物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

父の日のプレンゼント

2013-06-14 13:30:56 | 日記・エッセイ・コラム

今日は父の日ということで、長男の嫁のTさんからお菓子と花との組み合わせのプレゼントが届いた。午前中にその中のお菓子の一つを早速いただいてみたが、甘くておいしいお菓子である。

お花もなかなかきれいである。

Tさん有難う。

妻も「私たちも両親に母の日とか父の日にプレンゼントをしてあげればよかったのにね」と今更ながらに、つぶやいていた。

私の両親にも妻の両親にも十分なことができたかと自分が問われるとなかなか答が難しい。私などはそれ相応に尽くしたと思っているが、妻などはいくら尽くしたとしてもやっぱり後悔が残るものらしい。親子とはそういうものであろう。

最近、長男夫婦が月に一度くらいの割合で帰郷しているので、急にお互いが近しく感じていることは確かである。

妻は母親業が開業できてうれしそうである。なかなかそういう風にはいままでいかなかったからである。

別に親子が不仲であったわけではないが、なかなか帰郷することがいろいろな身体的事情から難しかった。

それが全面的に解決したのかどうかはわからないが、いろいろと改善されているらしい。そのことがまずはうれしい。



眼から鱗が

2013-06-14 12:57:41 | 外国語

先日、夏の到来をドイツ語でどういうのだろうかとこのブログで書いた。

昨夜、R氏にこの質問をしたところ、それは

Sommer ist da

だろうと言われた。まことに簡単であり、ドイツ語を学んだ大学1年生でも知らない単語がないような簡単な表現である。

だが、その表現がなかなか思い浮かばない。Sommer kommtとは言わないのかと尋ねたが、そうは言わないらしい。

Ankunft des Sommersの方はそういう表現も可能だろうが、普通はSommer ist daだろうと言われる。

そういえば、先日「写真には私の父が写っていました」をドイツ語で

Auf dem Foto war mein Vater

というと知ってびっくりした。

いやいや、こんな表現は1度や2度ではなく、聞いているはずだが、やはり日本語からドイツ語を考えるときにはなかなかすぐに

写真の上には父がいた

という発想にはならないのである。

知らず知らずに日本語をドイツ語や英語に直訳しようとする癖が抜けない。やはり発想が異なる言語であるからだろう。