物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

創造的「誤読」

2011-06-20 11:31:09 | 学問

昨日は日曜日だったので朝日新聞にいつものように書評があった。その中に『井筒俊彦 叡智の哲学』(慶応義塾大学出版会)の書評があった。

この本は価格が3,570円と結構高いのでそう気楽に買うことができる本ではない。しかし、ある種の研究書だと思うので、哲学とか思想とかの専門の方にはいい本なのであろう。

私の子どもがこの井筒さんの岩波新書をもっていて、読んで見たら興味深かったといっていたので、『イスラムの哲学』(岩波新書)だったかを読もうと思ってみたが、まったくわからず、あえなく途中で挫折してしまったことがあった。

そういう個人的な経験があるのだが、それはともかくこの書評のいうところがなんらかのヒントになるのではないかと思っている。それはこういう箇所である。

(引用始め) 井筒は、独創的な思想家が生まれる背後に「創造的『誤読』」の存在を見た。思想家の「読み」は時に強引で、不正確だ。しかし、その偶然的誤読こそが、意味の深みへと我々を導く。井筒は確信的に誤読を繰り返し、そこからオリジナルな哲学をつくりあげた。(引用終わり)

私が考えたことはつぎのことである。武谷三男の三段階論の提唱も広重徹氏のような科学史家の科学史の詳細な研究から言えば、誤読だったかもしれないが、その誤読から新しい認識をつくりあげたのではないか。

科学史の中で武谷三段階論は間違いだと広重徹氏などがいうが、それは科学史の詳細な研究の観点からはあたっているかもしれない。だが、それだから武谷三段階論が新しい創造的な認識であったことを否定できるわけではないと思う。

武谷三段階論に対して、そういうことをいった人はいなかったのではないか。そして、それがあたっているとすれば、科学史の研究で歴史的な事実と武谷三段階論があっていないと、事実をいくら積み重ねてもそれは評価がちがうのではないか。