田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

季節感のない暖かさに 寒さを感じる

2011年12月15日 | 日記

12月15日(木) 晴れ   薄曇が張る暖かさ  夕方には寒くなる

昨夜はボランティア団体の会議で遅くなった。朝になって議事録をまとめようとするが話題になった言葉がでてこない。同じ目的でも考えが違う人が集まることで異次元の発想から新しい発見は良いのだがアタマが付いていかないようだ。

午後に郵便局の赤い車が長方形の長い段ボールを運んできてくれた。M宛ての荷物は彼女が帰ってくると直ぐに広げられ、中には沢山のカサブランカが 入っていた。

MはAlgoのトリミングに行っていた。東御市のペットショップと云うか其処ではペットの毛を刈ることをメインにしているが、最近では犬の洋服も売っている。短く刈り込んだAlgoは新しい服を買ってもらったらしい。クリスマスが近いからと云うことらしく、SalaのはないのかとAlgoに聞くと返事はなくチラッと俺を見た。

クリスマスツリーのオーナメントにはいろいろあるが、我が家のリンゴは東京から此処へ移り住む時に産地だからと買い求めたもの。ブルーのリボンは俺が仕事をやめた2004年北朝鮮に拉致された人を救う会の意味から付けたものだ。この人工のツリーは20年くらい使っているだろうか?毎年新しいオーナメントを付けることになっているのだが ・ ・ ・

 

クリスマスツリーに興味津々なのはAlgo、彼はいろいろなモノがぶら下がっているのがキニナルらしい。近づくと大きな声でダメっを貰う。一見いたずらっ子には見えないのだが、Salaとは大違いの強者だ。

玄関に置かれたカサブランカは暖かさを感じたのか直ぐに蕾が開き始め、甘い香りを漂わせだした。数年前は正月の松が開けても咲いていたことがある。今年は温かいので花の持ちはどのくらいになるだろう。

 

昼間の暖かさが夜には急に冷えてきた

明日は曇り 雪は降るのだろうか?

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小春日に ひねもす のたりドタリかな

2011年12月14日 | 日記

12月14日(水)  晴れ   温かい 湿り気のある空気  午後からは気温が下がるのを感じる

リビングから観る山の景色は北側を見ることもあり白い雪が目立つ。雪の白さのイメージとはかけ離れた暖かさ、今朝は霜も降りていたが風が冷たくないのに加え陽射しが暖かだ。陽当たりのよいところにベッドを置かれたSalaとAlgo、脇の鉢植えの花も一斉に咲き出している。 

外に置かれているときは花が咲くとは思えない枝の先に丸いつぼみが付き、それが色づいたと思ったら花が開いている。ニオイサクラの名で売られていたものだが花びらを開くときに僅かに甘い香りがするように感じた。 

花に近づいて見ると砂糖菓子のような肌触り、ザラザラ感が可憐さに対してギャップを感じさせた。 

ガラスを透してくる陽の光は温かく、懐の寒い俺には理解できないほど花を着けたカネノナル木。全体を見ると下の方は花を着けていない。普段の手入れは俺の役ではないことが花咲く場所を選んでいるようだ。懐が寒く感じるのは俺だけなのだろう。 

外に出て見ると玄関先に置かれたストレプトパーカス、初夏から咲き出して未だ青紫の花を見せている。クリスマスのころは来年の準備のためにボイラー室に移されると思うが、今年は異常な暖かさが続いている。 

夜は家の中に入れ日中温かいときに陽に当てている鉢植えのアジサイ・墨田の華 。寒さに耐えながらも葉を紅葉させてその微妙なグラデーションは手厚く扱う人を癒してくれる。

墨田の華に負けじと薄雪葛、こちらは極寒の真冬でも星空の下で頑張っている。春には葉のほとんどを白く見せるが冬になると辺りの花々が姿を消すと共に「私の出番」とでも言いたげに葉の色を変変化させる。この植物のどこに眼があるのだろうか? 

 

ぼんやりとした一日だが、夕方出かける前には気温も下がってきた。少し前まで騒いでいたSalaとAlgoは一つベッドで頭を付けて眠り込んでいる。  

彼らの寝るときは急にドタリと横になる

Salaはよく寝言を云っている

Algoはそれに反応するが意味は解せないようす

彼らにも言葉変更線がありそうだ

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価値観の違い 何を大切にするかが課題だろう

2011年12月13日 | 日記

12月13日(火)  晴れ   曇が多く温かい  午後には風が冷たくなる

何時ものように午前中は頼まれ仕事をしながらあっという間に昼になった。午後は髪を切り、社協へ寄り、広報誌の話やら来年度の予算のことを話題にした。野暮用を済ませながら帰りには我が家を通り越して、山裾の散歩道を久しぶりに訪ねてみた。

久しぶりというのは11月の末から町の事業で始められた鹿の食害から畑を守る防除ネットを張ることが始まっている。これは町の西武地区で小県郡との境に金属製のネットを張る事業だ。本来は境界線に沿って張ることになっていたが、実際には個人の土地を使うことになるため公共用地に杭を立てネットを張ってある。作業は集落から人足としてでるやり方だが日程が急に決まったので俺は参加していなかった。其れよりもこんなことを云うと怒られるかも知れないが、散歩道として貴重な山野草が咲く道に金属製のネットは似合わない。

ネットを横切る道にはドアを付けると云うことになっているが、いつ頃になるかは定かでないと云う。また、昨夜も鹿の鳴き声が直ぐ近くで聞こえたし、向かいの畑の婆様は大きな声で「ほうれん草が鹿に食われている」と云うのを今朝聞いた。俺の散歩道として健康管理にカメラを持って歩くのが楽しみだったが、これでは場所を変えるしかなさそうだ。

このネットが何時までも管理をされて鹿が来ない里になり、荒れた畑に作物が並ぶようになれば万々歳だろう。集落の変化は時代と共に何気なく変わって来ている。テレビが普及し始めた昭和40年代、ここの集落では共同アンテナを建てなければテレビを見ることができなかったそうだ。その後、25年ほど前にはケーブルテレビに変わった。そして、地デジになった今、ケーブルテレビの回線を使わなくてもテレビを見ることができると云い、加入を辞めると云う人もいる。時代とともに変化する集落の住まい方だがこの先はどうなるのだろうか?

 

東の窓から見る一千万ドルの静かな夜景

これだけは何時までも変わらないで欲しい

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日乃出も良いが 月の出はもっとひいき目

2011年12月12日 | 日記

12月12日(月)  晴れ   濃霧   午前中は不安定  寒くない一日

このところ月や星のドラマが多い。一昨日の皆既月食もそうだが太陽が絡むことよりも月が主役になると人を引きつける力が強いように思う。

月が昇る時刻に東の空を見ていると晴れてれば良いと云うわけではない。曇がそこそこあるか、空気が適度な湿り気を含んでいることが良い条件だろう。人によっては雲一つない晴天しかも、乾燥しているカラッカラの時に昇ってくる月を見ると爽快になると、こう言う人もいるかも知れない。

 

今夜は重なり合い適度に濃淡のある曇が幾筋か浮かんでいるところに月が昇ってきた。太陽が昇るときは地球上の全てのものを支配するかのような激しい光線を伴ってくるので、万物は太陽を神と崇め祭ってしまう。俺はどちらかと云うと月の方が好きだ。全てを負かしてしまうような強さはないが、必要なところには影をつくり支えてくれるし、月明かりでもモノを観ることはできる。

今朝のように太陽は日乃出の時、何時ものように辺りを隅々まで照らしていたが、直ぐに霧が流れてきて光を遮った。北風と太陽は太陽が勝ったようだが霧と太陽が戦うとどうなるのだろうか?

僅かな時間だったが太陽は霧に勢いを付けさせ、次には霧が太陽に視界を譲ったようだ。霧は流れながら僅かに浅間山の頂を見せた。

朝から晩まで窓は動かないが景色は見る時々で姿を変えてくれる。

一日中PCに囓りついてしまった。先日の講習会でもパソコンは事務機からコミュニケーションアイテムに変化していることを思い知らされた。画面を見ているとデーターベースのソフトが古いとサインが出て先に進めない。アップグレードをするよりも、事務機を止める方が先決かも知れない。

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集落の集会所 数年ぶりの大掃除

2011年12月11日 | 日記

12月11日(日) 晴れ  温かい 風もなく静かな一日

師走と云うこともあり集落の集会所の大掃除となった。17世帯が3班に分かれていて、掃除の当番は3世帯が組となる。大掃除は年一回ということなので、6年ぶりに当番になる。

掃除の範囲は建物の内と外、そして少し離れたゴミステーションと称するゴミ集積所となっている。一番の大事は食器棚に入っている茶碗やコップ、どんぶりなどをカルキに浸けて洗い直す。

高齢化で掃除当番を受けられない世帯が増え17世帯だが実際には11世帯が交代でやっている。三世帯で組とするのも今回が最後で、来年からは集落全戸で年2回大掃除をする話がでている。

9時前から始めた作業も全てが終わったのが12時少し前だった。漬け物とお茶で慰労会と云うわけだが、家は隣と云っても歩けばそれなりに離れている。お茶を前に話をすることはこう云うときしかない。

 

都会ではコミセンと云う

田舎では集会所とか公民館

建設費も町からの補助はあるが

10年間各戸が負担金を払い続けた

自分たちの施設だから ・ ・ ・ 

そう言う気持ちで見違えるように ・ ・ ・ 

女のと男の仕事の分担もなく

大掃除が終わった

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生ゴミに真剣に取り組む仲間 ゴミ減しま専科

2011年12月10日 | 日記

10月10日(土)  晴れ  寒い  冷たい風  

昨日の雪がまだ残る今朝はこの冬一番の冷え込みだっただろうか?朝一でストーブに薪を入れ一気に温度を上げると直ぐにSalaとAlgoが寄ってきた。彼らはまだ眠気が覚めきれないのか、Salaがドサッと横になると、AlgoはSalaの腹を枕にしてウトウトしだした。この二人は仲が良いのか張り合っているのか解らなくなる。

昼すぎには町の高齢者生きがいセンターで生ゴミの堆肥化を学ぼうという会が開かれた。生ゴミを堆肥化するというよりも、生ゴミを町のゴミ焼却にだすのを少なくしようと云う運動から始まった。

材料の段ボール箱を組み立てて内側と外側をガムテープで補強する。

箱の底に新聞紙を3日分厚く敷くだけと云うもの。

生ゴミを分解してくれるのは腐葉土に含まれる微生物。微生物を活性化するために米ぬかを入れるが、基材は腐葉土6に米ぬか4の割合とする。

箱に入れてから腐葉土と米ぬかを攪拌してできあがる。あとは一日おきくらいに1kg程度の生ゴミを入れる。驚くくらいに生ゴミの量が減るので不思議に思うが、やってみて初めて感動するだろう。

 詳しくは下記サイトをご覧ください。

http://garbageate.exblog.jp/i2

夜には皆既月食の天体ショーがあった。人並み、ツキナミにカメラを向けてみると、地球の大きさが見えた。

地球の周りのモヤモヤ

怖いモノに見えるのは俺だけか

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ふれあいネットワーク 世代を受け継ぎ地域の支えあい

2011年12月09日 | 日記

12月9日(金)  雪  初雪   晴れ  風は冷たい 十四夜月

目覚めるといつもより障子が明るい。若しや ・ ・ ・ 雪だ

朝一で出かけることになっているので慌ててタイヤをスタッドレスに交換する。軽トラのタイヤは軽く作業も朝飯前20分もあればだいじょうぶ。

朝飯を摂っている頃には雲間から陽が射して来るほどに青空が見え始めた。集落の公園の脇を通ると雪は少ないがしっかりと銀世界を見せている。

行き先は塩沢地区、世帯数が大きく昔の村で150余と云う西塩沢公民館に着いたのは9時を少し過ぎたところ。既に厨房や作業室では今日の「ふれあいネットワーク」の準備が始まっていた。一段落して休憩となるとスタッフ11名がそれぞれ持ち寄った漬け物や甘味な“手づくな”などがテーブルに並べられ、会話は秋の収穫から正月に向けた準備の話しに花が咲く。

休憩の前には一大イベントである“おはぎ”をスタッフで作た。家で米を炊いて電気釜ごと持ち寄ての作業。きな粉、胡桃、黒ごま、金ゴマ、そしてあずきと5種類のオハギができた。スタッフはベテラン主婦だけあって手際が良いと云うか、見ているあいだに片付いているのがすごい。

「西塩沢瑞穗ふれあいネットワークの会」と云うのが正式名称だが、16年前に発足して今に続いている。姑から嫁に受け継がれるスタッフの多くは女性だが、男性もボランティア精神旺盛な人が受けている。春と秋にイベントを行い、今日は秋の部で毎年オハギを作ることにしている。賑やかな宴会は話しあり歌ありで時間が経過するのが早かった。 

そう言う俺はナゼここに来たかということになるが、町民活動センターのボランティア活動発表会が来年2月にあり、そこで、このネットワークの会に活動事例紹介をして貰うことになっている。その資料作りに先ずは写真を撮ろうということで伺った。写真はともかく、大きなオハギを腹一杯の上更にお土産までいただいてしまった。

 午後4時すぎには東の空が薄紅色に染まる

十四夜月が白く化粧をした浅間の頂を照らした

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ストーブの薪が危ないと云うが 

2011年12月08日 | 日記

12月8日(木)  小雨   曇り   寒い一日

昨夜、「立科の薪が危ない」と云うが大丈夫?と友人からメールや電話があり、今朝も早く隣町からも電話があった。これに関しては長野県が佐久地方の薪を測定していて数値が出たそうだ。信濃毎日新聞の記事は下記サイトのようになっている。

http://mainichi.jp/area/nagano/news/20111207ddlk20040060000c.html

しかし、薪としては伐採したのが10月31日で針葉樹の落葉松と云うことだ。一般的には針葉樹の方が放射能が滞留しやすいと云われているそうだ。電話でも「オマエの家はこの冬をど~過ごすのか!」と云う内容だが、今焚いている薪は昨年の夏に屋根のあるところに入れたもので来年の3月まではストックがあり心配はしていない。

今年の3月に町の北の外れにあるりんご園から運び込んだ木は、夏まで野積みをして秋に下屋に入れたものがある。

9月の中頃に薪割りをしたが、この木に放射能がどれほど付着して、燃やしたあとの灰の放射能はどのくらいなのか測ってみたい。昨日も役場の環境係りに電話をして計測機器の貸し出しをして欲しい旨話をしたら、そのような準備は整っていないと云われた。ストーブの灰は今まで畑に鋤込んでいたので来年のストーブの灰は慎重に扱わなければならにだろう。

今日の午後はパソコン教室の最終日となった。昨日も一昨日も書いたが講師の姿勢でパソコンが身につくかイヤになるかハッキリするだろう。講師の岩田健二氏こと“辺境のMac使い”に会えて大きな収穫があった。講習に重きを置いたのがセキュリティーと云うのが俺が気になっていたところなのでありがたい。

 

この受講生が更に学びの場を設けることができると良いと思うが

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つづいて 聞く 話す 見る の次は ・ ・ ・ 今日もPC教室

2011年12月07日 | 日記

12月7日(水) 濃霧  曇り  寒くもなく 温かくもない 一日

昨日に続き午後からPC教室 昨日よりも受講生の数が増えている。先ずは前の日にやったことを忘れていないかの確認から ・ ・ ・ 

セキュリティーの話しでもWindowsは脆弱体質と決められては、俺は初めてパソコンを使ったときはMacだった。しかし、と今更云っても仕方がないが今はWindowsを使っている。今日の講座はネットを使った聞く・話す・見るから入った。聞くはネットからダウンロードした歌や朗読を体験する。

次の話すはPC電話、Skypeの体験となり受講生が互いに話したり、講師IK氏の友人が電話にでるというデモがあった。なにしろ電話代は無料と云うことなので大いに活用したいところだ。俺も一時は友人に勧められ登録したがPCを持って歩けないことと、基本的に電話で長話をしないことでホッタラカシになっている。しかし、今回の講座ではマックのタブレットPCを手にしてのこととなると別だ。昨日も書いたようにWindowsは確かに事務機だ。今のネットがあたりまえの環境となるとタブレットPCやiPhoneが時代の主流になるのだろう。

インターネット楽しいか楽しくないかと云うと、回線やパソコンの設定がスムーズか否かでハッキリ分かれる。今回のように実践的ベテラン講師の手によると何しろ楽しい。

Macと云うと俺の机の下で眠っている伝説的なSE30。懐かしいと云うか、」このモデルのあとはiMacやG3を使った。Windowsを手に入れるとき、keyboardに不具合が発生したNoteを下取りにした。

既に10年になるが引越しの時にkeyboardやコードなど一切をなくしてしまった。何処かの段ボールにいれたままになっているのだろうか?

各自にタブレットが配られて慣れてくると欲しくなる。これさえあれば電話だってタダ、新聞だって購読しなくても読める。昔の歌も今の歌もいつでも見ながら聞くことができる。極めつけは持って歩け、バッテリーの持ちが良いのがスゴイ。価格だって高いわけではない ・ ・ ・ 電話代やネットで格安品を買うことを考えれば安い。誰が俺を煽っているのか解らないが、カミさまの声を聞くと事務機とパソコンは別と聞こえてくる。

兎に角、この講座が楽しく過ごせるのがスゴイ

辺境のMac使い氏の技たるや

受講者全員がパソコンに対する認識が変わった

夜は望月で「東信州田舎暮らしネットワーク」の会合があった。

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あなたの SECURITY 安全ですか!

2011年12月06日 | 日記

12月6日(火) 曇り   寒い   冷たい風  

あなたのセキュリティー安全ですか?って云っても家のことではなくパソコンの話。昨年に見つかった新種のウイルスは2000万種だと云う。午後に町の老人福祉センターでパソコン教室が開かれるので出かけた。主催は蓼科ケーブルビジョン、テレビ回線でインターネットサービスも行っていることからSECURITYを中心に講座を開く案内が来ていた。

俺が初めてパソコンに触れた頃はネットはなく事務機と云うよりも趣味的なものだった。あの頃はパソコンと云うよりも異人種の事務処理機で先ずは機械を導入するには言語を習えなどと言われたことがある。確か・・・コボル ・ ? コボル言語だっと思うが ・ ・ ・ 

セキュリティーに関することを中心に教えてくれるというので初心に返り、艶っぽいサイトなどを自由に見てもOKなセキュリティーを学べるならと出かけた。

ところが、畑や庭を目にしながら出かけるときにキニナルのがホッタラカシの枯れ草などが目に入る。中でもシュウメイ菊は種を飛ばすために寒さに遭わせて白い綿毛が花のように広がっている。これも早く切り取ってやりたいし、梅の木など剪定した枝がそのまま放置されている。白樺も枝降ろしをしなければならない ・ ・ ・ 後ろ髪を引かれるように軽トラを進めた。

会場には10台のパソコンがならびプロジェクターに映し出して細かな手順で説明がされていく。講師はJANISと云う(株)長野県協働電算という会社から派遣されたIK氏。ネットの便利さと怖さを解りやすい絵と話で進めるのが素晴らしい。

 

この講座は3日間開かれるので裏技などが聞くことができるかも知れない。尤も俺はパソコンの能力の僅かな%しか使えていないだろう。

3時間淀みなく流れる講義をみっちりと受けた

目から鱗 来てみて良かったと実感する

パソコンを経済的使おうという積極的な話し

艶っぽいサイトのことは明日の心らしい

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たまにはボンヤリも良い 陽向ぼっこ

2011年12月05日 | 日記

12月5日(月) 晴れ    午後からは 曇が張り出す 夕方は寒い

午前中はリビングでひなたぼっこ。12月という言葉も耳慣れ、巷では電飾の話題が多くなる。寒さも冬らしくなってきた。

我が家は太陽がでればストーブも必要がないほどの暖かさになる。リビングの窓際に陣取るのはSalaが先で次にAlgoそして、あとに俺が座り込む。のんびりしすぎたと重たい腰を上げたのは午後3時を過ぎていた。この時間になると浅間の山麓は陰陽がハッキリしてくる。 

「ストーブの薪がない」とMの声、北側のドアから外に出ると脇の壁にある温度計は+3℃を指していた。温かい家の中からでて予想以上に冷たい風が瞬間的に-3℃と見間違えるほどだった。 

薪を補充すると云うことは、家の中、ガラス戸からストーブの脇まで薪を運ぶのははMの担当。俺は薪割りから乾燥、野積み、そして下屋に積んである薪をガラス戸を開けたところまで運ぶことになっている。

裏山の木々は葉を全て落とし重なり合った枝先が寒さを余計に演出している。既に太陽は西の山へ姿を隠し、通り抜ける風が手指に冷たさを感じさせる。

ガラス戸の前に薪を積み上げるのだが、強い風や野良猫が倒すことがあってもガラスの方に倒れないように積む。この薪の量だと晴れの日が多ければ一週間は持つだろう。太陽がでないと昼間でも薪を焚くことになるので週末には追加することになる。 

今日の浅間は一日中雪を被り姿を見せなかった。頂部には曇が張り付き離れようとはしない。上空の黒い曇が風に流されて動くと頂上を被う雲は僅かに紅を射した。 

夜7時から 社協の編集会議、相変わらず原稿の揃いがわるい。原稿が届かないために話題が広がる。

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大深山の収穫祭2011 Algoは体調を崩したが

2011年12月04日 | 日記

12月4日(日)  快晴   穏やかで温かな一日

 昨日の朝とは大違いの快晴、しかも温かく風もない。一ヶ月前に集落全戸に収穫祭のお知らせを配布して今日を待った。

朝から忙しく動かなくならないと朝飯もそれに合わせ、何時もより1時間早くすることにしていた。ところが ・ ・ ・ 夜が明ける前のことだがAlgoとSalaが廊下で騒いでいた。トムとジェリーではないが、彼らが追い駆けっこをすると家中喧しくなり寝ているどころではない。俺が一喝すると直ぐに静かになったが、その後起きてみるとAlgoの様子がおかしい。

口から泡をだして名前を呼んでも来ない。抱き上げて顔を覗き込むと苦しがっている。廊下で騒いでいたのはカマドウマかアマガエルが家の中に入り、それをAlgoが食ったのか?それともストーブの薪に着いていた虫を囓ったのかもしれない。Algoは気分が悪いらしく、名前を呼んでもチラッと俺を胡散臭そうに俺を見る。

< なんで俺を危険に曝したんだ 死ぬところタッタゾ>

 大深山の収穫祭 2011はスライドショーでご覧いただきたい。

 ">

収穫祭は集落全戸で食材を持ち寄り、大した打合せもないまま立派な宴会が成立する。老人会から若妻会へ 呑龍会(青年会)から子どもへの伝達、全てが流れているのを感じる晩秋の収穫祭ならではことだろう。

朝飯を食っていないAlgo、晩飯は食べるだろうと何時もより少なめに与えるが見向きもしない。ヤセッポチのAlgo、腹の中はゴウジョウで満腹らしい。

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河野義行さんのはなし 『松本サリン事件』からの教訓 

2011年12月03日 | 日記

12月3日(土) 雨  激しく降る  午後からは 曇りながら生ぬるい風

今朝は集落を鹿の食害から防ごうと云うフェンス張りの作業の予定だった。気温が低いことを想定して冬用の作業着や防寒長靴を準備したが、雨で夜が明けた。小雨なら決行は当たり前とされながらも中途半端なモノ降りは困る。8時を過ぎて出かける時間が近づくと雨も激しく降りだし、作業中止の連絡は必要がないほどの降りになった。

中止となると嬉しいのは、町の人権センターから案内が来ていた講演会に出かけることができる。毎年開かれる「人権を考える町民大会」も今年で34回を迎えるそうだ。今年の講演を聞きたいのは“オウム事件”の河野義行さんが講師と云うことにある。彼があのような事件に巻き込まれながら「どうして冷静でいられたのか」また、反社会的な人物と決めつけられたことへの憤りをどのように自身の心に治めてきたのかを知りたかった。

家を早めにでて、明日、山裾集落の収穫祭で蕎麦打ちをすることになっているので、打ち粉などを購入してから町の老人福祉センターに向かった。駐車場は既に満車別のところに止めて会場に入ると、中では開会式が来賓の挨拶が始まっていた。町のイベントとなると来賓が多く、それぞれが長文をしたためて来るので長い時間がかかる。また、主催団体も立科町を始めに5団体となっており、それに後援が町の区長会、部落長会を筆頭に12団体が名を連ねていた。

河野さんの話が始まるときには会場内の席が空いたので俺も中に入って聞くことができた。彼の話を聞いていると『自身が受けた事件』を客観的に見ている姿があった。また、オーム教団がアレフや光の輪に変わったときに彼らが『何が危険で 何が怖いのか』そして、「ひかりの輪」の外部監査役になったことは、公正な立場から情報を発信するために外部監査人になったと云う。

彼が警察に嫌疑を掛けられているときから警察(官)の経験測、新聞記者の経験測を前提とした言葉の危うさに対して自己防衛を緻密に組み上げた話には驚いた。嫌疑を掛けられた者が白と証明するには誠実に生きるしかないと云う。マスコミにより犯人とされたからには、マスコミを以て嫌疑を晴らす手段としたこと、当に、毒は毒により制すると云うことだろう。 

 

オウムのことで社会からはじき出されようとした人は多くいたことと思う。河野さんとは比較にならないが、俺にしてもこの山裾に移り住むタイミングが悪く、オウムがこの地域に進入すると云う噂で嫌疑を掛けられた一人だ。

集会所に呼び出しを受け尋問され、念書まで書かされた

あの念書はどこへいったのだろうか?

 12年前のことだが ・ ・ ・ 

当時の町長からは後に詫びの言葉を受けているが ・ ・ ・ 

河野さんは『許すことから全てが始まる』と言われ、つづけて

こっち側 と 向こう側 双方で見方が逆転すると 自身のことながら

一歩はなれてモノを観る目を持っている

宗教観などもっと深く話を聞きたくなるお人だった

 

話は変わるが我が家の財布の先行きのこと。

昨年は散々の目にあったが、今年は夏中水も極力少なくしてマニュアルどおりに過ごした。冷たい風にも当たるように東の角に置いた。11月の中頃寒さが厳しくなると言うので家の中に入れたまま見ることもなく過ごしていた。

夕方何気なくピアノの陰を見ると、「カネノナルキ」の花が開いている。マサカの花 ・ ・ ・ 嬉しいことだが、ウイキペディアによると名前はカゲツ(花月)、オウゴンカゲツ(黄金花月)とも呼び、 和名はフチベニベンケイ(縁紅弁慶)とも言うそうだ。

 

成金を夢みているわけではないが

金の成る木の花を見ていると 花の足(軸)が長い

金が成っても足が速いと言うことだろう

黄金花月も錦を連想する

我家はカネに色気や触手はない

花の名は“フチベニベンケイ”としよう。。

 

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銀世界とまでは行かなくても 久しぶりの冬景色

2011年12月02日 | 日記

12月2日(金)  雪   曇り  午後から 風がでる 雨

夜半に雨音が消えたので大雪になるのではと夢うつつながら銀世界を思い描いていた。しかし、目覚めると僅かにうっすらと白く雪化粧をしているだけで、空からは降ると云うよりも白いモノが浮いているように見えた。

初雪や二の字にのじの下駄のあと これが砂糖なら 大もうけ

誰が言ったかは知るところではないが、山裾でも初雪、季節の移ろいを見せてくれることに感謝をしたい。  

朝一の電話で床暖のメンテナンス会社から電話、「午前中に伺います」とのこと。昨日は夕方に来て故障箇所を調べた結果、循環液を送り出すポンプがダメになっていると診断された。会社に帰ってパーツの在庫を確認してから電話をするとのことで、早くて来週になると思っていた。

家中に張り巡らしてあるパイプに暖められた循環液を送り出すポンプと云うので、相当の大きさだろうと思っていたら 手のひらに乗るほどの物だった。機械が詰まった一番下の右端に置かれているが、ここから左のタンクに繫がるパイプも劣化しているので交換したと云う。はずされたパイプを見るとゴムが劣化してボロボロになっていたり、プラスチックにはヒビが見えた。雪が降り始めた矢先の故障、厳寒期でなくてよかった。不凍液を入れて試運転をすると、異音を発生していたもの聞こえず快調に動き温度上昇も早くなった気がする。

昼前に一端明るくなったが、再び雪が降り出した。静かな環境で冬を迎えるのにストーブの薪も充分に蓄えがあり、灯油の床暖房も万全となった。あとは電気がことなく通じていてくれることを願う。原発がなくても充分耐えられるようにEco電に心がけて冬を楽しもう。 

 

午後は出かける予定だったが、社協の広報誌48号の原稿をメールに添付すると出かけるのが億劫になってしまった。

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床暖ボイラーの故障 叫ばれて起こされて騒がしい深夜のこと 

2011年12月01日 | 日記

12月1日(木) 曇り  寒い 冬の到来を思わせる  午後には雪が舞う

朝方と云うには早い夜中のこと、Mの大きな叫び声で起こされた。俺が寝たのは1時を過ぎたころなので丁度深い眠りについた3時少し前。

大声で言われたことは“ ・ ・ ・ 何か音がしている ・ ・ ” “変ダ 見テ”と続けて云われたように記憶している。

ベッドから飛び起きて彼女の声に向かうと、床暖房のボイラーからギューギューと云う軋む音がしている。コンクリートの床を見ると一面水が溜まっていた。ボイラーを稼働するスイッチをオフにしてコンセントを抜いた。

さて、ボイラーから循環液が漏れたのか?それとも配管システムからの漏水? ・ ・ ・ ボイラーは10月に点検を済ませて3年契約のメンテナンスフリー契約を交わしている。契約書を見ると故障の対応は24時間電話の受付をしていると書いてあるが、夜が明けてからにするとして一件落着とした。

ベッドに戻ろうとするとMがストーブに薪を入れて温度を上げてから寝てくれと云う。SalaやAlgoが寒がると云う。昨日までの暖かさから急に寒くなると天気予報でも言っていた。薪を三本入れて灰に隠れていた熾火に風を当てて200℃まで上昇させた。部屋の温度は18℃と充分すぎるくらいの暖かさになったので、俺はベッドに向かった。

朝になってSalaたちを見ると暖かい部屋にいながら更に、互いを暖房機にしながら寝込んでいる。俺の方が寝不足に陥っているにも関わらず彼らは俺の存在を知りながらタヌキと化している。

朝になってボイラーのメンテ会社に電話を入れると夕方に来てくれると云う。あとはお任せとして14日のボランティア団体の会議案内と今月から募集するパソコン教室の要綱を印刷し午後に出かける支度をした。

午後は社協の会議やボランティア関係の打合せがある。出かける前に東の窓を覗くと浅間が裾野と頂部を見せている。曇の中に浮かぶ姿はどう見ても活火山には見えない。

 

家に戻ったのは3時過ぎ、僅かに雪が舞っていた。

ボイラーのメンテナンスに来てくれたのは予定通り5時、しかし、機械を開けてみて直ぐに漏水した箇所を見つけたのはよいが ・ ・ ・ 

部品を取り寄せないと ・ ・ ・ と云うことでした。。

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