矢吹晋さんの「文化大革命」という新書を昨日読んだ。これは1989年の書であり、もう20年以上も前の書である。
文化大革命は失敗だったというのが、矢吹さんの評価である。そして四人組ではなくて、毛沢東も入れた五人組だというのが矢吹さんの判断である。
文化大革命では毛沢東は大きな過ちを犯したというが、毛沢東のそれまでの中国の革命の功績に鑑みて中国では毛沢東は功罪相半ばするという公式見解らしい。
それはともかく、中国の現代の歴史は私たちの経験した歴史の一部である。私の出た大学の研究室のS教授は中国に何回か行ったことがあったので、私たちにも中国は近しい感じの国であった。
また、そこから先生がお土産として持ち帰った酒「茅台酒(まおたい)」とか「老酒(らおちゅ)」とかは若いときには親しい酒であった。
中国はプロレタリアート独裁の国であり、西欧風の民主主義国ではない。大学院の頃には北京シンポジウムがあり、同僚の大学院生もメンバーの一人としてシンポに出かけたりしたし、そのための募金活動の責任者を私が在学した大学で勤めた。
これは私がその運動に賛成であったというよりは他の学生がそういう役から逃げてしまい、処世術の下手な私にお鉢が回ってきたということであった。
毛沢東自身にS教授が面接したことがあったと言ったかどうかは覚えていないが、遠山啓氏の毛沢東評はあまり芳しいものではない。遠山氏は毛沢東について陰険な暗い印象をもったらしい。その印象は遠山啓著作集のどこかに載っている。
私は学生の頃には毛沢東をすばらしい政治家と思っていたので、この遠山の毛沢東の印象について読んだときには私はもう大学に勤めていたが、少し意外な感じをしたと思う。
しかし、今考えてみると、この遠山の印象はかなり正しいものだったのだろうと思う。
そういえば、武谷三男は中国本土へは行ったことはないはずだが(武谷は幼少時から旧制の高校までを台湾で過ごした)、毛沢東の「矛盾論」とか「実践論」はあまりにも教訓めいているとして、それほど評価していない。
しかし、一つの毛のエッセイだけは評価している。これはもちろん、毛が延安時代に書いたものらしいが、これが毛の一番いい時代だったのであろう。その後の毛の論文をあまり評価していないようである。
もっとも私は毛の「矛盾論」を読んで得るところがあった。もちろん、思想としては毛沢東の影響だけを受けているわけではないが、ものごとを矛盾の対立として考えるという点でいくぶん考え方を学んだと思う。
私の90年代のある経験(これはまったく学問とは関係のない経験だった)の分析に毛沢東の抗日戦線の状況の予想の分析を真似て推論をしたことがある。
そして、それは完全に予想があたっていたわけではないが、おおまかにはあたっていたと思う。