原子力発電の問題点はもうすでに何十年も前に指摘されていた。啓蒙書でいえば、岩波新書の武谷三男編「原子力発電」(1976)であるが、これにはすでに放射性廃棄物の後処置がとても難しいことが述べられている。
昨日、テニス仲間の弁護士Kさんの山の家に招かれて大勢でお邪魔をしたのだが、そこでKさんとMさんとの話の中でもそのことが話されていた。数万年単位でのプルトニウムを中心とした放射性廃棄物の監視保存は人類の歴史の中でも類がないことであり、いわゆる原子力の技術はそういった放射性廃棄物の問題までも含めて考えれば全く完成していない。
ところがそこは全く頬かむりをしてやってきたのがいままでの原子力発電行政であり、国策としての原発政策である。科学的とか技術的にはこの放射性廃棄物の一点でもどうしようもないものである。
もちろん、放射性廃棄物をガラス状に焼いて、地下に長期間それも短くても500年、長期にとれば2,3万年の長期間にわたって、監視しながら保管する。そんなことは理性的に考えたら、人間にはできそうもないということであり、それがたとえ技術的に可能であったとしても、企業の利潤ベースでは全く引き合うはずがないが、それが全く無視されていた。
そういう放射性廃棄物のことまで考えたら、現在1キロワット20円前後といわれている原子力による電力料金はもっとはるかに高価になって1キロ数十円には収まらないだろう。だが、その多量に出る放射性廃棄物の管理の費用は計上はしないで、後世に付回しにして、考えないから20円に収まるのである。
この構造は現在の税収不足を国債の発行でしのいで、多額のつけを後の人に回しているということとまったく類似である。
こういった利潤の構造が福島の事故の後でようやく直視され始めた。一言でいうと、世の中は理性では動いていない。そうではなくて、むしろ産業が主導していた。今の場合には電力業界の利潤で動いている。
だが、それに対しておおぴらに反論を唱える人が出てきたのだと思う。
(2011.7.1付記) 上に原子力による電力の費用を20円/キロワットと書いたが、先日の朝日新聞によると1キロワット当たり5~6円とあった。ところがいろいろの放射性廃棄物処理等の費用とかあからさまに計上されていない費用を勘案すると10円前後になるとどこかの大学の先生の試算があった。
またこれには最終的に放射性廃棄物が無害となるのに必要な2万年間どこかの地下に保管する費用は含まれていない。この費用は2兆円と試算されているようである。いずれにしても1キロワット5~6円の原子力料金は後世に付けを残した値段であることは間違いがない。
私が学生の頃の電力料金は13円/キロワットだったと思うので、現在の20円/キロワットはあまり値上がりはしていないことになる。だが、問題点がない訳ではない。