久しぶりに雪が降った。そして数センチだが、積もった。昨夜ドイツ語のクラスから帰る途中で雪が降り出したが、はじめはあまり気にせずに車を飛ばしていた。永木橋を渡ったところから雪が激しくなったので、スピードを落として慎重な運転に切り替えた。
そして、今朝起きてみると田や畑は雪が積もっている。さすがに通りは雪はないが、庭にも雪が積もった。それで思い出すのは私が朝鮮から帰って来た幼児のときである。それは1945年の2月か3月であったが、大雪で郷里の I 市に帰ってきたときは積もった雪が溶け出していた。O市から 船で I 市の港について、そこから 親戚の家まで小母に負われて行ったことを覚えている。
その後、私の子どもたちが高校生か中学生の頃に大雪が降り、それは49年ぶりとかいうことだったから、この朝鮮からの帰郷時の大雪も記録的なものであったらしい。このときはまだ戦争時であった。
雪とか氷というと中谷宇吉郎を思い出す方もあろう。彼は北海道大学に赴任して雪の結晶研究に励む。だから雪の研究といえば、中谷宇吉郎といわれるぐらいになった。彼は寺田寅彦門下である。
戦後は雪の研究の傍ら、むしろ氷の結晶研究をされたようである。アラスカに出かけて氷の結晶を調べたりされた。その当時はまだアラスカはアメリカの一つの州にはなっていなかったと思うが、アメリカ領であった。
私は岩波書店の講演会で一度彼の講演を聞いたことがある。彼は月に人を送り込む計画には批判的だったと思う。また月の人類が行ったからといって、科学的に惑星とか月の科学が飛躍的に進んだという風には聞いていない。中谷さんは言っていた。人が月に行ったとしても行った人が帰って来て『「とてもおもしろかったよ」というぐらいですよ』と。
アポロ計画で月に人類が足跡を印した1968年ころにはもう中谷は生きていなかったと思うが、月に人が行くことは科学としてはあまり意味があるとは思えないというのはその通りであろう。
もちろん、政治的な意味やまたは人類の偉業という意味ではそれなりの意義がないわけではない。それは1957年の人工衛星の実現にかんして当時のソ連に一歩遅れをとった、アメリカの権威を示す一つのショウであったというのが真実であろう。
星野芳郎著「技術と人間」(中公新書)で、この月の月面着陸の実況中継のときに星野芳郎はどこかのテレビ局に呼ばれていて、彼も月に人が行くことには批判的であったようだが、それでも心が揺り動かされたと書いていた。