NHKのEテレのJ文学で、先日、夏目漱石に「道草」がとり上げられており、その中の標題のような文句があるらしい。これは世の中の世事についてであるが、これは少なくとも物質に関しては正しい。
原子は放射性元素でもなければ、そのままの形で存続する。人間などもいろいろな分子を食べ物として体に取り入れる。そして死亡した後ではそのような新陳体謝が行われなくなるが、分子そのものはなくなってはいない。それが人間としての個体を形成してもいないし、死んでしまえば意識もなくなるのでその個人としての存在はなくなるが。
人は人から忘れられたときに死ぬのだとかいうテーマをとりあげた、お笑いの漫才を最近テレビで見たが、それはそうかもしれない。これはだから人間の身体的の死とはちがったものの見方を与えるものであろう。
生きるということに関しては自分の子どもが生きている間は自分のDNAを幾分かは受け継いだ自分の一部が生きているという考え方もできようか。
子どもはしかし、自分自身とはまったく違った存在であって、一部は受け継いでくれてはいるが、それはごく一部にしかすぎない。