「数学教室」(国土社)10月号に数学者の瀬山士郎(群馬大学)さんが「2011年3月に定年になったら、数学・数学教育からきっぱりと手を切って、残り少ない人生をめいっぱいやりたいことをしたい」と書かれている。それはそれで一つの生き方だと思うので、別に反対ではない。
瀬山さんには一度だけ会ったことがある。もう20年以上昔のことだが、高知県で行われた数学教育協議会の全国大会のホテルの一室であった。現在はどうか知らないが、ひげを生やされた重厚な感じの方であった。
その後、瀬山さんは人気のある、数学書の著作者となり、わかりやすい数学の本をたくさん書かれている。そのうちの数冊は私ももっている。だから、ご自分ではやるべきことはすでにやったと思われているのであろう。また彼はミステリとかSFのファンで、お酒も好きならしい。
彼が自分の思った通りに定年後を過ごすことができるかどうかはわからないが、私ならそんなにきっぱりは割り切れないだろうなと思う。これはどちらがいいとかいっているのではない。いろいろな生き方があるのだと思う。
有名な数学者の森毅さんも定年後は数学教育からは手を切ったようだし、もっとよく知られた例では地球物理学者の竹内均さんは地球物理学のもっていた蔵書とかを研究者仲間等に譲って研究とは縁を切ったというのは有名である。彼は百科事典とかの辞典の類だけを手元に残して後は始末したらしい。これは生き方が潔いともいえるが、なかなか私には真似ができそうにない。
これは伝聞にしか過ぎないので、実際はわからないが、化学者のポーリングは晩年までビタミンCがガンの予防に役立つことを証明しようとして研究を続けたという。彼は化学でノーベル賞をとったが、その後ノーベル平和賞を受賞した人でもある。また、ワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造でノーベル賞をとったときも、彼らの仮想したライヴァルはポーリングであった。
私の大学在職中の終わり頃に医学部の学生のための自然科学概論だかの講義を担当したときに授業時間の1/3くらいをビデオを見せることにした。そのときに化学大企業のデュポンがつくったビデオを見せたが、そのときにビデオで見たポーリング邸は海岸に近い崖の上の大きな邸宅で、彼は晩年もそこで研究していたのだと思う。