「人としての条件」とは妻と医療生協の活動をしている人々について今朝行った議論から出てきた観念である。誰か特定の人を批評するというような意味をもっていない。
人としての条件とはいうが、特に優れた人という意味ではない。普通に信頼される人というくらいの意味である。
これはいくつかのことが条件になるだろうか。
まず、ある程度自分のアイディア、意見とか考えがある人ということがまず最初だろう。しかし、それだけでは十分ではない。自分のアイディアを言うだけでそれを自分で実現しようとしない人がままあるからである。だから、そのアイディアなり考えなりを曲がりなりにも実現できる実行力をもつということがつぎに必要だろう。
だから、アイディアは大切だが、それを述べるだけでは十分ではないといえる。それを具体化して実現できる力が必要なのだ。この点では優れた研究者といわれる人にはその点の力が備わっていると感じている。もっともここでは学者とか研究者ではなく、もっと普通の人のことである。
この実行力の中にはもし必要ならば、他人を動かす力をもっているということがある。私自身に欠けているのはこの点においてである。
実行力と密接な関係にあるのだろうが、意欲というかintentionがどうも大切なようである。意欲があってもそれに伴う実行力が伴わないとものごとは実現できないものだが、それでもまずは意欲が必要である。もっとも意欲とアイディアとか考えもある程度結びついた関係にあるという気がする。
まとめれば、信頼される人に必要なのは「アイディア、意欲、および実行力とか組織力」となろうか。これらの3つないしは4つの能力を合せてもっている人は優れた人ということになろう。残念ながら私たち凡人はそのうちのいくつかの能力が欠けているというのが現実だろう。
それでも、それらの欠点を何とか補ってやりくりしているのが、私たち凡人なのである。