物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

読書

2010-09-14 12:00:15 | 日記・エッセイ・コラム

読書はあまり得意ではない。大抵何を書いてあるか、わからないからである。小説とかの文学作品をほとんど読まないので、こういうことになる。だから、数学エッセイを書くときの引用でも最小限のところしか読んでいない。

これでは私の教養が大いに欠けたことになるのだが、仕方がない。実際に本を読まなかったわけではないだろうが、知的ジャイアントといわれる、梅棹忠夫氏も自分が読書家ではないという風にどこかで書いている。もっとも彼の場合にはテレもあるようで、別のところでは「私はほとんど本を読まないように思われたらしいが、それでも結構本を読んでいる」というようなことを書いているのを読んだ。

だが、梅棹さんのようなテレではなく、私の場合は事実だから仕方がない。昨夜NHKのテレビを見ていたら、1ヶ月に20冊という多量の本を読む人がいる一方で、月刊読書数が0冊の人もいた。これは番組が「読書の勧め」が主題であったから、わざとこういう極端な番組参加者を選んだのであろう。

東京千代田区の区立図書館とかいい施設ができているらしい。

ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」などでも長い小説であるので、最後まで読んだ人がどれくらいあるのだろうか。私はNHKのフランス語講座で、その抜粋を読んだことがあるきりである。

いつだったか羽仁五郎の書いたものを読んでいたら、最後にはジャベル警視は自分が法を遵守することにしか関心がなかったことを恥じて最後にセーヌ河に投身自殺をすることまで知っている人は少ないというようなことを書いていた。これは羽仁五郎が戦争中に捕まって彼を告発しようとした特高検事とのやりとりの一つのエピソードとしてこのことを書いていたと思う。

数年前にテレビの映画でこの最後の場面を見た覚えがあるので、ジャベル警視の最後を知っている人が現在では多いのだろうが、このときにジャベル警視は自分の手を紐で縛ってセーヌに投身自殺を図っていた。

どうもつまらないことだけ私は覚えているものである。