田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

河野義行さんのはなし 『松本サリン事件』からの教訓 

2011年12月03日 | 日記

12月3日(土) 雨  激しく降る  午後からは 曇りながら生ぬるい風

今朝は集落を鹿の食害から防ごうと云うフェンス張りの作業の予定だった。気温が低いことを想定して冬用の作業着や防寒長靴を準備したが、雨で夜が明けた。小雨なら決行は当たり前とされながらも中途半端なモノ降りは困る。8時を過ぎて出かける時間が近づくと雨も激しく降りだし、作業中止の連絡は必要がないほどの降りになった。

中止となると嬉しいのは、町の人権センターから案内が来ていた講演会に出かけることができる。毎年開かれる「人権を考える町民大会」も今年で34回を迎えるそうだ。今年の講演を聞きたいのは“オウム事件”の河野義行さんが講師と云うことにある。彼があのような事件に巻き込まれながら「どうして冷静でいられたのか」また、反社会的な人物と決めつけられたことへの憤りをどのように自身の心に治めてきたのかを知りたかった。

家を早めにでて、明日、山裾集落の収穫祭で蕎麦打ちをすることになっているので、打ち粉などを購入してから町の老人福祉センターに向かった。駐車場は既に満車別のところに止めて会場に入ると、中では開会式が来賓の挨拶が始まっていた。町のイベントとなると来賓が多く、それぞれが長文をしたためて来るので長い時間がかかる。また、主催団体も立科町を始めに5団体となっており、それに後援が町の区長会、部落長会を筆頭に12団体が名を連ねていた。

河野さんの話が始まるときには会場内の席が空いたので俺も中に入って聞くことができた。彼の話を聞いていると『自身が受けた事件』を客観的に見ている姿があった。また、オーム教団がアレフや光の輪に変わったときに彼らが『何が危険で 何が怖いのか』そして、「ひかりの輪」の外部監査役になったことは、公正な立場から情報を発信するために外部監査人になったと云う。

彼が警察に嫌疑を掛けられているときから警察(官)の経験測、新聞記者の経験測を前提とした言葉の危うさに対して自己防衛を緻密に組み上げた話には驚いた。嫌疑を掛けられた者が白と証明するには誠実に生きるしかないと云う。マスコミにより犯人とされたからには、マスコミを以て嫌疑を晴らす手段としたこと、当に、毒は毒により制すると云うことだろう。 

 

オウムのことで社会からはじき出されようとした人は多くいたことと思う。河野さんとは比較にならないが、俺にしてもこの山裾に移り住むタイミングが悪く、オウムがこの地域に進入すると云う噂で嫌疑を掛けられた一人だ。

集会所に呼び出しを受け尋問され、念書まで書かされた

あの念書はどこへいったのだろうか?

 12年前のことだが ・ ・ ・ 

当時の町長からは後に詫びの言葉を受けているが ・ ・ ・ 

河野さんは『許すことから全てが始まる』と言われ、つづけて

こっち側 と 向こう側 双方で見方が逆転すると 自身のことながら

一歩はなれてモノを観る目を持っている

宗教観などもっと深く話を聞きたくなるお人だった

 

話は変わるが我が家の財布の先行きのこと。

昨年は散々の目にあったが、今年は夏中水も極力少なくしてマニュアルどおりに過ごした。冷たい風にも当たるように東の角に置いた。11月の中頃寒さが厳しくなると言うので家の中に入れたまま見ることもなく過ごしていた。

夕方何気なくピアノの陰を見ると、「カネノナルキ」の花が開いている。マサカの花 ・ ・ ・ 嬉しいことだが、ウイキペディアによると名前はカゲツ(花月)、オウゴンカゲツ(黄金花月)とも呼び、 和名はフチベニベンケイ(縁紅弁慶)とも言うそうだ。

 

成金を夢みているわけではないが

金の成る木の花を見ていると 花の足(軸)が長い

金が成っても足が速いと言うことだろう

黄金花月も錦を連想する

我家はカネに色気や触手はない

花の名は“フチベニベンケイ”としよう。。

 

コメント
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