「地球上に天然の原子炉が存在したのではないか」という理論を提唱していた、黒田和夫さんという人のことを岩波書店のPR誌「図書」7月号で読んだ。
黒田さんの書いた講談社ブルーバックスでそういう題の本があり、面白そうと思ったので購入はしていたが、読んだことはなかった。
その天然原子炉の話がとても要領よく説明されていた。原子炉の中には水が中性子の減速材としてまた、熱を伝える熱伝達材として入っているのだが、自然の原子炉の可能性は水がないのでありえないと原子炉をつくったFermiたちは思っていたらしい。
だが、水が過去のウランの鉱床に結構十分あり、かつU235の含有率は20億年前にはいまのU235の3.5倍の含有率であったろうという。これは現在の原子力発電で使われる濃縮ウランのU235の濃度にほぼ等しいという。
そういういくつかの条件下では天然の原子炉が地球上に存在しえたはずだというのが黒田氏の推論であったが、原子炉の研究をしていた人からはそういう理論は無視をされたという。
ところが1972年になって、フランスの原子力庁がアフリカのガボン共和国のオクロ鉱山から産出されたウラン鉱が異常な同位体組成をもっており、原子炉で使用済みのウラン鉱の燃えカスに似ていると発表した。
さらに、これは黒田が予言した天然原子炉の理論でほぼ完全に説明ができると結論付けたという。
これだけでも話が面白いのだが、理化学研究所で行っていた、戦争中の原爆開発の関係文書を黒田が預かっていたという。
このエッセイの著者小嶋稔さんはその依頼をしたのが理研の誰であったかはわからないと書いている。死後その資料は理研に黒田夫人から返却されたという。
それで思い出したのだが、黒田さんがアメリカから日本に里帰りしたときに「武谷三男に会って、天然の原子炉について議論するために日本に来たと言っていた」とどこかで読んだ。
それはもちろん、武谷が書いていたことではないが、武谷が亡くなった後でどなたかがそういう回想をされていた。
そういえば、武谷は戦争中に理研にいたし、原子力研究の一端を理論的に担っていたことも事実である(2014.3.17 付記参照)。
もっとも武谷は原爆が広島に落とされたころ、特高に捕まって取り調べを受けており、それは調書が出来上がる直前であったから、黒田さんに文書の秘匿を頼んだ本人とは考えにくい。それでもひょっとすれば、事情をうすうす知っていた可能性はあったのではないか。
(2014.3.17 付記)武谷の戦時中の原子力研究の一端の成果として1955年ごろに発行された、岩波書店の『現代物理学』講座の1冊の豊田利幸博士との共著の『原子炉』がある。
この書は原子炉の原理について述べた隠れた名著ではないかと思っているのだが、そういうことを知っている人もあまりいなくなってしまった。