昨日のブログは休んだ。というか、インターネットが通じなくて、ブログを書くことができなかった。
それで、今朝、NTTの回線故障係に電話をして調べてもらったが、仕事場の建物のルーターまでは通じているという。それで、屋内のケーブルがパソコンまできちんとつながっているのかどうかということになった。
自分への部屋の回線からパソコンまでの接続がどうかと調べた。モデムのところの接続があやしかったのか。そこをいじって、もう一度インターネットを接続してみたら、どうにかつながった。
どこが悪かったのかよくわからない。モデムのところの接続が怪しかったのかも知らないが、どうもそうかどうかもはっきりとはわからない。狐につままれたような気がしている。
それにしても実用的にはインターネットにつながったので、OKである。
人が生きているといろいろなことが起こる。その一つ一つに過剰に反応をしていては生きていけない。淡々と生きていくには何事もびっくりしてはいけないのだ。
私などは若いときに自分にいろいろのことが起きたから、家族にも気を使って生きている方だが、それでも人生には予想もしないことがまま起きる。そういうものだとの人生の達観か諦観かが必要とされる。
そういうことからすると、インターネットの不通くらいは別に驚くべきことではない。しかし、毎日ブログを書くことが日常化している生活からは何かが欠けたとのある種の喪失感を感じた。
やれやれ(Gott sei Dank)。発音をカタカナでつたなく表すととゴット・ザイ・ダンク、直訳をすると「神に感謝あれ」となるのだろうか。日常生活の言葉に簡単に神様が出てくるところが、私たちの生活とキリスト教世界とは違うと思う。
これは神様とは関係ないが、子どもが半年ほどドイツの小学校に入ったときに、小学校の先生が口癖に言っていたという言葉にDonnerwetter noch mal(ドンナーヴェッター ノッホ マール)というのがあった。当の本人である、私の子どもはもう覚えていないだろうが。
Donnerwetterとは「雷雨」のことであるが、ここでは「驚いた」くらいの意味であろうか。