昨日はブログを休んだが、これは私のずる休みではなくて、実はインターネットが故障していたためである。
愛媛大学のミュージアムでいま
『子どもが生きる空間ー日土小学校と松村正恒』 展
が行われている。
日曜日に夫婦でシネマルーナティックに映画「ゴーストライター」を見に行った帰りに愛媛大学によって、松村さんの作品である、日土小学校の写真とか展示を見た。
展示の期日は7月29日(日)までであり、入場料は無料なので、ぜひどしどし多くの方に見に行ってもらいたいと思う。
また、録音された松村さんの講演の声を懐かしく聞いて、生きているときの彼の話しぶりや言葉使いを思い出した。松村さんは愛媛県が生んだ、優れた建築家の一人である。たまたま私の先輩の I さんから紹介されて、松村さんに私の自宅の設計と監理をお願いした。
いつだったかの年末には彼の建築事務所でこの先輩の I 先生と松村さんとそれにお名前を忘れたが、ある建築家の方と忘年会をしたことがある。そのころ松村建築事務所にお勤めになっていた、Nさんもまだおられたが、そのときは松村さんはご健在であった。私の家が建ってからもう何年も経っていたと思う。
そういえば、優れた歴史家であった I 先生も松村さんも、もう生きてはおられない。
あるときに彼にエッセイをお願いして書いてもらい、私の高校のときの先生である、Tさんが発行している雑誌、「燧」に松村さんのエッセイを掲載させてもらった。ところどころ私の知らない言葉遣いがあったので、その意味を聞きに建築事務所に伺ったこともあった。
松村さんが亡くなった後で、彼のエッセイを収録した本を頂いたが、その中に私がお世話したエッセイももちろん入っていた。
松村さんを有名にしたのは、もちろん日土小学校をはじめとする、八幡浜市の学校建築に腕を振るったためであるが、その当時(1950年代の終わりか60年代の初め)に雑誌「文芸春秋」に日本の建築家10人として、今治出身の丹下健三氏と二人愛媛県出身者としては選ばれたからその名声はいやがうえにも上がった。
このことはこのブログでもいつかすでに述べたことがあるが、このたびの「松村正恒展」で松村さんの建築思想が多くの方に知られるとよいと思っている。