宗教と物理学の接点がどこになるのかはわからないが、私の友人と知人で仏教に造詣の深い人が二人いる。二人とも物理学を学んだ人であるが、その一人のE君は私の2年または3年後輩であるが、私からのメールに答えてときどき返事をくれる。
今朝もメールをもらった。彼は山本空外という人の空外記念館の理事長に昨年の秋になったと知らせてきた。また、この空外上人の墓地はあの湯川博士と背中合わせだという。
いつもこのブログにコメントを下さるN. N.博士は湯川博士の研究室の出身の俊秀であることは物理学者の間では周知のことだが、そのN博士の寄稿のある、数学・物理通信第4号を送ったところが、このE君の今回のメールであった。
なんらかの縁を感じている。そのメールの添付書類には山陰中央新報という新聞にE君が書いた空外上人と湯川博士の上記のいきさつが書かれた記事がついていた。
仏教はあまり宗教らしさがなくて、普通の人間の人生訓の延長のようなところがあるので、仏教と物理学はそれほど違和感はないのかもしれない。私の若いときからの友人でクリスチャンである人もある。
私自身はあまり宗教的とは言えないが、こういう人と絶交もすることなく、つきあってきたところを見ると結構宗教との間の間合いの取り方を心得ていることになるのだろうか。