物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ヒッグス粒子の「発見」

2012-07-06 16:21:16 | 物理学

「発見」を「 」ではさんでおく。普通ならヒッグス粒子の発見といってもいいようだが、7月4日のCERNからの発表では慎重な物理学者は「発見」として、本当の発見との発表からは少し留保をしたらしい。

Higgs機構によって粒子が質量をうるというのが、この粒子の売りである。

ゲージ粒子のようなボソン(スピン整数の粒子)とクォークやレプトンのようなスピンが1/2のような半整数のフェルミ粒子に加えて、スピンが0のスカラー粒子が本当にあるのか。もちろんヒッグス機構を信じるものはヒッグス粒子の存在は強く信じていただろう。

だが、実験的に見つからなければ、その存在はあくまでも仮説である。それが自然現象を相手にする物理学の立場である。そこらへんは数学が論理的に可能であるならば、それで十分であるというのとは違っている。

新聞とかテレビではその質量がいくらというのを報道していいなかったので先ほどインターネットを検索してみると、124 GeVと出ていた。

もちろん幅があるので、ドンぴしゃりではない。それはご了解をお願いしたい。

もう何十年も前に一度勉強しただけなので、あまり覚えていないのだが、今日見たサイトの説明ではポテンシャルの形がワインボトルのような形である。

ちょっと説明をすると、ワインボトルは円形のボトルの底の中心は盛り上がっており、そのまわりの中心から離れたところに低い底がある。このような形がポテンシャルの対称性の自発的破れを引き起こすのだが、このワインの瓶の中心でないところの円周の溝のところが真空の期待値を与えている。

そして、円周のみぞに沿ってのモードがNambu-Goldstone モードを与えて、これらはWボソンやZボソンに一部吸収されて、これらに質量を与えると説明があった。

ヒッグス粒子はこの円周に沿ったモードではなく、その円周上の底から中心の方へ向かってのモードであり、そして質量をもつとあった。

これが正しい説明となっているかどうかは今の私にはわからないが、多分正しいと思う。もし私の説明が正しくないとしたら、それは私の理解がまだ十分ではないことを示しており、多分wikipediaの説明のミスではないであろう。

もっともwikipediaの説明を読んでわかる人は専門家であり、普通の人には多分チンプンカンプンであろう。それは仕方がない。(これは普通の人には理由を理解できないという意味ではない。科学というものは手順を踏んで理解していけば誰にでもわかるはずのものである)

昨夜のドイツ語のクラスへ行ったら、好奇心溢れる、元牧師のOさんから聞かれたので、ここで説明をする気になったが、果たしておおよその感覚をつかむことができたでしょうか。

なぜ、ワインボトルのような底が実際に考えられたのかはワインに関していえば、ワインの澱をそこに溜めるためと昔聞いたが、本当だろうか。

物理の話に戻ると、はるかな記憶では水あめの中を動く粒子というようなイメージはなく、各素粒子の相互作用ラグランジアンに真空の期待値から来るところの質量項に対応した項が出てくるというのであった。確かに宇宙がワインボトルのようなポテンシャルではなく、y=x^{2}で表されるようなポテンシャルであれば、すなわち中心が最低の低い場所であれば、真空の期待値は0であり、質量項は出てこない。


知り合いからの電話

2012-07-06 13:22:10 | 日記・エッセイ・コラム

一昨日の夜、妻に知り合いの方から、電話があり、かなり長く話し込んでいた。妻も懐かしかったらしく、なかなか電話を切ることができなかった。

お互いの家庭の状況がよく似ているために話をしやすいのだという。知り合いのご主人がちょっと健康上の問題があって、遠出ができないために海外によく出かけられていたのを、このごろは控えておられるということを後で聞いた。

健康なときにはなんでもなかったことが健康上の問題が起きると難しくなる。そのときをどうやって過ごすか。かなり難しい問題である。

では、人のことはともかくとして私は何をしているか。

(1) 火曜の夜にテニス(2時間)

(2) 木曜の夜のドイツ語のクラス(2時間)、先回のクラスのドイツ語の要約作成(約2時間)

(3) 友人・知人との月一回の土曜午後の雑談会(2時間)

(4) 土曜日午後のタダ塾の講師、もっともどうも私は講師としては失格のようだ(2時間30分)

(5) 日曜日を除く毎日のブログ(これは時間がなかなか測定できないが、3時間としよう)

(7) 数ヶ月に1回のマネキネマの映画鑑賞(2時間)

(8) 数ヶ月に1回の市民コンサートの音楽鑑賞(2時間30分)

(9) 3ヶ月に1回、ないしは2回のミニ・サーキュラー「数学・物理学通信」の編集と発行(6時間)

(10) 1ヶ月に一回の土曜日の算数学習会参加(これは欠席が多い)(2時間)

(11) 年に1度または2度の子どもに会うための上京(2,3日)

(12) 月曜から金曜までラジオのフランス語とドイツ語の初級講座を聞く(1時間)

(13) 12時と15時のラジオ体操をする(20分)

定例でやっていることはこれくらいだろうか。もちろん普通の老人が1ヶ月に一回くらいに行くであろう、病院通いが二つある。

それ以外に妻につきあっての歌のコンサートに行ったりする。これはそれほどの頻度ではないが、それでもときどきはある。私は本来が出不精なので、妻がどこかに出かけるときも一緒には行かないことが多い。

要するに生きるのは自分であるから、どうするかは自分で決めなくてはならない。しかし、それはなかなか難しいことである。