ロベルト・ユンクの『千の太陽よりも明るく』(Heller als tausend Sonnen)は優れたノンフィクションである。
いまは平凡社ライブラリーに入っているが、私が学生のときに読んだときは文芸春秋社から発行されていた。
ロベルト・ユンクはスイスのジャーナリストだと思っていたが、ベルリン生まれであり、もとはドイツ人である。だから、ナチスに迫害を受けて、ドイツから亡命したジャーナリストである。
この本はいうまでもなく、原爆の製造や開発へと向った、物理学者を主とした原子科学者の運命というか歴史を回顧した優れた読み物である。
だが、それをどれくらい多くの日本人が読んでいるのかとなると心細くなる。本当は多くの人に読んでもらいたい書である。
学生のときに、これを一日か二日かけて勉強をほったらかして、息も切らせず読んだ覚えがある。ところがこの書を推奨するとかいった人を書物や雑誌の中で見かけたことがない。
現在の平凡社ライブラリーでも、1,600円の定価なので、そんなに価格が安い訳ではない。だが、それでも本当は多くの人に読んでほしいと願っている。
最近、妻が市民劇場の演劇で「東京原子核クラブ」という理研の仁科芳雄グループに集った人たちを巡るドラマを見てきた。
その内容を聞いたわけではないが、それなりに興味深い演劇であったはずだ。これは日本でも原爆をつくろうとしたグル-プがあったとか、朝永振一郎氏とその近傍の人を巡るドラマである。
そういえば、『千の太陽よりも明るく』にも記述があったと思うが、2次世界大戦中にコペンハーゲンのボーアのところへドイツのハイゼンベルクが訪ねるという話がある。
その議論の主題は原爆の製造を巡るものであり、2000年前後だったかに、史劇「コペンハーゲン」というドラマとなった。
これは「原爆の開発を世界の戦争をしている連合国と枢軸国との両方共にしないように」とのハイゼンベルクがボーアに申し出をするためにコペンハーゲンを訪れたと言われているが、そのときナチにその意図を悟られないにようにとハイゼンベルクは表現をとても曖昧にしたので、その意図はまったく通じなかったという。
ボーアはハイゼンベルクが「原爆の開発をする許可を求めに来た」と思ってしまった。
戦後も家族や親族をナチスの強制収容所のガス室で亡くした、ヨーロッパからアメリカに亡命していた科学者を含めた多くの人たちはドイツに残った、これらの科学者をナチスに協力をした咎で容易に許しはしなかった。それらのうちの幾分かは単なる誤解であったのかもしれないとしても。
日本ではドイツほど原爆の開発の可能性は高くなかったので、それほど問題にはならなかったが、それでもそういう日本の原爆開発の事情を書いた本も英語とかでは出版されているらしい。
現在ではなかなか『千の太陽よりも明るく』は手に入りにくいかもしれないが、まだ読まれてない方にはぜひ一読をお勧めしたい。私も最近書棚から取り出してきて、再読を始めたところである。