物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ペーハー

2012-07-30 14:39:13 | 受験・学校

無料塾で中学校の理科の中に出てきた、BTB溶液というのを知らなかったので、ちょっとショックを受けた。

それでインターネットでしらべたら、ブロムティーモルブルーという粉末を少量のアルコールで溶かし、それの水溶液をつくれば、中性のときに緑色だが、酸性のときには黄色とか赤になるという。またアルカリ性が強いと青色とか紫色になるという。

私が中学生だったのはもう60年近く前のことなので、BTB溶液などという試薬が出てきて、それを知らなくても不思議ではない。だが、こういうものも知らなかったので私は理科の教師としては失格だと知った。

それとは違うが、ガルなどという単位は最近まで知らなかった。もっとも名前を知らなかっただけでガルは難しいものではない。多分このガルはGalileo Galileiにちなんだものらしい。

ペーハーについてもよく知らなかった。数学のe-Learningのコンテンツをつくったときに、その下敷きにした本の演習問題にペーハーの話が指数の例題として出ていたのだが、その問題の解説が難しく思えたので、はずしてしまっていた。これは指数というか常用対数のいい例であることをようやくわかったのは最近である。

やれやれ、私の理解というのはなんでもこういう不十分なところがある。だから、いつかこのことを解説したエッセイを書いておきたいと考えている。


庄野直美さん

2012-07-30 13:21:33 | 学問

物理学者の庄野直美さんのことが朝日新聞に出ていた。

彼は一般には原水爆禁止運動家として知られているのであろう。私の出た大学の素粒子論研究室の元教職員として同窓会のメンバーの一人であった。

2年に1回の同窓会に出て来られたことは一度もなかったが、私を含めた世話人から毎回同窓会の開催通知を送っていた。かなり以前に亡くなったと思っていたが、今年の2月(2012.2.18 )没である。

6月末に彼を追悼する集会があったらしい。

もう私が庄野さんを知った頃はすでに広島女学院大学の先生であったが、私の出身の研究室にもときどき顔を見せていた。

年末にニュートン祭という、物理学科の行事が毎年あるが、そのときに研究室とか学年対抗でソフトボール大会が行なわれる。あるとき自分の目の視力がもどったからゲームに出たいと庄野さんから言われたことがあり、私の代わりにピンチヒッターで出てもらったら、2塁打をかっとばされた。

庄野さんはもともと素粒子物理の研究者であったが、私が大学院に入った頃には多体問題を扱っておられたと思う。いつだったかその発表を研究室で聞いたが、あまりよくわからなかった。研究結果には自信がおありのようだった。

液体ヘリウムの超流動の研究ではなかったかと思うが、わからない。その論文はProgress of Theoretical Physicsに掲載されたと思う。

その後、私の先生の一人で教授だった、佐久間 澄(きよし)先生とどこかに一緒に出かけられたりされているのを見かけた。

数年前に原爆禁止運動関係の著書を出したから、読んでほしいとの私信をもらったが、まことに失礼ながら、その本を読んだことがない。

だんだん知り合いの先輩方も亡くなっている。

佐久間 澄先生も原水爆禁止運動に精魂を傾けておられた。だからかどうかはわからないので申し訳がないけれども、物理の研究者としての佐久間先生の印象は薄い。


今治西高校、甲子園に

2012-07-30 12:01:46 | スポーツ

高校野球愛媛県代表に今治西高がなった。

ノーシードだったからまさかと思っていたが、あれよあれよという間に勝ってしまった。まあ、OBとしては喜ばしいことではあるけれど。

優勝戦は少しラッキーなこともあったが、それも実力の内だといってしまえばそうかもしれない。

試合の後の監督インタビューでアナウンサーが聞いていた。

「試合後に選手全員を集めて話をしていたが、何を話したのですか」と聞いたら、大野監督が昨年は川之江高校はシードされてされていながら、コールドで大敗した。

それにもかかわらず今年は川之江もノーシードで決勝戦に進出してきた。それで相手のチームに敬意を払うべきだとのことを話したと答えていた。

川之江の監督が大野監督のよく知っていた人であったということもあるかもしれないが、やはり苦労をして優勝を勝ち取るような人は他人の苦労もよくわかっているのだと感じた。これは互いにそうなのであろう。

ただ、単に野球が上手であればよいかといえば、そういうことではない。確かに現役の野球の選手である時代は人生の中では短い。後の人生の大部分は元高校野球選手という肩書きだけである。

だから、長い人生をどう生きるかは別にスポーツで学ばなくてもいいが、どこかで学んでおく必要がある。

そんなことを考えた。

我田引水的にいうと、数学とか理科を学校で学ぶ時間は短いが、その後の長い人生で数学とか理科を毛嫌いしないで生きることがいかに必要かということを実感している。

先週の土曜日に「ドイツ語の特徴」という題で内輪で話をしたが、ドイツ語などわかる人はあまりいないと見えて出席者がいつもよりも少なかった。

これだって大学の第2外国語としてドイツ語を学習した人はかなりの数になるのであろうが、それをその後の人生でまだ覚えている人はごく少数であるということを示している。

大体、大学で難しくて、つまずく科目として昔から、数学とか物理と外国語ではドイツ語と相場が決まっている。だからかどうかは知らないが、このごろは大学では第2外国語の取得必要単位数が4単位と極めて少なくなっている。

「そんなあほな」などとと思う私はもう前世紀の遺物なのであろう。