自虐的に日本はアメリカの50番目の州ではないかとよく言われる。オスプレイの配備についての日本政府の反応を見ていると真にそうなのではないかと思ってしまう。
市民のオスプレイについての反応は「そんな危険なものを配備したり、航行訓練をしないでくれよ」であり、それも各自治体の首長も反対の意見表明をしているにもかかわらずである。
確かに日本の安全の幾分かはアメリカ軍の駐在によって保たれている面があるかもしれないが、それはあまり主要な側面ではない。日本にアメリカ軍が駐留しているのはもっぱらアメリカの利益のためである。また、そのために一番大きな犠牲を払っているのは沖縄である。
沖縄は日本政府がアメリカ政府に日本がすべき主張がなぜできないのか訳がわからないであろう。そして、もしできないことの理由が本当にあるのなら、つぎにはなぜその大きな犠牲や負担を沖縄だけが請け負わなければならないのかが理解できないであろう。
この点を明解に解き明かした人がいるとは思えない。また、こういった現状を変える対策も考えた人がいるとは思えない。もし、日本政府がアメリカ軍の駐留を断るのならば、それに代わる大きな軍事力を持つべきだという議論はあるかもしれない。だが、それはどう考えても望ましくはない。
もう一つ気にかかることは、最近の中国の対外的な動きである。東シナ海は全部自分の領土だといわんばかりの振舞いがある。これはマスコミの報道を私が鵜呑みにしているところがあるかもしれないが、やはりそれだけではないのであろう。
中国は12億の人口を擁する大国である。だから、中国政府はそれらの人々を食べさせていくには資源の探求と確保に躍起となっているのはわからないでもない。しかし、自分の国民を食べさすために努力できれば、他の国はどうでもいいのか。これは大きな道徳的な問題となろう。
もちろん、政治は道徳ではない。が、あまりにも大国の権威を背景にしたものであるとすれば、こういうことも言ってみたくなる。