物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

寝ござ

2012-07-02 12:13:41 | 日記・エッセイ・コラム

数日前に寝ござを妻が買って来てくれた。ここ数年は寝ござなど使ったことがなかったが、今年は電力不足が言われているから、そういうこともあって昔のものも見直しされている。

これは日本の夏を少しでも過ごしやすくするという工夫の一つであろうか。たしかに布団にそのまま寝ているよりも涼しく感じる。

そういえば、昔の日本の夏はとても暑かったし、梅雨などもひどくじめじめしたが感があり、嫌だった。

ところが道路の舗装が普及して雨が上がれば、地面はそれほどじめじめしていない。これは道路の舗装が普及したお陰である。(この舗装は都市が砂漠化しているといわれる原因の一つでもあるが)。

私が中学生くらいまでは、ひょっとすると高校生でも雨用の長靴が必須のアイテムだった。だが、現在は市中の道路に舗装が行き届いているので、雨靴は必要ではない。

私の家庭に雨靴が必要なのは5月に近所の水路の清掃をするときに長靴で水路に入って泥を上げたりするためである。だから長靴の必要性は一年に一回だけ。

文化的生活ということでいえば、私はいまではどの家にでもある網戸を一番に挙げたい。この網戸のお陰で私たちは多くのハイとか蚊に悩まされることがなくなった。

だから、昔の家庭に必ずあった蚊帳がいらなくなり、そのために、日本の夏のあの暑ぐるしさから少しだけ免れている。そういうことはほとんど語られることもないが、私たちが忘れてはならないことであろう。

それに家庭用の浄化槽の普及と都市の下水の完備と共に家庭に水洗のトイレが一般化して、ハイが大量に減少して、とても健康的になった。昔の家庭では食卓のまわりを本当に多くのハイがぶんぶんと飛び回っていた。あれでは食卓に置かれた食物だって、衛生的であるはずがない。

ああいう光景は昔の小津安二郎の映画を見たって、感じ取ることは難しいと思う。そこらへんがその時代を経験してきた人と、その後に生まれた人との基本的な感覚の違いを形成しているのではないだろうか。

これはもちろん、後から生まれた人たちの幸せを意味している。もっとも現在の原発が現代の人々の幸せを意味しているとは到底いえないが。