福島原発事故の検証委員会の委員長に畑村さんがなった。彼は「失敗学」の提唱者だという。彼のオリジナリティを認めないわけではないが、その哲学の大部分はすでに武谷三男の「安全性の哲学」の中にその大要は含まれていると思う。
日本では始めてそのことを言った人のことを忘れてはないのかもしれないが、無視する傾向がある。別に畑村さんがそうだと言うわけでないが、どうもそういう傾向がある。
福島の原発事故で IAEA (Inetrnational Atomic Energy Agency) の事故調査団が来日して、原子力安全保安院が通産省に中の機関であり、通産省の中には原発とか一般に原子力を推進しようとする機関が混在するのはおかしいのではないかとの指摘があった。
少なくとも原子力安全保安院は通産省とは独立の機関でなくてはおかしいという至極当然の指摘がされた。
だが、これはもう口をすっぱくして武谷が繰り返していったことではないか。それをいまさら、国際的な調査団に指摘されてようやくそういう機構を検討するとは遅きに失するではないか。まあ、そういう普通のことがこういう大事故の後でないとすんなりと通らないというところに日本の政策の問題がある。
原発推進の側にあり、そのことで参議院議員になった元東京電力副社長だった方が、反原発の方で尊敬できる人は高木仁三郎氏だけだと新聞のインタビューに語っておられたのを見ると反原発を真剣に議論してきた人は10人はいないとしても5人以上はいるのに彼は何を聞いているのだという気がしたものだ。
もちろん、彼の立場からでも高木さんは無視できなかったということであろうと思うが、学問的にもしっかりした人は他にも安斉育郎さんとか少なくとも数人はいるのに、それらの人は全く無視するのが自分の立場を守るには大切なのであろう。