12月24日(土) 快晴 冷え切った朝 太陽の恵みを受ける
日乃出前に東の窓を見ると不思議な紋様。昨夜の天気予報でも冷え込みが厳しいと伝えていたが、ガラスに描かれた絵模様を読み解いてみたくなる。朝陽が射すとガラスの下にあった模様は一面に広がり、冬将軍がアミダ籤でもやっているかのように見ええた。
集落に陽が射して来る頃には遠くの浅間連峰には雲一つない。山裾ならではの景色なのだが、スッキリしないのは俺の眼のせいだ。ボンヤリして遠くを見ても近くを見ても焦点がぼやける。
昨日は一本の太いリンゴの樹を切り倒し、トラックに積み込みを終えたとき、何となく眼がスッキリしなかった。 若しや持病の低血糖? 低ナトリュウム血症? 真逆 ・ ・ ・ と思いながらムリは禁物と急いで片付けをして我が家に戻った。家でも荷台のリンゴの樹を降ろし、チェンソーの手入れをしようとするが目眩がしたようにボルトの角が見えない。思えば、帰りがけの運転中車に酔ったような気がした。
家に入って顔を洗おうとしたときに気がついたのだがメガネがない。俺は普段遠近両用メガネをかけているが、そのメガネをリンゴの太い枝を切り払ったときに落としたようだ。
朝飯を片付けてからリンゴ畑に行き、作業をしたところでメガネを探し始めた。砂利道で縦に落ちている一円玉を探すより楽と自分に言い聞かせながら、細い枝を一本ずつ軽トラに積みながらメガネを探した。
殆どの軽トラに積み込んだとき、落ち葉と細い枝の間にメガネはあった。拾い上げてみるとレンズがない。フレームだけはひしゃげた形になり、俺の顔から外れる瞬間レンズは遠くに飛んだのだろうか?昨日の作業を思い出して見ると、切り落とした枝が思わぬ方向に転がったのを俺は瞬時に避けた。そのとき帽子を飛ばされ直ぐに拾ったが、メガネのことは全く気がつかなかった。
俺がメガネを見つけたのは下の写真、まぁよく見つけたと思う。この写真の中にメガネがあるのがおわかりだろうか?
壊れたメガネを探して貰うのは申し訳ない気がするので、俺が拾い持ち帰ったメガネをテーブルの上に置いたのを見て欲しい。その曲がり方が微妙なのだ。俺の顔から落ちて地面に接したときは無事だったのか? そう考えると地面のメガネに上から力を加えられたようだ ・ ・ ・
午後、佐久のメガネ屋に向かった。
「メガネ屋は何処がよい」とか「メガネはどうするのか」とか、このことに関してMとの対話はない。ストーブの薪をつくるのにチェンソーの刃や燃料に費用が掛かるのは当然、しかし、ストーブの薪とメガネの対価にどのような関連を付ければ良いのだろうか?
“煙りが目にしみる”のは世の常だろうが、暖かさを目で見るとボヤケるよりも心に沁みる。ストーブの温もりが18℃の暖かさでは帳消しにはなりそうもない。
林檎樹の 払枝踏み分け 眼を皿に 探す眼鏡の 哀れ悲しき (哉)