で結構いるかもしれない。

 飛鳥・奈良時代は今の日本文化の原型が形成された時代だ。水時計が時を刻み、暦が整備される。お金ができて、税金(租庸調)も決まる。神話や歴史も整備され、日本語も整備され、日本という国名も決まった。半島を中心とした複雑な外交政策もあり移住もあり、先端技術問題も先端思想・宗教もあっただろう。致命的な病気もあり。戦争もあり謀略や虐殺もあっただろう。人口は600万人とも言われる。

 その時代を、私の祖先は生き延びてきた。それは確かなのだ(だから私がいる)。
 そして、そのノウハウは、きっと私にも伝わっている。

(上の写真は春に行った、薬師寺金堂。下の写真は町田の万葉植物園にて)

傾向と渇望 3/10

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≪励まされたり、褒められたり≫の原型を思い出し、一日をさわやかに!(傾向と渇望 2/10)

2010-10-17 | 第三章「無意識の世界」
 人間というのは、不思議なことにいつも未解決の問題を持つものだと思う。最近、論文で自己分析をしたりするが、考え込んでいると、いつの間にか自己否定的になってしまうこともある。

 今朝の目覚めの時に、何か自己否定的な気分を感じて、これでは一日がダメだと気付き。自己否定的な考えを解釈を変えたり、思考を明確化することで一掃することができた。それで、爽やかな気分で、今を迎えている。
 
 自己肯定的になると、思考・感情・行動のサイクルが好転し元気になる。そして、他者肯定的であると、さらに元気になる。見るものが美しく、新鮮で感動が大きくなる。それには、過去の経験が役にたっているようだ。それは、愛の原型の一種かもしれないが、自分の中に自己肯定を促す原型(自分にとって初めての経験)があることに気付くまた、他者肯定の原型みたいなものもあるようだ。

 自己肯定の原型。どうも父の思い出が多い。そんなことでクヨクヨするな!~とか。褒められたこととか(珍しいから記憶に残るのかも)。一度、小学校の時に溺れかかった時、危険を顧みずに助けてくれたこともある。

 自己肯定の原型は、他人の評価と自分の評価の相互作用で確信をましできてくるようだ。ロジャースのパースナリティ理論の第9の命題どおりだ。

 理論はともかく、スマートに自己肯定的になるノウハウを蓄積するのはとても大切だ。複雑な世界で良い一日を送るためにも。
 

傾向と渇望 2/10

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