推測科学史というような怪しげな概念は私のつくった用語であり、純粋の科学史の研究者からは毛嫌いされるような話である。
だが、科学史のアカデミックな研究はそれはそれとしての存在意義があるが、この推測科学史の効用はそれよりもっと教育の分野では大きい。
水道方式で有名な数学教育協議会のメンバーたちや仮説実験授業として知られている授業を行っておられる方たちの努力はひょっとすると疑似科学史の体験を授業中に生徒や児童にさせるということではなかろうか。
少なくとも歴史に忠実に授業を構成することではあるまい。歴史に忠実には教育では再現することなどまずはできない話だ。
それに、あまりに歴史に忠実に再現すると授業中に生徒たちが何が何だかわからなくなってしまうという、弊害の方が大きい。
そこを教育においては読み切らないといけない。これはアカデミックな科学史の研究とは自ずから、違うのだと思う。
生物学では「個体発生は系統発生を繰りかえす」とよくいわれる。この命題の真偽はわからないが、人間の認識にも社会的な認識を要領よくポイントを押さえて、繰り返すという側面がある。そうでなくては物事を納得するように理解できないだろう。
数学教育協議会などで数学教育のために
(1) 数学史
(2) 心理的な認識段階
(3) 現代数学
の理解が大事だと言われてきたが、私の理解するところでは数学史の理解はアカデミックな数学史そのものではないと思っている。
急に人のことを持ち出してご本人にはまことに申し訳がないが、徳島科学史研究会を長年主宰されている、西條先生などもそういうご意見だと思っている。